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毎日新聞2026/8/8 東京朝刊有料記事1990文字
稲田家家臣団が上陸した海辺に建つ記念碑。郷土史に精通する山田一孝さんに案内してもらった=北海道新ひだか町静内春立で、井上英介撮影
牧草地が延々続き、遠くで馬たちが草をはむ。7月初めの北海道日高地方は気温19度。空気は乾き、蒸し暑い徳島とは別世界だった。でもそれは厳しい冬に耐えたご褒美だ。私も2001年10月から3年半、札幌に勤務したので分かる。
155年前の明治4(1871)年5月、汽船3隻に分乗した入植者約550人が、静内郡(今の新ひだか町)に到着した。徳島藩の筆頭家老で淡路島を治めてきた稲田家の家臣と、その家族。藩の内紛をへて、明治新政府から北海道開拓を命じられた(詳細は7月11日の前回本欄「淡路島で明治維新を考えた」)。
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背景は複雑だが、彼らはざっくり言えば、新政府が世の中から武士を廃絶する壮大なリストラの対象者だった。数ある明治維新の裏面史の一つ。それに私は引き寄せられ、約20年ぶりに北海道を訪れた。
記念碑の説明文=北海道新ひだか町静内春立で、井上英介撮影
「上陸後に試練が待ち受けていました」。新ひだか町の静内神社で山田一孝(かずゆき)宮司(82)が言う。岩根静一という稲田家の元家臣が晩年「北海道移住回顧録」を著した。郷土史を長年研究する山田さんはこれを読み解き、冊子にまとめた。
回顧録によると上陸してまもなく、三つの悲報に見舞われる。まだ家もない入植者たちが荷物を預けた倉庫で火災が起き、冬に備え持参した衣類や布団など家財一切が焼失。さらに、後続の仲間の船が和歌山沖で座礁沈没し、80人以上が死亡した。岩根は「此水火(このすいか)ノ大災害ハ実ニ言語ニ絶セル一大不幸」と嘆じた。
とどめは明治4年7月の廃藩置県。静内郡は稲田家の支配から北海道開拓使直轄となった。岩根は「一時ニ意気沮喪(そそう)シ移住ノ事遂ニ止(や)ミタリ」と記す。これを船山馨は小説「お登勢」でこう論評する。「(稲田家側は)静内移住を静内藩創設と受け取っていた。廃藩となっては静内藩も稲田藩もない。北海道移住はまったく受ける覚えのない懲罰でしかないことになる」
新政府の空手形で故郷を捨て、家財を失い、身一つで北の大地へ投げ出された人びと。彼らがなめた辛酸は船山の小説に譲る。
稲田家の人びとは、しかしくじけなかった。
入植当初、苦労して開墾した畑が野生の道産子(北海道に生息する小型馬)によく荒らされた。彼らは畑を守ろうと馬を捕らえ、開拓用に飼い慣らした。やがてこれが本業となる。前出の岩根も農畜産業を学び、馬産改良に取り組んだ。かくて日高地方は明治~昭和初期に農耕馬や軍用馬を、戦後は競走馬を送り出す馬産地として栄えた。
新ひだか町静内の矢野牧場を訪ねた。約70ヘクタールの牧場で毎年20頭前後の競走馬を市場に出す。矢野秀春さん(80)は入植者の末裔(まつえい)で作る親睦組織「北海道稲田会」の会長だ。「祖先は稲田家の足軽だった。入植時には苦労もあったでしょう」。美しい牧場に過去の面影はみじんもない。
札幌では、むかし親しくした元北海道庁幹部と旧交を温めた。そこで「日高に傑物がいる。ぜひ会え」と言われた。新ひだか町三石で建設会社を経営する幌村司さん(71)。彼は私と向き合い、静内に入植した稲田家について、静かに、だがきっぱりと言った。
「彼らは私たちアイヌの土地を奪った侵略者だ」
頭を殴られたような衝撃だった。「幌村姓は和人が勝手につけた」とも。祖先は稲田家の入植地から25キロほど南の大きなコタン(集落)に暮らした。アイヌ語で「大きな」はポロ(幌)。ゆえに、明治期の同化政策で集落全員に「幌村」姓が強制されたという。
おれは記者として北海道で3年半、何をやっていたのか。幌村さんの前で恥ずかしくなった。牛海綿状脳症(BSE)や鈴木宗男氏の事件で忙しかった、とはむなしい言い訳だ。アイヌに対する和人の収奪迫害の歴史は、知ってはいたが、向き合わなかった。頭の中で書き上げつつあった本稿が、根底から崩れた。
徳島へ戻ると、さらに予期せぬ展開が待っていた。作家の池澤夏樹さん(81)から前回本欄への感想メールをいただいた。彼の高祖父(曽祖父の父)は稲田家に仕え、静内へ入植。これを題材に小説「静かな大地」を書いたという。
作品を取り寄せ、大部を数日で読み終えた。祖先をモデルとする登場人物たちの目を通して、アイヌの豊かな文化や世界観を深々と描いた叙事詩。そのアイヌが、和人により滅亡の瀬戸際へ……読みながら胸に強烈な痛みを覚えた。
稲田家の人びとが送り出した馬で、森をひらき、道を通し、土地を耕す明治期の北海道開拓は大いにはかどったはずだ。でもそれは同時に、アイヌへの侵略の加速を意味する。北海道開拓の深い闇、誰も逃げられぬ原罪に、稲田家家臣の末裔が文学で挑んでいた。何という巡り合わせか。
私も機会をもうけて北海道を再訪し、アイヌたちと向き合おうと思う。
◇
喫水線(きっすいせん)は、水に浮く船の側面と水面が交わる線。(徳島支局長、元大阪本社編集局次長)