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毎日新聞2026/8/11 東京朝刊有料記事1942文字
7月27日の記者会見において、高市早苗首相は次のように述べた。「私自身9カ月首相を務めて感じたことは、我が国が向かうべき方向性とか、国家像を腰を据えて戦略的に考える時間を取ることはなかなか簡単ではないということだ」
7月17日に改正皇室典範と国旗損壊処罰法を成立させた首相の発言とは信じられなかった。高市首相は自由民主党のなかでも、もっとも右寄りの強固な保守イデオロギーに基づく発言をする政治家であり、したがって明確な国家像に基づいて、これらの成立をめざしたにちがいないと考えていたからである。
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国家像を持たない首相の国の行く末はどうなるのか。高市氏の来歴をさかのぼりながら考える。
高市氏は親から、地元の短期大学への進学と卒業後の地元企業への就職、職場での恋愛結婚を望まれていた。短大以外には学費は出さないとのことだった。それでも地元から遠く離れた東京に行きたい気持ちが強く、東京の華やいだイメージの著名な私立大学に合格すると、入学金まで自分の貯金から工面して進学するつもりだった。
しかし親からの仕送りがなくては東京では暮らせない。高市氏はあきらめて、授業料の安い同じ関西圏の国立大学への進学を余儀なくされた(「学生時代の秘話」を語る高市氏へのインタビュー動画による)。
高市氏が20歳の大学生だった頃のことである。ある小説がベストセラーになった。田中康夫「なんとなく、クリスタル」(1981年)である。高市氏が求めていたのは、東京でのこのようなキャンパスライフではなかったのか。もとよりこの小説の登場人物は、同時代においてもきわめて例外的な存在だった。モデルをしながら月数十万円の収入を得て豊かな生活をエンジョイする女子大学生などどこにいたのだろうか。
高市氏と同世代の当時の女子大学生にとって、就職活動における男女差別は当たり前だった。彼女たちは憤るよりも、差別的な条件の下で、新しい可能性を模索した。
高市氏も同様の状況のなかにいたのではないか。松下政経塾を選択したのは、新しい可能性の一つだっただろう。政治家は地盤・看板・かばんを持つ男がする職業だった。松下政経塾ならば、この三つがなくても、女性でも政治家になれるかもしれなかった。
「なんとなく、クリスタル」は、きわめて例外的な大学生群像を描きながら、同時代の人びとにとって、何か新しい時代が始まることを告げていた。二つの石油危機を乗り切った日本経済を背景に、状況は好転していくかのようだった。ほどなくして男女雇用機会均等法が成立する。さらに日本はバブル経済を謳歌(おうか)するようになる。
この頃(90年)、高市氏はテレビ番組のキャスターを務めるようになっていた。この番組のもうひとりのキャスター石井苗子氏(現在は参院議員)によれば、ニュースキャスター時代の高市氏は、「バブル期特有の派手なファッション〔「ワンレンボディコン」〕に身を包む『ギャル』」だった。のちに政界での後ろ盾となる森喜朗元首相と出会った高市氏は「自分を売り込もうと必死だった」(別冊宝島編集部編「高市早苗 その人生と名言」)。こうして政治家としての高市氏が誕生し、今日の首相となっている。
高市氏とその世代は時代の反映である。68年の学生反乱と「70年安保」が挫折したあと、有為な若者は国家を忌避して散り散りになった。のちの若者世代が引き継いだのは、三島由紀夫が70年に予言した「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或(あ)る経済大国」だった。
この「経済大国」を新しい国家に造り替えるチャンスがあったのに、80年代の若者世代は私的利益の追求に走った。高市首相だけでなく、同世代も新しい日本の国家像を描くことはなかった。
高市首相は先の国会で、「国論を二分するような大胆な政策」を実行したはずである。ところが皇室典範の改正では早くも再改正論が台頭している。あるいは国旗損壊処罰法や副首都法よりも緊急度が高い経済財政政策を後回しにしたことへの不満も高まっている。時事通信の世論調査(7月16日)によれば、内閣の支持率は最低となり、とくに高市首相の同世代、60歳代の支持率が前月63・7%から39・9%へと激減している。これでは高市内閣の下での新しい日本の国家像による国民統合はむずかしそうである。
新しい国家像による国民統合は、与野党を問わず、より若い世代の政治指導者の手に委ねられる。そのような政治指導者を支持する若い世代に期待する。みすみすチャンスを逃した60代後半の世代のひとりとして、自責の念とともに記す。(学習院大教授、第2火曜日掲載)