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第一テサロニケ1章1〜10節 模範となった教会 2024.10.20
ハレルヤ! 主のみ名を心から賛美いたします。
今日、久しぶりにここに立たせていただいて心から感謝します。
実は私は先週、少し熱が出て、声が出なくなってしまいました。
皆さんの祈りのおかげで、元気になりましたことを感謝致します。
1. 「パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ」。これは簡潔な挨拶の言葉ですが、パウロたちとテサロニケの教会とが信頼に満ちた親しい関係にあることを示しています。
パウロの手紙のいくつかには、書き出しに「使徒パウロ」という表現があります。特に、パウロがイエス・キリストの使徒であることに疑念を持つ人々のいたガラテヤ教会あての手紙では、「使徒となったパウロ」と名乗った後に、「私が使徒となったのは、人間から出たことでなく・・・・」と、自分か使徒であることの強い弁明と主張がなされて手紙が始まっています。
テサロニケ教会の人々は、パウロの使徒としての権威を受け入れていました。また、パウロたちの宣べ伝える福音を、人間の言葉としてではなく、文字どおり神の言葉として受け入れていました。(2章13節)このように宣教者たちに対して限りなく心を聞き続ける教会に、パウロたちは何の肩書きも加えず、簡潔に、しかし心を込めてあいさつを送るのです。
この手紙の差し出し人は、パウロ、シルワノ、テモテの3人です。この3人は、テサロニケ教会の創立者です。使徒17章1-15にはその時のいきさつが書かれています。シルワノは他の箇所では「シラス」と呼ばれ、エルサレム出身の預言者であり(使徒15章22.32)、パウロの第二回目の伝道旅行の際は、バルナバに代わってパウロの同行者となりました。その旅行の途上、小アジヤのルステラの町から一行に加わったのがテモテです。彼はギリシャ人の父、ユダヤ人の母とする評判の良い弟子であった(使徒16章1.2)
テサロニケで三つの安息日にわたって行われたパウロたちの伝道は成功を収めたが、(使徒17章4節)、ねたみにユダヤ人が暴動を起こしたため、彼らは町からの退去を余儀なくされました。しかしその迫害の中で蒔かれた福音の種は、テサロニケ教会の誕生と成長という形で豊かに実っていきました。
「テサロニケの群れは、私たちが苦闘して建てた教会です。私たちがこの教会の創立者でず。」パウロたち三人は声を大にしてこのように主張することもできたでしょう。しかし彼らは、教会とは何に所属するのか、教会の真の創立者は誰か、教会の本質は何かをしっかり身極めていましだ。その思いは、「父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ」という宛先の言葉に込められています。
以前、教会に来て間もない人から、「教会というのは、牧師が教会業をやっている所だと思っていました。よくみんなが「・・・先生の教会では」という言い方をするので、・・・・」とまじめに言われて、確かにそのように誤解される向きもあるなぁと考えさせられたことがあります。教会はあくまでキリストの体であり、神御自身のものです。教会を構成する一人一人は、父なる神とキリストのうちにこそ結ばれ、生かされなければなりません。どんなにその教会の設立に貢献した人であっても、どんなに教会の成長に寄与している者であっても、神とキリストの地位にとってかわることはできません。(それらの人々の尊い働きに感謝と尊敬を払うことはもちろんであるが。5章12.13節)。どのような教会も、神とキリストとのしっかりした結び付きを離れては立ち行かないのです。
あて先においてテサロニケの教会の起源と本質が父なる神とイエス・キリストの内にあることを示した後、パウロは父なる神とキリストだけが与えることのできる「恵みと平安」の祝福を祈る。この「恵みと平安」を祈る祈り、すなわち祝祷は、パウロの手紙でいつも最初に書かれています。そして、どの手紙の最後も祝福の言葉で閉じられていまず。このことから、パウロがどんなにか神からの祝福を祈る祝祷を重んじていたかが分かるでしょう。
クリスチャンの特権の一つは、他の人々のために真剣に、確信を持って祝福をささげられることです。それは、手紙の末尾によく書式の一つとして書かれる、「御多幸を祈ります」といった決まり文句のようなものではありません。クリスチャンは、その祝福を与えてくださるお方のことも、祝福の内容の意義をも明白に把握して、喜びと信仰を持って他者のために祈ることができるのです。
「恵み」とは、それを受けるに値しない者に示される神の一方的な愛のことで、イエス・キリストの十字架の救いにおいて罪人である私たちに明らかに示されたものです。「平安」は、神から罪赦されたことにより、神との敵対関係が解消され、神との平安が与えられたことを表す言葉です。「恵み」にはギリシャ的な、「平安(ヘブル言で平安を意味するシャーロームに当たる)」にはヘブル的なことばの背景がそれぞれありますが、共に私たちの心を十字架における救いのみわざへと向けさせるものです。
2.絶えざる感謝と祈り 1章2-4節
パウロの祈りと感謝の中によく登場する表現は、「いつも」「すべて」「絶えず」です。5章16-18節にも「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」とあります。彼の祈りは、時折り思い出したように祈る気まぐれな祈りではなかったのです。また「あなたがたすべてのために」(1章2節)とあるように、ほんの少数の人たちのためにとりなすことで満足する祈りでもなかったのです。
「いつも」「すべて」に裏打ちされる祈りの生活は、神との交わりと祈りに十分時間を割かなければなし得ないことです。そして、主イエス御自身も、地上の生涯において、面会を求める人人を避け、祈りに打ち込む時を持っておられた(マタイ14章23節)。テレビや情報過剰な出版物のために時間をとられ、何でもインスタントに済ませる風潮の中にある私たちは、すべての人々のためにとりなし続ける祈りの生活と時間を意識的に戦い取らなければならないのです。
パウロたちがテサロニケ教会のことで感謝をささげる時、絶えず思い起こすことは、彼らの「信仰」と「愛」と「望み」であった(3章)。この三つは、第一コリント13章13節にも「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」と書かれているように、クリスチャンの最もすぐれた徳性です。
パウロはさらに、この三つの徳性の一つ一つに具体的な内容を付け加えています。信仰には「働き」、愛には「労苦」、望みに対しては「忍耐」です。信仰、希望、愛という美しいことばの単なる列挙ではなく、それぞれにずっしりと内容のこもった意味合いを含ませ、彼らの信仰がうわべだけではなく本当に内容のあるものだということを示しています。
テサロニケの教会の信仰は生きて働く信仰であり、行動に至る信仰であった。「行いのない信仰は、死んでいるのです」(ヤコブ2章26節)とあるような、むなしい口先だけの、観念だけにとどまる信仰では決してなかった。
また、テサロニケの人々の愛は労苦を伴う愛でした。彼らは喜んで他の人の重荷を取り除き、助ける労苦をいとわなかった。このような愛こそが、真の愛の現れと呼べるものです。
さらに彼らの希望には忍耐がありました。少しばかり期待を抱いても、それがかなわないとなるとすぐに望みを投げ捨ててしまうような、せっかちで辛抱の続かないものではなかった。彼らの忍耐は「主イエス・キリストへ望み」につながっていた。そしてその忍耐はクリスチャンの内面に練られた品性を生み出し、またどのような情況に置かれても望みを失わずに歩み続ける勇気を与えるものであった(ローマ5章4節)。
日本政府の悪い口癖の一つに、「善処します」というのがあります。ある時はその上に「前向きに」という修飾句が付加されます。なぜ悪いのかと言うと、実行が伴わないからです。いくら「善処します」と真顔で言っても、困難に直面している人々の側に立って実際に助けの手を伸ばさなければ、そのかけ声はただむなしく響くだけです。
私たちも、働きや行いが伴わないのに信仰を論じたり、労苦を伴わない愛の行為で満足したり、主を待ち望むと言いながら容易に忍耐することを放棄していないでしょうか。
しかし、テサロニケの教会は、迫害や困難の中にありながら、信仰、愛、望みの実を豊かに結んでいました。そしてパウロたちはそのことを絶えず思い起こしては、祈りのたびに神への感謝で満たされていたのです。
ここで私たちは、テサロニケの人々のこのように実のある信仰の成長が、二つのことに起因していることに気付かされます。
一つは、4節にあるように、テサロニケの人たちがまず神に愛され、神に選ばれているという事実です。それは、彼らの中に本格的にすぐれた信仰の素因があったからではない。パウロの一行が福音を伝える以前の彼らは、ただむなしく偶像を礼拝していた人々でした。その彼らを神が一方的に愛してくださり、多くの滅びゆく偶像の民の中から選んで救い出してくださったので、彼らは救いの恵みにあずかることができたのです。
私たちも、「本当にこの人は救われるのでしょうか」と思うほど頑迷に福音に背を向けていた人が見事に悔い改めの恵みにあずかるのを目の当たりにする時、救いとたましいの成長は神のわざ以外にはあり得ないということを知らされます。それゆえ私たちは、人々の福音に対する反応がどんなに冷淡で乏しくても、神が愛し、選んでくださっているたましいが必ず備えられていることを信じて、勇気と励ましを与えられるのです。
第二の成長の原因は、この教会がパウロをはじめとするクリスチャンたちのとりなしの感謝と祈りの中で豊かにはぐくまれていたことでした。テサロニケの人々の信仰の実は、パウロたちの熱い祈りの実でもあった。彼らのために「いつも」「絶えず」ささげられた祈りは、テサロニケ教会が前進するうえで最大の原動力でした。
その人の救いのためにささげられる祈りが全くない中でクリスチャンになった人は一人もいないと言われています。いや、私は自分一人で求道して救われたのだと思っている人がいるとしても、その人が教会に足を踏み入れたその時から、その人のための祈りがひそかに積まれているのです。まして、他の人の祈りに支えられることなくして、祝福されたクリスチャン生涯を送り得る人などあるはずもない。パウロは、「すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」(エペソ6章18節)と勧め、「私たちのためにも祈ってください」(第一テサロニケ5章25節)と、自分たちへのとりなしも要請しています。
神の選びと信仰の先輩たちの絶えざる祈りの結晶が、人間の目にはどんなに困難な地に見えてもそこにキリストのからだなる教会を建て上げてきたことを覚えて、私たちも祈りの勇者として訓練されていきたいです。
3. 宣べ伝える者と受け入れる者 (1章5-7節)
福音は、必ずそれを伝える者とそれを聞く者がいます。この二者の最も理想的とも言える関係が、述べられているのがこの箇所です。非常にすぐれた伝道者が神からのメッセージを力強く語ったとしても、すべての人がよい応答をするとは限らない。全くの拒絶を生む場合も多いです。旧約における多くの預言者たちは、神のみこころを正しく伝えたために、人々の激しい憎しみと排撃を受けました。主イエスの宣教は、悪霊に取り付かれた精神異常者のことばとされた(ヨハネ10章20節)。パウロの伝道は迫害を招くこともしばしばで、アテネでは人々の嘲笑いや好奇心の的になった。しかし、時が良くても悪くても、聞く者の心がどんなにかたくなであっても、神のみことばを伝えるように召された者は語り続けなければならないのです。
だが伝道の原則はそうであっても、伝道者が最大の励ましを受けるのは、やはり聞いた人々が伝えた福音に喜んで反応する時です。パウロの一行とテサロニケ教会の人々との関係は、この福音の伝道と受容という面から見ても最も望ましいものです。
このテサロニケ宣教において、伝道する側と伝道される側が共有していたものは、多くの苦難です。パウロたちも命がけの伝道をしたが、福音を受け入れた人々のいく手にも厳しい困難が待ち受けていました。この両者が共々にぶつかった迫害と苦難の中で、なおも双方に共通していることが二つあります。
第一は、彼らが聖霊の力強い働きに共に預かっていることです。福音を伝えるというのは、単なることばだけの問題ではないです。宣教には力と聖霊と強い確信が伴わなければならない(5節)。力も確信も、聖霊によってのみ与えられるものです。この聖霊の働きにより頼むことをしないなら、いくら聖書のことばを多方面から引用し、巧みな話術をもって伝道しても、人々のたましいをとらえることは決してできません。宣教は、みことばと共に働く聖霊のみわざにほかならないからです。
パウロたちの内に働いた聖霊のみわざは、伝道の対象であったテサロニケの人々の内にも同様に力強く働いた。テサロニケの人々は、当然迫害が予想される中で、聖霊による喜びを持ってみことばを受け入れた(6節)。ここにも神のみことばと共に働く聖霊のみわざを見ることができます。クリスチャンの歩みは、決してよいことずくめではないです。憲法上は信教の自由がうたわれているとはいえ、異教社会日本においては、クリスチャンになったために冠婚葬祭の問題をはじめとして、険しい道を歩まなければならないことが多くあります。「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(第二テモテ3章12節)というみことばのとおりです。しかし、その中でもテサロニケの人々は喜びにあふれていた。外からは多くの苦難。しかし内からは聖霊による喜び。苦難と喜びが共存し得るというのは、まさに聖霊の働きにほかならない。それは、テサロニケの人々が神の愛と選びの内にあることを証明するものでした。
福音を伝える側と受ける側に共通している第二の点は、福音が生活によって裏付けされているということです。使徒たちは、「私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています」(5節)と言い切っています。パウロたちの行動は、言行不一致で後ろめたさを覚えるようなものではなかった。福音宣教は、伝えた福音に生きることによって実証されなければ、いつまでたっても机上の空論にすぎない。
「私を見ないで神を見てください」「人を見たら必ずつまづきます。キリストだけを見上げてください」。私たちは教会に来る新しい人たちによくこのように言います。これは一見もっともなことばであるが、しばしば自分たちの不完全で欠点だらけの行動を容認し、言い逃れのために利用している場合があります。しかしパウロは、「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください」(第一コリント11章1節)と言うことができた。彼は何も自信過剰でこう語ったのではありません。パウロは、自分の語った福音の内容を自分の生き方そのものの中に示し続ける責任のあることを、神の前に十分自覚していたのです。
そのような使徒たちの生きる姿勢は、テサロニケのクリスチャンたちに対する強力なあかしとなりました。こうして人々は、単なるみことばへの同意とか承認という次元のことではなく、たましいの内側が聖霊によって新しく造り変えられて、キリストと使徒たちにならう人生を送る者へと一変したのであった(6節)。すぐれた説教やあかしに感銘する人は多いが、その人の献身的な生き方に心からならおうとする者は少ないと言われています。テサロニケ教会の人々は、「パウロ先生たちは立派ですが、あれは別格です。私たちはあそこまではできない。一段下のレベルでもかまわないのではないか」とはみじんも考えなかったです。キリストと使徒たちに学び、ならうことにより、彼らも福音を生活化する歩みを確実に築いていくことができたのでした。
こうして受け入れた福音に生き抜く彼らテサロニケ人は、マケドニア(ギリシャ北部の州)とアカヤ(ギリシャ南部の州)を合わせた全ギリシャ地域のすべてのクリスチャンにとって模範となる群れにまで成長し続けていったのです
4. 良い信仰は広まり続ける (1章8-10節)
「悪事千里を走る」と言って、悪い行いはあっという間に広く知れ渡るが、反対に「好事門を出でず」で、とにかく良い事は世間に知られにくい。しかし、テサロニケの人々が伝えるみことばと彼らの信仰とは、破竹の勢いで周囲のギリシャの町々に広まっていった。それも彼らが大いに自己宣言をしたからではありません.「それらのことは他の人々が言い広めているのです」(10節)とあるように、マケドニアとアカヤ地方にいる他のクリスチャンたちの口を通して、彼らの良い評判は知れ渡っていったのです。
それほどに評判となった彼らの信仰の中でも、特に際立っていたのは、彼らが偶像から立ち返ったことであった(9節)。ギリシャ文化の中心地であるアテネを訪れた時、パウロは市中にあるおびただしい数の偶像に憤りを感じたが、それは同じギリシャの地方都市テサロニケにおいても同様でした。かつての多くの偶像の神々に仕える生活と決別したテサロニケの人々に対して神のみわざがなされたということは、同じように異教の神々に取り囲まれている日本人クリスチャンにとって実に大きな励ましです。9節の「偶像から」という表現は、偶像からの明確な分離を示しています。
日本人の思考の中には、白黒をはっきりつけないあいまい性を良しとする傾向が強い。深い宗教心なしに、なおかつ矛盾も感じずに複数の宗教にかかわりを持ち得る宗教的寛容さ。同一集団の中で、大多数と異なる行動をとる者に浴びせられる激しい非難。これらのことが私たちの周囲で優位を占めているかぎり、偶像との明確な対決と分離は、日本宣教をする際に大いに心を用いなければならない重要な課題です。
テサロニケの人々は偶像の神々をきっぱりと捨て去り、今度は「生けるまことの神に仕える」者となった。この「仕える」ということばは、奴隷として仕えるという場合に使用されることばです。それは自分を捨てた徹底した仕え方です。彼らは、むなしい偶像に仕える生活から、生ける真の神に誠心誠意をもってしたがう人生に、百八十度の方向転換をしたのです。被造物である人間は、真の神、創造主の奴隷となる時初めて、あらゆるものからの完全な自由を得る。しかし気を付けなければならないことは、偶像とは石や木の像だけを指すのではないということです。異教の神々は拝まなくなっても、神よりも大切なよりどころ、たとえば財産、名誉、人物、主義主張などを心の中の最高位に据えて生きるのなら、それは古い偶像から新しい偶像へ、目に見える偶像から見えざる偶像への移行にほかならない。偶像から立ち返ることは、生ける神のみこころに完全に従い続ける中でのみ全うされるのです。
10節には、イエス・キリストが、死者の中からよみがえった復活の主、さばきの日に神の怒りから私たちを救うために来られる再臨の主として示されています。偶像に仕える過去の生活から真の神に仕える現在の生活に一変させられ、そして将来はキリストの再臨の祝福にあずかる希望へと導かれるクリスチャンの行程は、何と幸いなものでしょうか。
イエスさまがいつ来られてもいいように、備えておられるでしょうか。イエスさまがいつ来られてもいいように、イエスさまを信じて、その思いがイエスさまに向かっているでしょうか。偶像に仕える過去の生活から生けるまことの神に仕える現在の生活に一変させられ、そして将来はキリストの再臨の祝福にあずかる希望へと導かれるクリスチャンライフは、何と幸いなものでしょうか。テサロニケのクリスチャンたちはこのように歩みました。それはすべての信者の模範となるほど輝いていたのです。その信仰はあらゆる所に響き渡るものでした。それは私たちの模範でもあります。私たちも聖霊によって伝えられた福音を受け入れ、その喜びの中に入れられました。しかし、それだけで終わりではありません。福音は私たちの生活を一変させます。偶像から立ち返って、生けるまことの神に仕えるようにしてくれます。そこには明確な変化が伴います。そして、それはキリストの再臨の希望へとつながっていくのです。私たちもこのテサロニケのクリスチャンたちにならい、生けるまことの神に仕え、キリストの再臨を心から待ち望む者でありたいと思います。これが福音のもたらす大きな変化であり、祝福なのです。
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