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食物アレルギーが難儀で厄介なのは「いったん発症すると治らないことが多い」ことに加え、「発症すればごく短時間で命を失う」可能性があり、「知識を身につけ応急処置の薬を携帯していても死んでしまう」リスクもあるからです。
2012年に東京都調布市の市立小学校で小学5年生の女子児童が食物アレルギーで他界したのは「チーズ入りのチヂミ」が原因でした。この女子児童にはチーズ(乳製品)のアレルギーがあり、チーズを除いた特別食が提供されていましたが、「おかわり」の際に一般児童用のチーズ入りチヂミが与えられたのです。偶発的に食物アレルギー、さらに重症化したアナフィラキシーを発症したとしても「エピペン」という注射薬を速やかに投与すれば救命できる可能性があります。しかし、この女子児童には適切なタイミングで使用されなかったのです。
=ゲッティエピペンはあったが……苦い事例
この事故を報告書(※1)から、少し詳しく振り返ってみましょう。時系列の経緯が記された(2)を見ると、女子児童がチヂミを食べた後、症状が出現し「先生、気持ちが悪い」と担任教師に訴えたのが午後1時22分ごろ。その2分後には担任が女子児童のランドセルに入っていたエピペンを取り出し注射する準備に入りました。しかし女子児童が「違う、打たないで」と言ったこともあり見合わせることにしました。午後1時31分ごろ、担任が母親と電話をし、母親からエピペンを打つよう要請されたものの、結局(担任ではなく)校長がエピペンを注射したのは午後1時36分ごろでした。しかも最初に注射を試みたときには針が刺さらず、再度の試行でようやく注射できたようです。
報告書を読んでいると、担任、養護教員、スクールサポーター、校長、他の職員のいずれもが必死で女子児童を救おうとしている様子がうかがえます。よって「発症から注射までに14分もかかっている。これでは助かる命も助からない」などと考えることはできません。では誰に、あるいは何に問題があったのでしょうか。「問題はエピペンにある」と私は考えています。女子児童が「違う、打たないで」と言った気持ちは分かりますし、その言葉に従った担任の思いも理解できます。医療従事者でない人が自分(や児童)に注射するのは口で言うほど簡単ではないのです。
注目の点鼻薬
ではどうすればいいのか。期待したいのが、過去のコラム「死に直結する食物アレルギー 悲劇を繰り返さないため、注目したい二つの薬」で紹介した「ネフィー」です。この薬はアナフィラキシー症状を抑えるアドレナリンの点鼻薬で、分かりやすくいえば「エピペンの点鼻薬版」です。自分(や自分の子供など)に針を刺すことを簡単だと考える人は(ほとんど)いないでしょうが、薬液を鼻腔(びくう)に注入することに抵抗のある人はそう多くないでしょう。少なくとも注射よりも簡単なのはあきらかです。ですから、ネフィーが普及すれば「エピペンの使用が遅れたことによる事故」を大きく減らせると考えられます。
=ゲッティ
上述のコラムでは、ネフィーは米国では承認され間もなく発売、と紹介しました。その後米国のみならず欧州各国でも発売開始(あるいは間もなく発売開始予定)となりました。そして、2025年9月19日、ついに日本でも「重度のアレルギー反応を抱える成人および小児(4歳以上で、体重15kg以上)」に対しネフィーが承認されました。製薬会社の発表(※2)によると、実際に発売開始となるのは「Q4 2025」(おそらく2025年第4四半期=2025年10~12月と思われます)とされていますから、間もなく医療機関で処方できることになるでしょう。
では、ネフィー(もしくはエピペン)を「適切なタイミング」で使えば必ず命は助かるのでしょうか。過去のコラム「エピペンは万能ではない 注意しすぎることはない食物アレルギー」(※3)で紹介したように、2016年にロンドン発ニース行きの機内でゴマアレルギーによるアナフィラキシーを発症した15歳の英国の少女、2023年に米国フロリダ州のディズニー・リゾート内で死亡した42歳の女性医師の両ケースではエピペンの使用が(少なくとも大きくは)遅れたわけではないのに不幸な結果に終わりました。2023年にロンドン東部の「Costa Coffee」のホットチョコレートで死亡した13歳女子の場合も母親が直ちにエピペンを薬局で入手しましたが間に合いませんでした。
「欠点」克服できるか
ここでエピペンの「欠点」を考えてみましょう。上述のコラムで述べたように、私見になりますが、欠点は三つあります。一つ目は「注射は簡単ではない」ことです。理屈の上では自分の(子供の)太ももに針を垂直に刺すだけですから手技としては難しくはありません。しかし、実際に自分(や子供)の太ももに注射するのは極めて困難です。「一発で」決めてしまわねばならない、というプレッシャーも課せられます。もしも中途半端な刺し方をしてしまって薬液が吸収されなければ命を救えなくなります。「失敗したら死んでしまうかも(自分が殺したことになるかも)」という思いが脳裏をよぎりますから決して容易ではないのです。米国の研究(※4)によると「成人の50%以上と小児の30%以上が、エピペンを使用すべきであったのに結果として使われなかった重度のアレルギー反応を少なくとも1回経験している」とされています。ネフィーなら使用のハードルが大きく下がりますから、このような事態にはなりにくいでしょう。
エピペンの二つ目の欠点は「有効成分(アドレナリン)の含有量が少なすぎる」ことです。エピペン1本あたりのアドレナリンはわずか0.3mgです。通常、救急医療の現場ではアナフィラキシーを発症している症例に対して、アドレナリンは0.5mg、場合によっては1mg使用することもあります。0.3mgでは少なすぎるのです。では、ネフィーはどうでしょうか。製薬会社の発表によればネフィーのアドレナリンの含有量は2mg(及び1mg)とされています。含有量がエピペンと異なるのは筋肉注射と鼻粘膜からの吸収では必要な用量が異なるからで、含有量による単純な比較はできないのですが、「注射を2回」と「点鼻薬を2回吸入」ではその簡便さがまったく異なります。ネフィー1個でじゅうぶんな効果が得られなかったのなら、もう1個を使えばいいわけです。さらに3個目を検討するという選択肢もでてくるでしょう。(当院では患者さんによってはエピペンを3本使用するよう助言しています)
エピペンの三つ目の欠点は針の長さです。エピペンの針は1.5㎝(小児用は1.3㎝)しかなく、これではやせている人以外は垂直に刺したとしても筋肉まで届かず、薬液は筋肉の外側の皮下脂肪で吸収されてしまいます。それでもある程度は効果が期待できますが、筋肉注射ほどには即効性がなくなります。この点ネフィーは心配する必要がありません。ネフィーの登場により、エピペンの使用頻度は激減することになるでしょう。ただし、私見を述べればネフィーを携帯するときにはエピペンも持っておいた方がいいと思います。ネフィーを使用した後に落ち着いて改めてエピペンを使用することもできるからです。点鼻での吸入だけでなく、筋肉注射も併用した方が効率よくアドレナリンが体内に作用することが期待できます。
重要なのは、発症しない・させない
ネフィーが使えるようになったとしても、食物アレルギーはできるだけ予防することが重要であることには変わりありません。前回はピーナツ及び木の実アレルギーの深刻さを例に出し、生後できるだけ早い時期、つまり離乳食開始時からのピーナツなどアレルギーを起こしやすい食物摂取がアレルギー発症予防に有効であることについて述べました。また、過去のコラム「近年急増するナッツ類の食物アレルギー 最新理論に基づいた予防法とは」(※5)では出生直後からのスキンケアで食物アレルギーを防ぐことができる可能性について触れました。これらは科学的に根拠のある有効な予防法であり、できるだけ多くの家庭で取り組んでもらいたい対策です。しかし、実践するのは容易ではありません。
=ゲッティ
ピーナツなどの早期摂取が予防に有効と言われても、摂取を急いだばかりにその場で重篤なアレルギーを起こすリスクがないわけではありません。また、徹底したスキンケアと言われると、保護者への負担がかなり大きくなり疲弊していく人たちも実際にいます。「食物アレルギーは発症すると治らない」と言われると、保護者にとっては、だからこそしっかり対策をしよう、という気持ちになると同時に、大きなプレッシャーにもなります。食物アレルギーとは本当に難儀で厄介な疾患なのです。
発症しない・させないが最善であることには変わりませんが、これまでは発症時の対処薬がエピペンしかなかったところ、ネフィーという待望の新薬が間もなく使えるようになります。これは大きな朗報であり、アレルギー治療の歴史が変わると言っても過言ではありません。ただし、食物アレルギーを起こしてしまえば食物によっては自然治癒が望めません。ネフィーが使えるようになったとしても、「原因食物の回避」が基本対策であることには変わりなく、これは本当に大変です。特に旅行(とりわけ海外旅行)の際には細心の注意が必要で、当院では現地で何かあったときのために英文の診療情報提供書を持参してもらっています。これからは、その書類に「この患者はネフィーを携帯しています」という文言を入れることになりそうです。
※1 https://www.city.chofu.lg.jp/100030/p056057.html
※2 https://ir.ars-pharma.com/news-releases/news-release-details/neffyr-epinephrine-nasal-spray-approved-japan-first-and-only/
※3 https://mainichi.jp/premier/health/articles/20240921/med/00m/100/005000c
※4 https://www.annallergy.org/article/S1081-1206(18)30482-4/abstract
※5 https://medical.mainichi.jp/articles/20250316/mmd/00m/412/037000c
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1991年関西学院大社会学部卒、2002年大阪市立大医学部卒。タイのエイズポスピスでのボランティアなどを経て、07年クリニック開設。大阪公立大非常勤講師。プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。