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京都で開催されたがん関連学会を訪れたとき、30代の女性から急に声をかけられました。「先生の動画のおかげで普通に食事ができるようなりました」。詳しく尋ねると、「私は乳がん治療中ですが、『がんはブドウ糖を餌とするし、脂肪も摂取してはいけない』というネット情報を信じて、何も食べるものがなくなりました。やせて元気もなくなり、本当に弱っていたのです。でも先生の動画を見て何でも食べて良いとわかり、今は安心しておいしいものを食べています」とのことでした。
私が外来診療で抗がん剤治療中の患者さんに、頻繁にする質問があります。「この2週間で最も高価で上等な食事は何でしたか?」です。この質問は患者さんのがん食事療法を考える上で、一番さえた方法と自負しています。その理由がわかりますか?
書店に並ぶ「がんが消える食事」の危険な罠
書店の健康本コーナーには「がんが消える食事」「がんを飢えさせる断食療法」「4つの毒を避けよ」といった本が数多く並んでいます。わらにもすがる思いのがん患者さんやご家族にとって、「食事だけでがんをコントロールできる」という言葉は希望の光に見えるでしょう。
しかし、腫瘍内科医として長年患者さんを診てきた立場から、はっきりと申し上げます。これらの方法は、臨床試験(患者の協力の下、厳密に検証する研究)でがんの縮小や生存期間の延長を確認できたものはありません。科学的根拠が乏しいにもかかわらず、一般の方が実践可能な方法として、こうした食事療法が人気を博しているのです。
「予防」と「治療中」では正反対の食事が必要
最も大きな問題は、がんの「予防」に良い食事とがんの「治療中」に必要な食事が実は正反対、という事実が無視されている点です。
一般的に「健康的」とされる食事――低カロリー、低脂肪、野菜中心、赤肉の制限――は、がん予防には確かに有効です。しかしがん細胞は体の栄養代謝を狂わせるため、初診時のがん患者の15~40%は既に体重が減っています(注1)。
さらに手術や抗がん剤治療は確かにがん細胞を排除しますが、同時に体も傷つけるため、修復のための栄養が必須です。となると、悪心、食欲不振、便秘、下痢、味覚不全などの抗がん剤治療の副作用で体重が減りやすい期間に安易な「健康的な食事」を続けることは、医学的にかなり危険です。
つまり、治療中のがん患者さんの体はがん細胞による代謝の乗っ取りと、強力な治療による組織損傷の修復という二重の負荷により、健康時とは全く異なる代謝状態にあるわけです。
がん悪液質という恐ろしいメカニズム
がん患者さんがやせるのは、単なる食欲不振や栄養不足のせいではありません。「がん悪液質(カヘキシア)」と呼ばれる、腫瘍が引き起こす複雑な代謝異常症候群が理由です。健康本コーナーの多くのがん食事療法が問題である根本原因は、この悪液質のメカニズムを無視しているからです。
健康な人が食事を減らすと、体は省エネモードに入り、基礎代謝を下げ、エネルギー源を脂肪の分解に切り替え、生命維持に不可欠なたんぱく質(筋肉)の分解を最小限に抑えようとします。
ところが、がん悪液質ではまったく逆です。がん細胞は勝手にどんどん増えて栄養を消費しますし、がん細胞から放出される炎症物質などのために、患者さんの体を強制的に「分解モード」に固定してしまうのです(注2)。表参照
その結果、以下のことが起こります。
•食事をしていなくてもエネルギー消費が増える(基礎代謝の高進)
•筋肉を構成するたんぱく質が急速に分解され、アミノ酸としてがん細胞のエネルギー源や資材として使われる
•通常の栄養補給だけでは、この筋肉減少を完全に止めることが困難
研究によれば、がん患者さんにおける全身のたんぱく質代謝回転は、非がん患者や飢餓状態の健常者と比較して30%以上も高進していることが示されています(注3)。高進した代謝で、患者さんの体を犠牲にして腫瘍の成長を支えています(注4)。となると、がん患者さんの食事制限は体が筋肉を守ろうとする防御反応が壊れた状態で外からの栄養補給も断ってしまうことになります。これがどんなに危険かわかるでしょう。
重要なのは「がんを兵糧攻めにする」という発想の根本的な誤りです。腫瘍は患者さんの状況に関係なく栄養を略奪する「寄生体」であるため、食事制限をしても腫瘍への栄養供給は止まらず、患者さんの生命維持に必要な栄養備蓄(筋肉・脂肪)が先に枯渇してしまいます。
「兵糧攻め」の大きな誤解
「がんは砂糖を餌にするから、糖質を断てばがんが死ぬ」という説が広まっています。しかしこれは1920年代のノーベル賞受賞者オットー・ウォーバーグの発見を曲解したもので、誤りです(注5)。確かにがん細胞は大量のブドウ糖を取り込みます。しかし、人体には血糖値を一定範囲に保つ強力なシステムがあります。脳や赤血球はブドウ糖を主要なエネルギー源とするため、糖質を食べなくても、体は肝臓で「糖新生」というプロセスを動かし、筋肉のアミノ酸からブドウ糖を作り出します。
極端な糖質制限をしても、血糖値がゼロになってがん細胞が餓死することはありません。むしろそうなると、そもそも命が持ちません。その代わりに、血糖値を維持するために自分の筋肉を分解し続けることになります。
さらに、がん細胞は非常に適応力が高く、ブドウ糖が不足すると、アミノ酸、乳酸、脂肪酸など別の栄養源に切り替えていくことがわかってきました。米スタンフォード大学の研究者らが指摘するように「がん細胞は非常に創造的であり、何が何でも燃料を見つけ出す」のです。そのため「特定の栄養素を制限してがんを兵糧攻めにする」という発想は事実上不可能です(注6)。
ケトン食療法の危険性
糖質を極限まで制限し、脂肪をエネルギー源とする「ケトン食療法」も注意が必要です。一部の脳腫瘍を除き、全身性のがん治療としての有効性は確立されていません。動物実験レベルですが、ケトン食ががん悪液質を促進するという衝撃的なデータが存在します。米コールド・スプリング・ハーバー研究所の研究によれば、膵臓(すいぞう)がんおよび大腸がんのマウスモデルにおいて、ケトン食は腫瘍の成長を遅らせる効果が見られたものの、同時にストレスホルモンレベルの上昇を引き起こし、筋肉と脂肪の減少(悪液質)を加速させました。その結果、ケトン食群のマウスは、通常食群よりも生存期間が短縮したのです(注7)。
がん患者さんの体は既に代謝的ストレス下にあります。そこに糖質制限というさらなる飢餓ストレスを加えると、悪液質という火に油を注ぐ結果になりかねません(注8)。極端な言い方をすると、「頭をけがして出血しているときに、止血するために首を絞める」ようなものでしょうか。
筋肉の減少が抗がん剤の副作用を激化させる
これは基礎研究に限りません。ヒトを対象とした近年の研究で、骨格筋量の減少(サルコペニア)が抗がん剤の毒性を増強し、生存期間を短縮させる最大の危険因子の一つであることが明らかになっています。がんサバイバーの11〜25%以上がサルコペニアを有しているとされ、特に消化器がんにおいてはその頻度がさらに高くなります。
なぜ筋肉が減ると副作用が強くなるのでしょうか。
多くの抗がん剤は身長と体重から計算して投与量を決めます。しかし、この計算では「その体重が脂肪か筋肉か」は区別しません。多くの細胞障害性抗がん剤は親水性のため、体内で脂肪組織にはあまり分布せず、主に筋肉や水分を含む組織に分布します。
•筋肉量が正常な患者さん:抗がん剤は十分な筋肉という「受け皿」に分散され、血中濃度は適正範囲に保たれます
•筋肉が減っている患者さん:分布先の筋肉が少ないため、血中の薬物濃度が相対的に高くなり、実質的な「過量投与」と同じ状態になります
30以上の研究を統合したメタ解析(結果の信頼性が最も高い研究)では、筋肉量が少ないと、治療継続困難な副作用リスクを約2倍以上に高めることが示されています。さらに、100以上の研究を統合した解析では、筋肉量が減少するごとにがん死亡リスクが1.41倍、サルコペニアと診断された場合は1.69倍に上昇することが示されています。
つまり食事制限による体重や筋肉の減量は、抗がん剤の副作用を激化させ、治療の継続を困難にし、結果として生存期間を縮める行為に他なりません。約3000人の進行がん患者を対象とした観察研究では、元々やせすぎだったり治療中で体重が著しく減っていたりする人ほど生存期間が極端に短い事実が判明しています。
「4毒抜き」の科学的根拠は?
「小麦、乳製品、植物油、砂糖」を毒として避けるべきだという説が一部で広まっていますが、これはがん治療中の患者さんにとって有害な栄養欠乏を招くリスクがあります。
乳製品は筋肉合成に不可欠な分岐鎖アミノ酸、特にロイシンを豊富に含む高品質なたんぱく源です。乳たんぱく質の摂取は高齢者の四肢筋肉量を有意に増加させることが示されています。がん予防の観点で言うと、カルシウム摂取は大腸がんのリスクを低下させ、乳製品の排除が推奨される科学的根拠は乏しいのです。食欲不振の患者さんにとって、ヨーグルトやアイスクリームのような喉越しの良い乳製品は貴重な栄養源です。
小麦・穀物は調理が簡便でエネルギー密度が高く、吐き気がある場合でも摂取しやすい重要な炭水化物源です。セリアック病などの特定の疾患がない限り、全粒穀物の摂取は大腸がんリスクを低下させます。
植物油は1gあたり9kcalという最も高いエネルギー密度を持ちます。少量で多くのカロリーを摂取する必要があるがん患者さんにとって、油脂の制限は致命的です。
マクロビオティック(玄米菜食)についても、後ろ向き研究において、実践者のがん生存期間が標準治療群より優れているという証拠は見つかっていません。厳格な玄米菜食はビタミンB12、ビタミンD、鉄分、そして何よりたんぱく質と総カロリーが不足しがちです。
ジャンクフードが「救命ボート」になる
健康な人にとって大量摂取は避けるべき高脂肪・高糖質の食品(アイスクリーム、ハンバーガー、ピザなど)が、食欲不振のがん患者さんにとっては「救命ボート」となり得ます。これを理解するには「カロリー密度」という概念を知る必要があります。
食欲がなく胃が圧迫されている患者さんにとって、大量の野菜スープやサラダの摂取は苦痛です。水分と食物繊維でおなかがいっぱいになってしまってたくさん食べられないため、必要なエネルギーを摂取できません。
野菜サラダ2カップのカロリーはわずか25〜5kcalですが、アイスクリーム1カップなら500kcalとたんぱく質8〜10g、チーズバーガー1個なら500〜700kcalとたんぱく質25〜30gを同時に摂取できます。ピーナツバター大さじ2杯なら、190kcalとたんぱく質7gが取れます。
欧州静脈経腸栄養学会や緩和ケアのガイドラインでも、終末期や高度の食欲不振時には、患者さんがその時に食べたいものを、食べられるだけ与えることが推奨されています。無理に嫌いな健康食を食べるよりも、好きなジャンクフードを食べる方が、実際の栄養摂取量が増え、生活の質も向上するというのが臨床現場の常識なのです(注9)。
治療中に必要なたんぱく質は通常の1.5〜2倍
がん治療中は、通常時の約1.5〜2倍近いたんぱく質(体重1kgあたり1.2〜1.5g以上)が必要です。この量を確保するには、たんぱく質の「質」と「アミノ酸スコア」が重要です。肉、魚、卵、乳製品といった動物性たんぱく質は、必須アミノ酸のバランスが良く、特に筋肉合成のスイッチを入れる「ロイシン」が豊富に含まれています。少量で効率よくたんぱく質を摂取できます。
豆や穀物などの植物性たんぱく質も健康的ですが、同じ量のたんぱく質をとろうとすると食べる量が膨大になり、一部のアミノ酸が不足しがちです。倫理的な理由がない限り、治療中は効率の良い動物性たんぱく質を積極的に活用することが、筋肉減少を防ぐ近道です。特に消化器がん患者の場合、摂取量や消化吸収力が低下していることも考慮すべきです。
「食べる楽しみ」を取り戻すことの重要性
「これを食べてはいけない」という強迫観念は、患者さんから食事の楽しみを奪い、社会的孤立を招きます。家族と食卓を囲み、おいしいと感じるものを食べることは、オキシトシンやドーパミンの分泌を促し、うつ状態の予防や免疫機能の維持にも寄与する可能性があります。
「ジャンクフードでもケーキでも、食べられるなら食べた方がまし」というアドバイスは決して投げやりではありません。患者さんの「食べる意欲」と「筋肉」を守るための、極めて医学的かつ人間的な処方箋です。とはいっても、ジャンクフードだけをとりわけ勧めるという意味ではありません。
抗がん剤治療の副作用で味覚障害が起きていたり、消化器がん手術後に食事量が減ったりした場合に、食べやすいものを選んで食べるのは良いのですが、多くの患者さんは食費にあまりお金をかけていないようです。経済的な問題もあるかもしれません。最近の抗がん剤は1カ月あたりの薬剤費が10万〜50万円以上になり、副作用で体にダメージを与えているのに、食事の質があまりに粗末だと「割が合わない」し、治療意欲が続かないと思うのです。
体重減に対し、栄養剤を活用する方法もありますが、甘い味に飽きが来て、難しい場合が多いです。しかし患者さんの中にはコンビニスイーツを全種類食べ続けて、15kg以上の体重減少を取り戻したと豪語する方もいます。もちろんがん治療に何の支障もありません。むしろ有利になったぐらいです。(実際にやる時は主治医と相談してください)
そんなに甘いものを摂取して大丈夫か、と思うかもしれません。食事が全くできない食道がん患者ではブドウ糖を主体とした高カロリー輸液をしつつ、抗がん剤と放射線治療で治すことも珍しくありません。重要なのは、適正で必要な栄養の確保です。
治療後は「予防モード」に切り替える
治療が終了し、がんが寛解・治癒した段階(サバイバーシップ期)に入ったら初めて食事療法を「予防モード」に切り替える必要があります。全米総合がんネットワークや世界がん研究基金のガイドラインでは、がんサバイバーに対して以下を推奨しています(注10):
•健康的な体重の維持(肥満の回避)
•植物由来の食品を中心とした食事(全粒穀物、野菜、果物、豆類)
•赤肉や加工肉の制限(だめではなく、極端に取りすぎるなという意味)
•糖加糖飲料の制限
•定期的な運動
重要なのは、この「健康的」な指針を、治療中の消耗している時期に適用してはならないということです。治療中は「戦時体制(カロリー・筋肉優先)」、治療後は「平時体制(予防・健康維持優先)」という明確な使い分けこそが、医学的に正しいアプローチです。
賢い患者になるためには
科学的に見て、がん治療中における「最も優れた食事療法」は特定の食材の排除や苦痛を伴う極端な食事療法ではありません。それらは科学的根拠に乏しく、体重と筋肉の減少を引き起こし、治療の継続を危うくする危険なギャンブルです。
真に科学的で有益ながん食事療法のポイントは
①総カロリーとたんぱく質の確保を最優先する<体重と筋肉を守ることが抗がん剤治療を完遂し、生存率を高めるための最大の武器です>
②手段を選ばない柔軟性<食欲がない時はアイスクリームでもハンバーガーでも食べられるものであれば何でも「良薬」。高カロリーな食品を恐れず活用しましょう>
③食事を楽しむ<ストレスのかかる制限食よりおいしく食べて心身の活力を維持することが長期的な予後を改善します>
④食材と料理にお金をかける<食べやすくおいしいものを探し続け、食事の楽しみと意欲を保つ>
インターネットやSNSの世界は、非専門家が何でも言いたい放題の危うい環境です。がんの専門家から見て「食事療法でがんを治す」発想は「外科手術が必要な複雑骨折を食事の工夫で治す」というぐらい的外れな主張です。しかも食事でがん細胞は消えることは証明されていません。
がんと治療で傷ついた身体を修復するための十分な栄養補給こそが、適切ながん食事療法です。食事療法はがんをやっつける「矛」ではなく、体を守る「盾」と考えてください。なお、体重減少を来しやすい消化器がんや肺がんと違い、消化吸収に問題が少ない乳がんや婦人科がんでは、体重増加が問題となる場合があります。要は適正な体重を保ち、極端な食事療法を避けることを心がけるようにしてください。
注1 Consensus definition of sarcopenia, cachexia and pre-cachexia:joint document elaborated by Special Interest Groups (SIG) "cachexia-anorexia in chronic wasting diseases" and "nutrition in geriatrics"
注2 がん悪液質ハンドブック
注3 Cancer cachexia and protein metabolism
注4 Metabolic responses to tumour disease and progression: tumour-host interaction
注5 Tumor alkalization therapy: misconception or good therapeutics perspective? – the case of malignant ascites
注6 The sugar-cancer connection: Five things you should know
注7 Considering the bigger picture in the treatment of cancer: new findings from the team taking on our Cachexia challenge
注8 Ketogenic Diets Are Associated with an Elevated Risk for All Cancers: Insights from a Cross-Sectional Analysis of the NHANES 2001–2018
注9 末期がん患者ご家族のための「在宅医療」の知識
注10 Survivorship: Nutrition and Weight Management, Version 2 2025年11月23日にアクセス
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押川勝太郎
宮崎善仁会病院非常勤医師
おしかわ・しょうたろう 1995年宮崎大医学部卒。国立がんセンター東病院を経て、宮崎善仁会病院非常勤医師。専門は抗がん剤治療と緩和療法。YouTubeでがん防災チャンネルを開設している。