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アルツハイマー病の終末期とは何か斎藤正彦・東京都立松沢病院名誉院長・精神科医
2024年1月2日
国際アルツハイマー病協会国際会議の歓迎レセプションで盛り上がる参加者ら=京都市左京区で2017年4月26日、小松雄介撮影
安全性確保のための「身体拘束」は不可避?
最近、地方の私立総合病院で、認知症の理解とケアをテーマに講演しました。
超高齢社会と言われる現在、認知症に対する対応は診療科を問わず、臨床医療全体にとって大きな課題となっているのです。講演後の質疑応答を終えようとしたとき、この病院の副院長から、次のような発言がありました。
「(長期にわたる入院が必要な患者さんのいる)慢性期病棟では、ほとんどの患者さんに(胃や腸などの消化管に穴を開けて、チューブやカテーテルにより直接栄養を注入する)経管栄養や、(体内の中心に近い太い静脈から継続的に栄養を投与する)中心静脈栄養を行っている。先生は、認知症医療において身体拘束はすべきでないとおっしゃるが、この場合、安全管理上、身体拘束はほぼ不可欠である。家族に助けてくれと言われればこうした医療措置は断り切れず、その後に事故があれば責任を問われる私たちは、一体どうすればよいのだろうか?」
多くの総合病院において、入院患者さんに占める高齢者の割合は高く、そのほとんどが多かれ少なかれ認知機能の低下をきたしています。そのため、身体疾患の治療中、安全確保を理由に、身体拘束がほぼデフォルトで行われているのです。
松沢病院にある拘束具。今はほとんど使うことがないという=東京都世田谷区の都立松沢病院で2019年11月5日、上東麻子撮影
そうなると、急性疾患の治療が終わっても在宅療養に戻れず、療養病棟(慢性期病棟)に移る患者さんも少なくありません。また、副院長の指摘通り、急性期病棟から療養病棟に移る時点で、多くの認知症の患者さんは人工的な栄養補給が必要になっています。
今月のコラムでは、認知症が進行して、咀嚼(そしゃく)や嚥下(えんげ)ができなくなった患者さんに対する経管栄養や中心静脈栄養などの可否に関する問題を取り上げます。認知症と言っても原因疾患によって経過は異なり、嚥下障害の様子も異なります。
ここでは、認知症の中で最も患者数の多いアルツハイマー病の終末期について考えます。
がんとは異なるアルツハイマー病の終末期
「終末期医療」という言葉から何を思い浮かべますか?
2012年、日本老年医学会は、「終末期とは症状が不可逆的かつ進行性で、その時代に可能な限りの治療によっても病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避となった状態」であるという定義を発表しました。ただ、これでは、なんだかよくわからないかもしれません。
例えば、がんが進行すると、生命予後がかなり正確に見通せるようになります。専門の医師に余命3カ月、と宣告されたら大体そのとおりになります。通常、患者さんは死の直前まで判断力を維持しています。
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したがって、自分の最後の時間をどう過ごしたいか、どのような医療を受けたいか、自分の意思で決められますし、家族との相談も可能です。
なお、あまり意識されませんが、自分で決められるということは、いったん、こうと決めた療養方針でも、状況に応じて自分で変更できるということでもあります。
では、アルツハイマー病の場合はどうでしょう。
先に触れたがんの終末期とは異なり、始まる時期がはっきりしないし、その後の経過もさまざまです。また、多くの患者さんは判断能力を失っています。
アルツハイマー病は脳の神経細胞が徐々に脱落していく病気です。
最初は記銘力低下(短期記憶障害)などの認知機能の低下が起こりますが、やがて、衣食住にまつわる生活動作ができなくなり、並行して運動機能が衰えます。まず、指などの繊細な動きから始まり、徐々に、歩く、走る、立つ、座るといった大きな筋肉を動かす運動が拙劣になります。
最後に、水や食物を飲む、吐く、のどのたんを吐き出すなど、生命維持に必要な(したがって無意識にいつも動いている)筋肉の運動が衰えてきます。
こうなると、栄養が十分取れなくなり、風邪などの軽微な感染症がなかなか治らなくなります。アルツハイマー病の終末期は、この生命の維持に必要な無意識の体の動きが障害される時期だと言っていいと思います。
しかし、このように定義するとしても、ある日突然、食べ物が食べられなくなるわけではなく、月単位、場合によっては年の単位で徐々に嚥下機能が低下していくので、振り返って、あのころから肺炎が増えたということは言えても、将来を見据えて、「ある時点でこれから終末期に入ります」という判断は困難です。
また、無意識の体の動きが障害されるようになっても、生命予後を月単位で予測することはできません。介護の方法によっては1年、2年、何もしなければ数週間かもしれません。しかも、この時期になると患者さん自身の意思で医療措置の可否を決めるということができない場合がほとんどです。
終末期における人工的な栄養補給をどう考えるか
アルツハイマー病の終末期には、上手に水や食物をのみ込むことができなくなります。その結果、栄養障害、繰り返す肺炎と発熱などの症状が出現し、やがて死に至ります。
病気や加齢で起きる嚥下障害
アメリカのナーシングホーム(みとりも行う老人ホーム)における進行した認知症患者323人の18カ月予後調査では、85.6%の患者さんが食事の困難をきたし、その後、発熱や肺炎を起こし、54.8%の患者さんが死亡していました(Michell SL, Teno, JM, Shaffer ML, et al The Clinical course of advanced dementia. N engl J Med.361:1529-1538,2009)。
認知症終末期の肺炎や発熱の大きな原因は、食物、水、唾液が気管に入ってしまうために起こります。口から食べられなくなる時期、というのがアルツハイマー病をはじめとする認知症が終末期に至る重要な転換点であることは間違いなさそうです。
経管栄養には主に、腹壁から胃に直接通じる胃ろうを作る方法と、鼻から細いチューブ(経鼻カテーテル)を胃まで入れる方法があります。その多くは、患者さん自身の希望ではなく、たいていの場合、家族の希望で行われます。
患者さんにとっては、意味も分からず体に異物がつけられるわけですから、苦痛だけを感じます。危険を理解せず、経鼻カテーテルを抜いたり胃ろうをいじったりする可能性があるため、危険防止の名目で、継続的な身体拘束が行われる可能性が高くなるのです。
アルツハイマー病が進行して、口から栄養を取ることが困難になった患者さんの経管栄養には、病状の改善による離脱の可能性がありません。したがって、手を動かして胃ろうや経鼻カテーテルをつかむ能力が維持されている限り拘束を解いてもらうことはできません。
胃ろうの接続口に注射器を差し込み、栄養剤などを注ぎ込む。栄養剤のカロリー量は医師の指示を受けた家族が状態によって調節することが多い=東京都目黒区で2012年5月11日、稲田佳代撮影
また、アルツハイマー病終末期の患者さんに胃ろうや経鼻カテーテルを入れたからといって、誤嚥性肺炎の予防、生存期間の延長、褥瘡(じょくそう)や感染リスクの軽減、症状緩和に効果があるという科学的根拠はなく、治療効果はよくわかっていません。しかし、私自身の経験では、栄養障害は免れるので、延命ができないということはないと思います。
ご家族の希望で経管栄養を実施した80歳代のアルツハイマー病終末期の患者さんの場合、検査データを見ると、開始してすぐに、栄養状態を反映する血中アルブミン値が正常に回復し、そのまま2年ほど安定した時期を過ごしました。
この患者さんは、亡くなる2、3カ月前から急速に腎機能、肝機能が低下し、並行して栄養状態が低下しました。経管栄養を行わなければ1、2週間で死亡していましたから、少なくともこの事例については十分な延命効果があったのです。
アルツハイマー病終末期の経管栄養の判断には、患者さんだけでなく、介護する施設の手間や診療報酬と密接に関係しているということです。たとえば、誤嚥性肺炎で急性期病院に入院した患者さんが退院して介護施設に移るには、感染症や合併症のリスクが高い中心静脈栄養などの難しい医療行為を伴わない経管栄養を行う必要があります。
島根県が作成した「不適切な身体拘束を防止するための手引き」を、イラスト付きで紹介したパンフレット
介護が専門ではない療養病床では、嚥下が難しくなった患者さんにゆっくり食事介助をする時間がないので、経管栄養にしてしまった方が手間はかかりません。
経管栄養に関わる意思決定
東京都立松沢病院の新里和弘医師と、東京大学名誉教授の大井玄先生は、進行した認知症の患者さんに胃ろうをつけたいかどうかを質問してみる、というユニークな調査をしています。平均年齢80歳の男女70人の入院患者さん(多くはアルツハイマー病)を対象としたこの調査では、胃ろうを望んだ患者さんは一人もいませんでした。
80%の患者さんは、積極的な拒絶の意思を示しました。新里医師は、こうした進行した認知症患者さんの「いやだ」という言明は意思決定として尊重されるべきだということを医学的・生物学的・哲学的観点から論じています。(認知能力の衰えた人の「胃ろう」増設に対する反応.Dementia Japan 27:70-80,2013)
とはいえ、現実的にはアルツハイマー病終末期の医療、ケアでは、本人の意思が確認できないことが多いために、重要なことは、家族の判断に基づいて行われます。しかし、アルツハイマー病終末期の経管栄養の是非は、ご家族にとっても非常に難しい判断です。
経管栄養を採用しなければ1、2週間以内に亡くなります、経管栄養を行えば少なくとも当座の命は救えます、と言われても、死に至る過程がどんなものなのか、あるいは経管栄養でつないだ命はその後どうなるかわからないからです。
私は、患者さんの身体機能が徐々に低下する兆しが見えた時から、その後のことについてご家族と頻繁にお話しするようにしています。その間、日々変化する患者さんの状況を見ていると、ご家族の理解も少しずつ深まりますし、私自身の予測もだんだん固まっていきます。
専門家と患者さん、ご家族の間の基本的な信頼関係の中でゆっくりと醸成された意思は、たいてい、患者さんにとっても、ご家族にとっても妥当な線に落ち着きます。
世界アルツハイマー月間 オレンジ色に照らされた慈尊院の多宝塔=和歌山県九度山町で2023年9月18日、駒木智一撮影
誤嚥性肺炎を治療するために入院し、急に意思決定を迫られるケースなどでは、経管栄養、身体拘束の悪循環にはまっていくことが多いような気がします。
現在の認知症医療、介護の状況は、分化が進んで効率的になる一方で、人間の生涯の最後のステージを分断し、認知症になり、経管栄養にされ、拘束されて死を待つという悲惨な状況を生み出しているように見えます。
アルツハイマー病は単なる物忘れの病気ではなく、さまざまな身体機能をおかし、最後は嚥下のような生命維持のための機能を奪う、死に至る病です。最期の時を悔いのないものにするには、時間をかけた準備が必要です。
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私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。