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研究の不正やデータの捏造(ねつぞう)が生まれる理由は二つに分けることができます。一つは「世界をあっと言わせたい」という功名心や名誉欲からのもの、もう一つは企業の利益を目的としたものです。
前者としては、おそらく日本ではSTAP細胞を思い浮かべる人が多いでしょう。世界的には、過去のコラム「麻疹感染者を増加させた『捏造論文』の罪」(※1)で紹介した「MMRワクチンで自閉症が生じる」とした英国の消化器内科医ウェイクフィールド氏や、過去のコラム「STAP細胞よりひどい…社会を揺るがす二つの捏造論文」で紹介した、アミロイドβがアルツハイマー病の原因であると主張するためにデータを捏造した米国の神経学者シルヴァン・レスネ氏が有名です。
他方、企業の利益を目的とした不正や捏造としては、過去のコラム「がん、認知症、心血管疾患のリスクが上がる!? 虫歯、肥満だけじゃない砂糖の有害性」で取り上げた「砂糖の有害性を隠すため」につくられたSugar Research Foundation (=SRF=砂糖研究財団)」や、コカ・コーラ社からの多大な資金援助によって設立された「Global Energy Balance Network(世界エネルギーバランスネットワーク)」という団体がよく知られています。
不正な論文が企業の武器に
今回取り上げるのも企業の利益を目的として不正に作成された論文です。その論文とは2000年に科学誌「Regulatory Toxicology and Pharmacology」に掲載された「除草剤ラウンドアップとその有効成分グリホサートのヒトに対する安全性評価とリスク評価」(※2)です。経緯を時間軸で整理してみましょう。
グリホサートを成分とする除草剤「ラウンドアップ」
米国ミズーリ州に本社を置くモンサント社がグリホサートを主成分とする除草剤「ラウンドアップ」を米国で発売したのは1974年、日本では日本モンサント社が80年代に販売を開始し、その後日産化学に販売権が移行しました。欧州では2002年に販売が開始され、現在世界140カ国で使用されています。100種以上の雑草と60種以上の多年生雑草の防除に有効とされ、農地のみならず産業施設や住宅地においても使用されています。しかしその一方で、発売当初から有害性が指摘されていました。有害性とは「発がん性」「内分泌かく乱作用」「腎臓や肝臓の機能低下」「環境汚染による生態系への悪影響」などです。
そういった安全性への疑問の投げかけに対し、00年、上述の論文が公開されました。この論文はグリホサートを「ヒトの健康への懸念はない」と評価し、モンサント社はこの論文を武器に安全性を強く訴えるようになりました。
しかし安全性への懸念はやみませんでした。そして、グリホサートにより非ホジキンリンパ腫を発症したと主張する人々がモンサント社を提訴しました。この訴訟を受け、WHOは15年、グリホサートを「おそらく発がん性がある」と考えられるグループ2Aに分類(※3)に分類しました。日本でも内閣府の食品安全委員会(※4)がこの発表をウェブサイトで報告しました。
ところが翌年の16年、FAO/WHO合同残留農薬専門家会議(JMPR)が開催され、「グリホサートがヒトに対して発がんリスクをもたらす可能性は低い」と結論付けられました。(※5) さらに17年3月、ECHA(European Chemicals Agency:欧州化学品庁)は、「グリホサートがヒトにがんを引き起こす、または何らかの変異性をもたらせる証拠はない」と報告しました。(※6)ECHAは2022年にも同様の結論を下しています。EFSA(European Food Safety Authority:欧州食品安全機関)も、「入手可能なデータではグリホサートの有害性を証明するのに十分な証拠が得られていない」と述べました。米国も22年、EPA (Environmental Protection Agency:環境保護庁)は「グリホサートによるヒトの健康への懸念リスクはない」と報告しました。23年11月28日、欧州委員会はグリホサートの承認期間を延長することを決めました。
科学誌の検証
このように、世界の各機関が、15年のWHOの見解を覆しグリホサートの安全性を担保するような発表をおこなうなか、科学界は別の動きを強めていました。科学誌「Science」(※7)によると、17年、モンサント社の幹部らがWHOの発表にどう対応するかを議論していたときの社内文書が明らかになりました。「ラウンドアップには人体へのリスクがない」ことを示す論文を研究者が発表できるよう支援していたことが発覚したのです。同社幹部は電子メールで、その方法の一つとして、「論文には研究者の名前を載せるが、執筆自体はモンサント社の社員がおこない、研究者には署名だけしてもらう」という条件で研究者らにアプローチしていたことが明らかになりました。そのような流れで作成された論文が後に撤回されることになる上記の論文だというわけです。実際、見つかった電子メールにはその論文が「このように我々が企てたものだ(this is how we handled)」と記されているようです。
=ゲッティ
Scienceによると、論文執筆にモンサント社の従業員の関与が明らかになったことに加え、その論文では同社が実施した未発表の研究のみが取り上げられ、(安全性を疑問視する)外部研究には触れられていません。科学誌「Regulatory Toxicology and Pharmacology」の共同編集長Martin van den Berg氏は「そういったことが研究の結論をゆがめた可能性がある」と述べています。この論文の執筆者は3人います。筆頭著者の元ニューヨーク医科大学の病理学者Gary Williams氏は「Regulatory Toxicology and Pharmacology」からのコメント要請に応じていません。他の2人、Robert Kroes氏、Ian C. Munro氏は既に他界しています。
2025年11月28日、「Regulatory Toxicology and Pharmacology」はついにくだんの論文を「撤回」しました。
再検証の結果は
ラウンドアップの安全性を検証した研究ではどのような結論が出ているのでしょうか。これまでに発表された研究を集めて検証しなおした論文「グリホサート曝露(ばくろ)に関連するヒトの健康影響の概要」(※8)から有害性の報告をまとめてみましょう。
・非ホジキンリンパ腫発症率が上昇する
・急性骨髄性白血病の発症リスクが増加する
・いくつかのがんのリスクを上昇させる
・遺伝子損傷を誘発することで脳機能を制限する
・慢性的な呼吸器症状や肺機能の低下を引き起こす
・腸内細菌叢(そう)に影響を及ぼし、腸粘膜機能を破壊し慢性炎症を誘発する
・DNA損傷を引き起こし突然変異や制御不能な細胞増殖を誘発(がんを引き起こす)
・女性ホルモンや男性ホルモンの合成に影響を与え、内分泌をかく乱する
・流産や早産のリスクとなる
現時点でこれらの強いエビデンスがあるわけではなく、くだんの論文の撤回はグリホサートの歴史に残る大きな出来事であるとは言えますが、各国政府はこれだけでグリホサートの大幅な規制に乗り出すわけではないでしょう。
現在、英国や仏国を含む欧州のいくつかの国ではすでに使用が大きく制限されていると聞きますが、日本では規制がほとんどなく、ホームセンターや農協でも簡単に購入できます。農業に広く使われているだけでなく、庭や公園、道路などでも使用されています。
ではどうすればいいのでしょう。安全性を訴えた論文が撤回された以上、可能な限り暴露は控えるべきではないでしょうか。
※1 麻疹感染者を増加させた「捏造論文」の罪
※2 Safety Evaluation and Risk Assessment of the Herbicide Roundup and Its Active Ingredient, Glyphosate, for Humans
※3 IARC Monographs Volume 112: evaluation of five organophosphate insecticides and herbicides
※4 コーデックス委員会は、国際がん研究機関(IARC)がダイアジノン、グリホサート及びマラチオンを「ヒトに対しておそらく発がん性がある」(グループ2A)への分類等の全般的な事項に対する対応を検討したことを公表
※5 Pesticide residues in food 2016. Report of the special session of the Joint Meeting of the FAO Panel of Experts on Pesticide Residues in Food and the Environment and the WHO Core Assessment Group on Pesticide Residues
※6 Glyphosate not classified as a carcinogen by ECHA
※7 Journal retracts weed killer study backed by Monsanto, citing ‘serious ethical concerns’
※8 Overview of human health effects related to glyphosate exposure
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1991年関西学院大社会学部卒、2002年大阪市立大医学部卒。タイのエイズポスピスでのボランティアなどを経て、07年クリニック開設。大阪公立大非常勤講師。プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。