|
真の愛によって克服するところに怨讐はない
1998年9月21日
イースト・ガーデン
イースト・ガーデンで、祝福家庭に語られた御言
原因の中心は神様
みんな祝福家庭ですね? 祝福家庭たちが行かなければならない責任がどのくらい重要なのか、皆さんは分かりますか? 祝福家庭というのはどんな意味ですか?
予言書(『彼は誰なのか?』)については以前、話をしてあげたでしょう。韓国の予言書について、知っている人は手を挙げてみてください。みんな知らないのですか? (「この本が出てあまりたっていません」)。
その次に、文鮮明先生御言特別選集の第十巻と第十一巻『地上生活と霊界』を全部読むか、聞いた人、手を挙げてみてください。 (「約三分の一くらいになります」)。これでは、統一教会の人なのか、どこの教会の人なのか分かりませんね。統一教会の人ですか?
その次に、李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』の本を読むか、聞いた人は、手を挙げてみてください。 (「その本は全員読みました」)。それは結果なのです。霊界について説明したものです。すべてのことは原因がなければ結果は現れないのです。
さあ、そのような本がなぜ必要なのかというのです。教会の責任者たちが答えてみてください。霊界が先ですか、人が先ですか? (「霊界が先です」)。霊界が原因なのです。人は結果です。神様の救援歴史を通して、人間が行かなければならない最後の目的地がどこかといえば、原因世界で堕落したので、再び原因世界に帰って、結果世界に連結させなければならないのです。原因世界という根本をはっきりと分からなければ、結果世界において確実な完成ということはあり得ないのです。それは理論的なことです。
霊界が原因世界です。原因の世界なのです。原因の核、原因の中心が何ですか? (「神様です」)。 神様。 「神様」という一言にすべて含まれますが、神様の内容とは何でしょうか? 神様自体は人格的な神です。私たち人間自体は、結果の存在として原因に似ているのです。では、原因であるその神様は、どのような存在でしょうか?
結果を見ると、二性性相になっているのです。二重になっているということを皆さんは知っているでしょう。人間は男性と女性になっていることもありますが、心と体からなっているのです。この心と体との関係で、心が何かといえば、神様と連結されているのです。皆さん、そのようなことを感じますか? (「はい」)。皆さんの心はどうですか? 心の方向が、一日、二日、毎日のように変わりますか、変わりませんか? (「変わります」)。なぜ、そのように変わり得るのですか?
神様が変わり得るように造られたので、そうなのでしょうか? 神様が変わらないように造られたのに、そうなのでしょうか? どちらなのですか? (「変わらないように造られました」)。それはあなたたちの話でしょう。それをどうして分かるのですか? (「お父様が言われたので信じます」)。信じることと実体は違います。信仰と生活が違うのと同じです。
それでは、神様が、心の変わることのない人間として造られたのに、変わるようになったということは、事故が起こったとか、何か問題が生じたためでしょうか、それとも、そのままそうなってしまったのでしょうか? ただ、そのままそうなったのなら、神様の創造が間違いであり、神様がいない、ということになるのです。
みだらで、邪悪で、いいかげんな人間
では、神様はどのようなお方でしょうか? (「神様は変わらないお方です」)。そのお方がだれですか? 創造主ですか、私たちの先生ですか? 私たちとどんな関係ですか? (「私たちの父母です」)。父母なのです。
「父母」というその言葉は、何も分からないこのような立場で立ててはいけません。このように、尋ね尋ねて、入って行って、最後に、神様と私たちが関係を結ぶようになる時に、「父母」という言葉が出てくるのです。
それでは、神様が皆さんの父母であるなら、だれに似たでしょうか? 父母と子女は似ているのです。子女を三、四人だけ見たら、お母さん、お父さんがどのような人か分かるのです。人間が神様の子女であるならば、世の中に子女がこのように多いのですが、神様はこの人たちに似ているでしょうか、どうでしょうか? (「似ています」)。人に似ているならば、人自体には人格というものがあります。標準的な人格があります。
それが何かといえば、私たちの良心の世界、心において見れば知情意があります。私たち人間の価値を認めるためには、心の世界が、どのようになっているのかを知らなければなりません。知情意になっているのです。知情意を備えた人が願うことは何でしょうか? 知情意を備えた人格的な人が好むことは、真善美なのです。真善美を追求するのです。知情意を中心として真善美の人格を備えなければならないのです。それでは、その真善美の中心概念は何でしょうか?
真とは何でしょうか? それは変わりますか、変わりませんか? (「変わりません」)。何が真ですか? (「『原理講論』です」)。『原理講論』は文字で書いた御言です。何が真理ですか?
さあ、(右手を挙げられて)この手が右手ならば、右手トゥルースでなければなりません。これは、万人がみな同じでなければならず、永遠に変わってはならないのです。ここ(小指の三番目の関節を指されて)、この一つの関節だけでもなかったら、どうなりますか? これだけ、この一つの関節だけなくても、これがトゥルース・ハンドですか?
真というのは、標準でありモデルであって、その標準は、変わらないすべての統一的な内容を備えていなければならないのです。この(小指の)一つの関節も、「右手の最後の指のこれだ」と分からなければなりません。どこのものだという確実な証拠にならなければならないというのです。
では、ある人は、右手は真でその右手一つだけあるというとき、その人は、真なる人になりますか? これが問題になるのです。本当の真なる人にはなることはできないのです。家の場合、完全なものを持ってきてつけて完成した後に、完全な家だということができるのです。同様の理論です。完成した後に、私たちは完全な家だというのです。
では、あなたたちは、完全な人格者になりましたか? (「なっていません」)。それでは、点数をあげるなら何点あげなければなりませんか? もし、神様が点数をくださるなら、何点くらいになりますか? 百点の人がいますか? このように見るとき、人間たちがどのくらいみだらで、邪悪で、いいかげんで、混沌としているか、ということが分かるのです。
変わり得る人を必要とする人が、この宇宙にいるでしょうか、いないでしょうか? 変わる人を願うでしょうか、変わらない人を願うでしょうか? 皆さんのように変わり得る人たちが、この変わらないすべての宇宙をもとうとする時、宇宙が喜んで抱かれようとするでしょうか? つばを吐いて嫌がるでしょうか? (「つばを吐いて嫌がります」)。つばを吐くだけでなく、頭を振って「嫌だ」と言うでしょう。(笑)
それでは、あなたたちが食べる食物は、どのくらい真理体ですか、変わるものですか? (「変わらない真理体です」)。では、それらが皆さんの口に入る時、それらが喜ぶ皆さんになっていますか、それらが嫌がる皆さんになっていますか? (「嫌がる私たちです」)。それが分かって、真なる人になろうとするならば、それらを食べなければなりませんか、食べてはいけませんか? (「……」)答えてください。(「食べなければなりません」)。それなら、真でない皆さんが、そのような真なるものをすべて殺してしまったということになります。悪い言葉で言えば、殺人者になりました。
このように見るとき、世の中に優れた人、正しい人はいますか? 皆さんは毎日、「あの人は優秀だ。この人は悪い。どうだこうだ」と言いながら生活しています。その人が正しい人ですか、間違った人ですか?
絶対愛の器官
ところで、皆さんは、なぜレバレンド・ムーンについて回るのですか? 真理が真だからですか、レバレンド・ムーンの手が真だからですか? 何を見て、ついて来たのですか? 何を見て、ついて回るのですか? この者たち。 レバレンド・ムーンが東洋人として一番愚かな人なのでついて来たのですか? そうではないでしょう。東洋人の中で一番美男子なのでついて来たのですか? それは可能性があるのです。どうしてついて来たのですか? (「一番の美男子だからです」)。
では、西洋の食口は、東洋の美男子を願いますか、西洋の美男子を願いますか? (「東洋の美男子を願います」)。(笑)
真理というのは、変わらないものです。すべてのことがそうです。手も真理であり、すべての体の部分が、体を代表する真理です。では、この体の代表になり得る部分はどこですか? 顔です。その次に代理部分、顔から上中下、四肢があるのです。その三つの部分の中で、一番重要な部分がどこですか? 顔ですか、目ですか、へそですか? 足ですか? (「目です」)。 目なのですか?
ここに男性と女性がいますが、男性が男性であり、女性が女性であるということを区別できるのは目ですか? (「違います」)。それでは何ですか? 尋ねたのですから、答えてみてください。(「生殖器です」)。あなたたちはその愛の器官をもっていますか? (「はい」)。愛の器官は、一番恐ろしいものですか、一番良いものですか? (「一番良いものです」)。
では、アメリカ人を中心として見るときに、アメリカ人の愛の器官は変わらない生殖器ですか、毎日変わる生殖器ですか? (「変わる生殖器です」)。その変わるものは、真ですか、偽りですか? ごみ箱へ行くものですか、王宮へ迎え入れられるものですか? (「地獄へ行くものです」)。
道徳とは何をいうのですか? ご飯を少し食べることですか? 断食するのが道徳の価値ですか? 道徳の中心がどこから立てられたのか、というのです。女性が守らなければならない道徳、男性が守らなければならない絶対的道徳とは何でしょうか? 変わる愛の器官の上に立つのですか、変わらない愛の器官の上に立つのですか? (「変わらない愛の器官です」)。変わらない愛の器官とはどんなものですか? 絶対愛の器官だというのです。
神様は第一の神様、私は第二の神様
今日、私たちの心の世界は変わり得るのですが、変わらない本然の場所がどこにありますか? 神様がアダム・エバを中心として創造する時、「変わる」という概念が介在していないのが、本然の世界であるということは間違いありません。それは何を中心とした世界でしょうか? あらゆる無限の調和と変化が愛によって動ずるというのが、妥当な結論なのです。このように言うことができます。
なぜ、永遠に変わらないのでしょうか? 核心が連結されているからです。それが発電機です。神様と連結されている発電機です。発電機は神様の立場を代身するのです。真の愛の本然の発電所は神様です。そのような本来の発電所は、神様の真の愛の発電所と連結されているのです。この発電所から出てくるプラスとマイナスが連結される時、バチッとスパークするのです。
皆さんの家庭でもプラスとマイナスが出会う時、スパークが起きるのです。そして、このスパークが起きる中で、二人が一つになり定着するのです。どんな力もこれを離すことはできません。それをいくら離そうとしても、離すことはできないのです。そうでしょう。男性・女性の愛は、プラス・マイナスの電気がスパークを起こすのと同じなのです。世の中ではどうですか? フリーセックスはどうですか? 離すことができないですか、いつでも離すことができますか? (「離すことができます」)。
愛が好きですか? (「はい」)。目も愛するようになれば喜び、鼻も愛するようになれば喜ぶのです。口も愛するようになれば、「ワワワワ」と言って喜ぶのです。耳も動き、体も動き、全部動くのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。
女性は、愛をそのように起こすことのできる力の動機をつくるのです。プラスがあれば、マイナスが動いて環境を占領します。そのような運動をするために、女性・マイナスには、プラス電気を代表する愛の力が相対として絶対に必要であり、男性にはマイナスの愛の力が絶対的に必要なのです。永遠に、絶対変わらずに必要なのです。
ここに集まったのは人ですが、人といえば何をいうのですか? 男性と女性をいうのです。男性と女性が何ですか? 男性の人格があり、女性の人格があります。それでは、人格というときには、必ず心に知情意があって、真善美の完全な価値の内容を備えた者をいうのです。それは、女性ならば完全な女性であり、男性ならば完全な男性の価値なのです。完全な人格です。
神様も同様です。「神様は人格的神だ」という結論を下すことができるのです。人格的神です。それゆえ、宗教を中心として人間の完成は、人格的神を発見しなければ完成できないのです。父親のことが分からなくては、子女のことは分からないのです。
神様を見ましたか? 神様は第一の神様であり、私は第二の神様であることを知らなければなりません。息子だということは、どういうことでしょうか? 息子といえば、神様の愛と一体となっており、生命と一体となっており、血統と一体となっているということで、第二の神だというのです。アメリカでいうなら、姓がマクドナルドなら、マクドナルドお父さんは第一のマクドナルド、息子は第二のマクドナルドです。神様は第一の神様、私たち人間は第二の神様、同じことです。
私は神様の息子・娘なので、第二の神様なのです。そうですか? (「はい」)。なぜ、第二の神様ですか? 神様に似たというのです。神様が上で、私が下であるというだけです。この二つが一つの体にならなければなりません。何で連結するのですか? お金の関係ですか? ここには三種類あります。愛の因縁、父母の生命の因縁、父母の血統の因縁を中心として連結されているので、似ているというのです。分かりますか? (「はい」)。
原因と結果が、同じ線で連結されているのです。愛の線、生命の線、血統の線で、神様につながっているのです。神様もこれがなければ、気が狂ってしまうのです。それで、私たち人間は、お父さん・お母さんの愛を受けざるを得ず、愛さざるを得ない立場だというのです。愛は二つの生命体を一つにさせる力があり、それが回り、回って、宇宙の力と交じり合う中で、生命の種が蒔かれ、育てられたのが私だというのです。
お父さんの性格というのは、お母さんの性格を愛するのです。愛らしい顔、体、笑い声など、すべてのものから愛を感じるのです。女性の体の動き、まなざし、笑顔、受け応えするすべての雰囲気。体で感じるその中で、男性であるお父さんと女性であるお母さんは一つになって、あらゆる方向に回転するのです。分かりますか?
その回転の力は、分離させようとしても分離させることができないくらい、強い力をもっているのです。その中で二人が完全に一つになる作用を通して、絶対的な一つの体になるのです。それで? (「喜び」)。何をもって喜ぶのですか? 愛の関係を通してです。(息が止まる表情をされながら)停止、完全停止。どんな強い力だとしても、その喜びほど大きくなることはできません。
完全極致に到達した後に離れるのです。その時、本然の出発点であるゼロの状態になります。再び極致に到達したら、その状態でより大きい宇宙くらいの大きさになり、また、原点から始めたら、よりもっと大きくなるのです。その大きさは、もっとたくさんの人類を愛することができる内容を内包しているのです。その中でもっと大きな力と出合い、一緒に楽しむことができるのです。
そのような愛の行為は、宇宙を神様よりもっと美しく大きい存在につくるのです。神様よりもっと大きくなろうとするのです。(「何が神様よりもっと大きくなろうとするのですか?」通訳者)人間自身の愛の欲望が、神様よりももっと大きくなろうとするのです。
あなたたち、神様より高くなりたいですか、低くなりたいですか? (「神様より高くなりたいです」)。みんな、そうですか? あなたたち、先生より高くなりたいですか、低くなりたいですか? (「高くなりたいです」)。
四十年間悪口を言われながらじっとしていた
愛国者と逆賊の違いは何でしょうか? 愛国者とは国の未来にプラスになることができ、国が何倍も復興できる道を立てる人です。彼を忠臣というのです。自分の利益のために国を売るならば、逆賊だというのです。善悪の分岐点がここで生じる、ということを知らなければなりません。個人の目的のために国を売る者は滅びるようになっているのです。同じ立場です。
「私は以前、統一教会の重要な食口だった。しかし、今は違う立場にいる。私は統一教会が悪いところだと宣伝している」。なぜ、そのような行動をするのですか? それは、彼自身の利益のためにそうするのです。分かりますか? 彼自身がサタン側にいるためです。怨讐の立場にいるためです。言い換えれば、サタンが喜ぶ立場にいるからなのです。間違いありませんか? (「はい」)。
統一教会のレバレンド・ムーンは、じっとしています。四十年間悪口を言われましたが、じっとしています。私がだれかを悪いと宣伝しましたか? アメリカが反対し、アメリカ政府が裁判をしたのです。原告がアメリカ政府であり、被告が文鮮明個人です。文鮮明、ただ一人なのです。だれが悪い宣伝をしたのですか? アメリカ政府がしました。レバレンド・ムーンをコーナーに追い込んだのです。
今まで、共産党がありとあらゆる反対をし尽くしました。しかし、調査をしてみると、レバレンド・ムーンには罪がないということがかえって明らかになったのです。
(一九五五年に)韓国政府が世界の世論のゆえに、レバレンド・ムーンを監獄に入れて調査をしてみましたが、何もないのです。それで、兵役忌避の罪をきせようとしましたが、それでも引っかからないので、無罪の判決が下りました。そのことを世の中は知らないのです。それも(韓国政府が)「宣伝するな」と言ったのです。韓国ではレバレンド・ムーンは、息子・娘泥棒であり、妻泥棒、母親泥棒、娘泥棒、おばあさん泥棒、それから女性泥棒だというのです。
なぜ、統一教会にこのような迫害が、起きたのかというのです。既成教会が反対したからです。先生の言うことさえ聞いていたならば、先生のもっている真理は、旧教、新教の統一だけでなく、すべての宗教を統一し、すべての思想を統一できたのです。このように驚くべき真理をもっていたので、これを阻むために、ありとあらゆることをし尽くしたのです。
それゆえ、重要な問題として「社会破綻の根本、息子・娘を拉致していった泥棒、妻を奪った泥棒、家庭破壊泥棒。韓国伝統思想を無視する合同結婚式は、韓国の歴史にない。韓国の伝統を根本的に破壊させた怪物だ。殴って捕まえろ 追放しろ」、このように言ったのです。
男性という男性、個人の男性、家庭の男性、氏族の男性、国家の男性、世界の男性、霊界にいるサタン世界の天宙の男性、すべて動員して、「レバレンド・ムーンを排斥しよう」と言いました。男性たちの見解がそうなのです。
女性たちの見解はどうですか? お母さんがじっと見ると、男性たちというのは、自分の欲望を中心として考えているのです。息子・娘たちは、昔(教会に行く前)よりもよくなっているのですが、お父さんが「このようにしろ」と言うので問題が起こるのです。
「私は統一教会に行ってみたいです」。このように言って一度行くと、ころっと熱中してしまうのです。うわさだと思っていたら、自分の家庭にこの火がついて爆発したのです。それゆえ、どのくらいあきれるでしょうか。考えてみてください。
息子・娘だけ奪われたと思っていたら、お母さんが行ってみると、お母さんまで熱中するのです。それゆえ、お父さんが気が狂いますか、狂いませんか? 夫が狂うのです。それで、銃を持って来ないですか? こん棒を持って来ないですか? ありとあらゆることをするのです。
では、東洋の女性と西洋の女性を見れば、どちらがきれいだと思いますか? (「東洋の女性です」)。 東洋の女性の顔が平べったくてもですか? この平地にちょっとした山があっても、観光地になるのです。西洋の女性を見れば、どのくらいそびえたつように突き出ているか見てみなさい。鼻がこうで、目がこうで、青い目です。足も長く、背がすらっとしています。
笑うのも千態万象なのです。東洋の女性たちは、笑うのもこのようにして笑うのですが、西洋の女性たちはこのようにも笑い、あのようにも笑い、体で大騒ぎしながら、行動しながら笑うのです。アメリカ女性の笑い声は、どうしてこのようにうるさいのでしょうか? ソプラノのような声で笑うので、その声が、壁を越えて何百メートル先までもいくのです。(笑)
西洋の女性が、先生は有名な遊び人で浮気するのかと思えば、しないというのです。CIAやFBIでも、「レバレンド・ムーンを誘惑しろ」と、美人を送り込んで来たのですが、その女性が良心の呵責を感じて、手紙を書いて送ってきたのです。手紙を破ってしまわずに、そのまま保管していたら、どのくらい貴重だったでしょうか?
カイン圏の子女たちを愛してこられた真のご父母様
東洋の女性たちは、先生が東洋の人たちによくしてあげずに、西洋の人たちによくしてあげるので、アメリカで反対者になりやすいのです。東洋の女性が西洋世界に来て迫害を受け、孤独な立場にいるので、同情しなければならないはずですが、かえって、自分たちを押しのけて西洋の女性たちを愛するので、反対し得る可能性があるというのです。
「何、愛の宗教だ、真の愛だと言いながら、顔について行き、環境について行く、そういう先生だ。あー、気分が悪い」と言いながら落ちて行った人たちが、本当に多いというのです。
先生の家にいる娘たちもそうです。娘たちも、お父様を好きではありません。西洋に来て仕事をしてみたら、出会うのは西洋の女性たちであり、また、西洋の女性たちがひっきりなしについて回って喜ぶのです。娘たちよりもこの女性たちを愛していたら、娘たちがわあわあと言うのです。
「日本の女性たちを愛して、黒人までも愛するのに、その黒人よりも自分たちを愛さないなんて、それがなんで私たちのお父様なのか」。そのように言っているのです。エデンの園においても、天使長が愛の減少感を感じて堕落したように、ぴたっと、そのようになったのです。あなたたちもそうでしょう?
では、私が自分の息子・娘たちをもっと愛しましたか、カイン圏にいるあなたたちをもっと愛してきましたか? (「カイン圏の子女たちをもっと愛されました」)。それは、うそです (「うそではありません」)。自分の娘をもっと愛しましたか、あなたたちをもっと愛しましたか?
今、南米にいるスパニッシュ系をもっと愛しています。そのような時、ここにいる息子・娘たちは「行かないでください」と言ってしがみつきました。大きい子も、小さい子も、「もう一晩過ごしてから行かれればいいのに、なぜ、きょう行こうとされるのですか?」と言うのです。いつもそのように言うのです。
「あー、お父様、久しぶりに来られたのですから、時間を少し取ってください。三十分だけ時間を取ってください」と言いながら、何時間も待つのです。それでも、一晩だけ寝て行くのです。彼らに会ったら何もできないのです。十分、三十分も、許可できないお父様です。それよりも、公的な会合が列をなしているのです。
今、孝進の家庭問題のために問題になっているのですが、その問題は何も心配する必要がありません。
私はその嫁とひざを突き合わせて、一時間も話をしたことがありません。若くして、十七歳で嫁に来て、どれくらい孤独な環境にいたのか、私はよく知っています。(お父様から愛されたいという)心がありながら、それを感じることができない立場が、どれくらい孤独だったことでしょうか……。
その事実を考えるようになる時、「義理のお父さんは、愛だ、何だと、真の愛の話をするのに、自分の息子・娘に歓迎されず、私の心をこのようにさせておいて、それで、何が真のお父様であり、何がメシヤであり、何が救世主なのか。 ぺっ、ぺっ、ぺっ」と、このように考えるというのです。
さあ、今はもう時が来ました。今は、「四・四節」を宣言したので、今からは故郷に帰り、だれよりも愛して、幸福にしてあげることのできる時が来たのですが……。もし、何時間、何日、何週間、私が話をしてあげたら、そのようにはなりません。
世界にアメリカが長子の国であり、日本が母の国であり、韓国が父の国であることを宣布して、全世界が一つになり、先生を歓迎できる時になってみたら、「自分たちを抜かして、私たちをすべて犠牲にしておいて、あのように行くのが、何でメシヤなのか」と、反対するようになったのです。
今、南米に行くのですが、南米にいる人たちは、あなたたちよりも、立派な国家指導者たちよりも、優れた人たちではありません。かわいそうな人たちであり、悲惨な人たちです。彼らはみなかわいそうなのです。そのように「かわいそう」と考えるのが、神様の心なのです。真の愛の心をもっているので、そのようなことをせざるを得ないのです。そのことを知らなければなりません。
服などは、国家メシヤたちには高級な服を買ってあげながら、自分の子女たちを連れて行って、服を買ってあげたことは一度もありません。娘たちを、一度でもそこに連れて行って、そのような服を買ってあげたことはありません。息子たちにも同様です。
一番近いところから、神様は復帰摂理の祭物としてこられた
外的な世界の人たちに愛を与えていたら、自分の家族が悲惨になってしまいました。
先生はどのように考えるかというと、「愛の祭壇を世界化させる仕事を私がする」と考えるのです。そのように考えるのです。分かりますか? それゆえ、家庭を犠牲にしなければなりません。祭物を捧げる時には、家庭祭物を捧げなければなりません。父母様が祭物にならなければなりません。父母様自体が、食口自体が、祭物にならなければならないのです。一番近いところから、神様は復帰摂理の祭物としてこられたではないですか。
統一教会員たちはそれを知っているので、自分(お父様)の背に乗って越えていかなければなりませんでしたし、踏んで越えていかなければならないと考えるのです。統一教会の人たちはそれを知っているので、私たちの家庭の背と私たち夫婦の背を、このように踏んで越えていったのです。そうですか? (「はい」)。なぜですか? 祭物なのです。祭壇の祭物になったので、みんな頭を下げなければならないのです。全世界の祭物なので、全世界の人類が、その祭壇の前で敬礼を捧げなければならないのです。
御旨がすべてなされた後、三億六千万双祝福とサタンの血統断切がすべてなされた後に、私たちの家庭を、世界の家庭がどれくらい尊敬するか、考えてみてください。償わなければなりません。全人類が、全世界が、私たちの家庭に感謝する日が来るということを知りません。それを知らないのです。
五十年の歴史を過ごしながら、すべて悲しみで埋められているので、それを越えて来ることのできない環境にあるのが、先生の家庭であることを知らなければなりません。家庭的祭壇を積んで摂理してきたことを知らなければなりません。
先生の家庭を中心として、神様の純潔の祭壇に祭物を捧げるようになる時、全世界的に祝福を受けることができる環境を迎えるようになる時、「すべての代価を支払わなければならない責任がある」と、天が勧告するのです。このように考えるのです。
(私たちの家庭が)アメリカに来ているので、このようになったのです。韓国にいたら、このようにはなっていませんでした。アメリカにあるプライバシー・コンセプト、自己中心的個人主義概念、このような概念はすべて、サタン世界に所属して起こる現象です。それが事実ですか、事実ではないですか? (「事実です」)。そうではないという人、手を挙げてください
私が一つ質問をします。一生の間に、私がだれかに反対しましたか? 私には怨讐が多いのです。私を殺そうと、ありとあらゆることをした人たちが多くいます。できれば、忘れてしまおうと思います。忘れて、忘れて、迫害を受けたすべてのことを忘れてしまおうと思います。きれいに忘れてしまおうと思うのです。サタンは、レバレンド・ムーンがすべてに対峙して闘うことを望んでいるのです。
個人、個人として、世界がすべて反対したのですが、私が一人の個人に勝ったとしても、その闘いは何十年も続き、一生闘ってもその闘いは終わりません。次には、全世界の家庭が、レバレンド・ムーンに反対するようになるのです。分かりますか? 私が彼らと闘えば、その闘いは終わらないのです。それゆえ、忘れてしまうのです。忘れてしまうというのです。私の行く道は忙しいのです。行く道が忙しいというのです。
さあ、見てください。四十年の間に、四千年間の人類歴史の複雑な天の国と霊界を整理して、国家と世界が行くことのできる道を、すべての伝統をつくっておかなければならないのです。このような責任があることを知っている先生には、闘う時間はありません。闘う時間がないのです。
先生について来た世界の有名な人たちが、数十年過ぎてみたら、レバレンド・ムーンがすべて正しいので、彼らはみな統一教会の祝福を受けて、統一教会のかわいそうな人たちの垣根となり、国家の垣根となってきている、という現実を私は知っています。
レバレンド・ムーンが行く道はすべて、くねくねと曲がっていますが、行く道は一つの所です。世界平和、統一天下を考えるのです。分かりますか?
今日、アメリカで起こっている環境はレバレンド・ムーンと関係のない環境ですが、法廷闘争において、アメリカが歴史的に、先生にノック・ダウンされたという汚点を残した事実を知らなければなりません。そのような環境で闘いました。そこに刺激され、歩調を合わせたならば、サタン側に、サタンのかまどに入って行く、ということを知らなければなりません。
女性たちのために迫害されたお父様
先生を(第二次世界大戦直後に)キリスト教が歓迎していたならば、離婚はありませんでした。先生は離婚しなかったのです。キリスト教さえ先生を歓迎していたならば、先生を中心として南北統一、アジア統一、東洋と西洋の統一をなし、地上天国を建設することができたのです。そのように展開されていたならば、どうして離婚するのですか? 離婚しないというのです。
家庭にいる女性たちがたくさんついて回り、お母さんと娘がすべて統一教会を信じるようになるので、男性の群れはすべて反対するのです。こうして反対することにより、そのような環境的与件において監獄にも行きました。しかし、すべて(調査して)みたのですが、何もないのです。社会秩序破壊、家庭破綻、すべてうそなのです。
彼らに聞いてみると、それに同調する人は一人もなく、過去よりよくなり、立派な息子・娘になり、愛国者になったというのです。放蕩な人、ギャング・スターのような人たちがみんな愛国者になったということが、すべてあからさまになったのに、どうして法廷で刑罰を与えることができるでしょうか。
夫人たちは、霊界から聖別生活をさせるのです。堕落した偽りのサタンの愛を遠ざけるのです。それゆえ、「レバレンド・ムーンのとりこになり、狂ったので、そうなのだ」と誤解するのです。
当時、韓国は夜十二時から明け方四時まで通行禁止だったので、明け方まで待って、通行禁止が解除されるサイレンの音がなれば、女性たちは家庭において監禁されていた門を蹴って出て、裸でパンツだけはいて走って来るのです。走って来て教会の壁を越えようとして、滑り落ちて、「どかん」という音に近所の犬がほえて……。ありとあらゆる事件が伝わっているのです。
先生がお父さんのようであり、お兄さんのようであり、婚約した人のようであり、夫のようであり、おじいさんのようだと、そのように言うのです。エデンの園で、子女の時代、少年の時代、夫婦の時代、父母の時代の四大心情圈を失ってしまったことを蕩減復帰するための現象が起こるのです。先生に会いたくて夜眠れず、ご飯が食べられない、そのようになるのです。霊界がすべて開かれ、先生が何をしているかすべて分かるのです。どこかの市場とか百貨店に行くと、そこにみんな来るのです。霊界が役事するのです。
家庭環境では、男性がみな反対します。おじいさん、お父さん、夫、兄、息子など、男性たちがみな反対するのです。お母さん、お姉さんは家庭では家事が主な仕事ですが、みんな教会ばかり通うのです。
そのような環境で、だれのために迫害を受けましたか? この女性たちのゆえです。「銃で殺す」という脅迫もたくさん受けましたし、袋だたきにも遭い、追い出されもして、ありとあらゆることをされました。
なぜですか? 女性を救うためです。サタン側にいる女性を復帰しなければなりません。サタンの国の女王から、おばあさん、お母さん、夫人、長女、次女を復帰してこなければならないのです。彼女たちは、エバを代表した女性たちなのです。男性は王から、おじいさん、お父さん、すべて天使長の立場です。エデンの園における再臨主は、女性を復帰するために来たのです。新婦圏に対して、新郎は一人なのです。
それゆえ、先生に出会えば、先生を憎むことができないのです。このような現象は世界的です。あなたたちもそうですか、西洋の女性たち? (「はい」)。その「はい」という答えは本当ですか、うそですか? (「本当です」)。自分たちの心がそうなのです。本性がそうなのです。
「敵」という概念を除去し断絶する
春が来れば氷山も溶けます。レバレンド・ムーンは、神様の愛の春の始まりと同じです。寒帯地方の共産主義が過ぎて行きます。民主世界は秋の季節の文明です。共産主義文明が過ぎ、春の季節の文明が東洋から訪ねて来るようになるのです。それが、統一教会の文明圏の出発なのです。これが春の季節に該当します。それで、家庭が破綻するのです。家庭破綻が展開されるのです。
春というのは、神様の真の愛を意味します。分かりますか? (「はい」)。女性の花のような心が、咲いてくるのです。そこに蝶のような先生がいるので、みんな歓迎するのです。八十歳になるおばあさんも先生の後をついて回ろうとし、十二歳になったばかりでも先生の後をついて回ろうとするのです。おばあさん、おじいさん、夫、息子、娘がみんな見ていても、ついて来るのです。
その愛の春の園で花が咲き、実を結び始めたのが合同結婚式だということを知らなければなりません。国際合同結婚式です。それで、四十年が過ぎていきました。春夏秋冬。実を結ぶためには、春を迎え、夏を迎えて発展し、秋の季節に入り、あなたたちの家庭が植える種にならなければならないのです。真の父母の家庭のようにならなければなりません。真の父母のような価値をもつことができなければならないのです。そうしてこそ、神様が願われる地上・天上天国定着の出発がなされるのです。確実にそうですか? (「はい」)。
あなたの家庭がそのようになりましたか? 世界のための家庭であり、天と地を代表した家庭であり、人類を代表した家庭であり、万物を代表した家庭であり、真の愛の歴史をすべて包括することのできる家庭なのです。そこには敵がいません。神様が「敵」という概念をもったならば、片隅に敵の国が残るので、いつまでも平和の世界は来ないのです。神様はそれを知っていたので、「敵を愛せ」という標準を立てたのです。それは驚くべきことです。
「敵」という概念を除去して断絶しなければなりません。「敵」という概念が行動の基準になっているかぎり、世の中に信頼というものは永遠に存在しないのです。どうやって平和な世界をつくることができますか? すべてのことを消化しなければなりません。悪いことも、善いことも、すべてのことをのみ込んで消化しなければならないのです。それで、体のエネルギーにしてしまうのです。
先生の観点は、共産主義ものみ込んで、民主主義ものみ込んで、怨讐の国ものみ込みました。何をもって消化したのですか? 真の愛の力でです。真の愛の力は、このようなものを消化させるのに十分なのです。何の問題もありません。
先生のこのような視点で見れば、怨讐というものはありません。今までたくさんの怨讐と遭いました。しかし、先生は、彼らに対するすべてのことを忘れてしまいました。短い時間に、彼らの顔やその時の状況を永遠に忘れてしまいました。すべての状況を神様の立場で、今まで忘れてきましたし、今後も永遠に忘れるのです。そのかわりに、いつもそのような人たちのために生きてきました。他人を愛し、為に生きる側が、自動的に中心になるのです。為に生き、より愛する人が主人になるのです。中心存在になり、主人になるのです。
神様と天運が私を保護している
指導者は、第一に、中心に連結された責任感をもたなければならず、第二に、自分に任された分野を保護して、第三に、その分野を育成、および発展させるのです。これが責任者の使命です。これは、先生にもそのまま適用されるのです。すべての統一教会の指導者は、全世界に対してこのような責任感をもたなければなりません。また、すべての統一教会員たちも、このような責任意識をもたなければなりません。先生は今まで、世界を救い、保護し、育成する活動を続けてきました。
今日、アメリカには理想世界はありません。南米にもありません。アジアにもありません。アフリカにもありません。六大州には理想世界はないのです。
このような時に、世界の人たちはレバレンド・ムーンを尊敬し、誉めたたえています。それはレバレンド・ムーンがすべての階層の人たちにとって、最後の日の唯一の希望の中心であるからです。このような環境が、私たちの祝福活動のブームを全世界に巻き起こしたのです。
だれがこのようにしたのですか? だれがこのような結果をもたらしたのですか? レバレンド・ムーンではありません。レバレンド・ムーンは仲保者であるだけです。レバレンド・ムーンが、このような結果の原因者ではありません。レバレンド・ムーンが世界的にいくら有名で、いくら真の愛の中心存在だとしても、レバレンド・ムーンは原因者ではありません。分かりますか?
神様の愛を中心として、他のために活動をしていたら、そのような結果が現れるようになったのです。レバレンド・ムーンの背後には、神様の力があるという事実を知らなければなりません。
そのような人に反対して、何か利益になることがありますか? 今、私たちの家庭を破壊させようとしているのですが、それはできないのです。してもできません。ユダヤ教とキリスト教が一緒になって、そのようにしようとしているのですが、駄目です。ユダヤ教の『旧約聖書』とキリスト教の『新約聖書』をもって、統一教会の『原理講論』に勝ることはできないのです。それはできません。
統一教会は何時代ですか? (「成約時代です」)。成約時代というのは完成時代です。蘇生時代である旧約時代、長成時代である新約時代に未完成な内容を含めて、すべてのことを完成させる時代なのです。
真の愛の力は、すべての時代を消化する力をもっています。それで、ユダヤ教の若者たちが彼らのシナゴーグ(ユダヤ教の教会)の門をぱっと開けて、原理講義を一週間だけ聞けば、彼らは完全に溶けて、一八〇度引っ繰り返るのです。このような現象は、キリスト教の若い青年たちにも同じように現れます。また、他の宗教でも同じなのです。
それでは、問題は何ですか? 問題は、原理講義を聞かない人たちにあるのです。全世界の人たちが原理講義を一度だけ聞けば、彼らの思想は崩れてしまうのです。そのくらい強力な力を、『原理講論』はもっているのです。
それで、反対するのです。彼らはかわいそうです。今まで、その敵がみな罰を受けました。反対した人たちの中で、成功した人は一人もいません。皆、滅んでいくのです。二十年間反対したすべての統計を出してみなさい。八〇パーセント以上が滅びました。統計が出ているのです。レバレンド・ムーンを四十年、五十年以上、「殺せ。 破壊しろ」と迫害して、監獄にたたきこみ、ありとあらゆることをしましたが、滅びませんでした。(拍手)
世の中では皆、「歴史を通してそのようにたくさんの迫害を受けながらも、勝利できる力は何であるのか? 何が、そのように統一教会を繁栄させてきたのか?」と、とても不思議に思っているのです。それは、レバレンド・ムーンの力ではありません。それは、神様と天運が私を保護しているからなのです。柱を通して上から下に降りてくる強い力、永遠なるその力が、私を保護するのです。
理想世界のこの柱は、何であっても砕いてしまうのです。その力は、絶対に壊れることはありません。一度受けると、そのまま粉々になるのです。それで、問題が生じるたびごとにいつも、神様が主体の立場、先生は対象の立場で、完全に九十度の角度で影をつくらないゼロポイントをなして一つになるのです。そのようになれば、いくら強い者が私を攻撃したとしても、かえって、彼が落ちていってしまうのです。分かりますか?
このような公式路程を、神様ははっきりと知っておられるのです。共産主義もいち早く崩れました。民主世界であるアメリカも救いを受けるために、私の前にひざをつきました。宗教世界も同様です。
そこに歩調を合わせる者は先に天が審判してしまう
世の中にあるすべての家庭は、私に属しているのです。そうではないですか? 家庭がなくては国があり得ません。国がなければ、世界もなく、地上天国もなく、天上天国もありません。理想家庭が立つことができて初めて、理想的な国、世界、天宙を立てることができるのです。このような世界の核が、まさに真の家庭なのです。
その所に初めて、神様が永遠にいることができ、一緒に生活することができるのです。神様は、愛を中心としてその家庭を主管するようになるのです。そうなれば、その家庭は永遠に壊れないのです。
このような家庭が大きくなれば、氏族、民族、国家、世界、天宙をなすようになるのです。これがまさに、地上・天上天国なのです。このような天国が、個人的概念から家庭的概念に越えていけば、ここにはそれ以上の迫害と反対はないのです。順調に、氏族、民族、国家、世界を越え、霊界まで越えて行くのです。
このようにして霊界に行けば再び、自動的に真の家庭が中心となった円がつくられるのです。真の家庭が中心になり繁栄するのです。世界の環境をつくるうえで、核は家庭なのです。家庭から親族、氏族に拡散し、氏族から国家、世界に拡散するのですが、中心は同じなのです。中心と同じ価値をもって、民族、国家、世界、天宙へと拡散されるのです。モデルの公式は、中心と同じです。
それで、完成したアダムの家庭では、アダムが家庭の王です。アダム家庭が大きくなれば、アダムは氏族の王、世界の王、天宙の王になるのです。ここから家庭の天国が出発し、これが拡散して、親族の天国、氏族の天国、国家、世界、天宙の天国として大きくなっていくのです。霊界と地上は、陽性と陰性でつくられた一つの体のような構成体なのです。陽性は内面の世界であり、陰性は外形の世界をいうのです。
宇宙のすべては、カップル制度になっています。鉱物世界、植物世界、動物世界、人間までも、すべてカップルになっているのです。なぜ、このようにカップルになっているのでしょうか? 永遠に存続するために、このように創造されたのです。
人間を見れば、個人は、心と体、そして、陽性と陰性の二性性相になっています。心は神様と連結され、体は地と連結されているのです。それで、体と心が一つになるということは、すなわち、天と地が一つになることと同じなのです。それゆえ、平和の世界をつくるうえで、個人の体と心の統一が中心核になるのです。
その道は簡単ではありません。アメリカの人たちは毎日、マクドナルド・ハンバーガーを食べるのが好きでしょう。今から一生の間、そのハンバーガーを食べないでください。韓国式に変えてください。いいですか? (「はい」)。
あなたたちは簡単に答えますが、難しいことです。長い間に形成された習慣を変えるということは、どれくらい難しいですか? 数十年の間、形成された習慣と伝統的な概念を変えるということは、簡単ですか、難しいですか? アメリカ人がどこかに行って三年ぶりに帰って来たら、一番先にマクドナルドに行って、ハンバーガーを買って食べるというのです。ちょっとした習慣を変えるのも、このように大変なのです。
宇宙の伝統は、最悪の愛が中心になって出発し形成されました。ハンバーガーを食べる習慣を変えることと比べたら、間違って形成された宇宙の伝統を変えるということは、何百倍、何千倍以上もっと難しいというのです。
歴史を通してたくさんの義人たちは、過った基盤を復帰するために、数千回も試み、反復してきたにもかかわらず、九〇パーセント以上、地獄に落ちました。それは、自らをゼロのポイントに定着させることが、あまりにも難しいからなのです。こんなにもサタンは、たくさんの義人を地獄に落としてしまいました。
このようなことを神様が見る時、人間堕落以来今まで、神様はどれくらい悲惨で、悲しい状況におられたのかというのです。このような神様が、まさに私たちのお父様であり、真のお父様であられるのです。あなたたちは、このような苦痛を感じることができますか? (「いいえ」)。それなら、あなたは自動的に地獄に落ちるのです。地獄というのは影のような所です。そこは、光が存在しない所です。ただ、影だけがあるのです。
統一教会の世俗的な環境にいるアメリカの食口たち。
レバレンド・ムーンと統一教会の家庭を分離させようとする、このような行動を中心として見る時……。このように生きたレバレンド・ムーンは、自分の家庭、自分にある財産、世界の統一教会にある財物まで投入して、世界のためにアメリカを救おうとしました。
アメリカにおいて自分の利益のために反対する群れに対して、アメリカ自体が糾弾しなければ、このアメリカの地が讒訴し、アメリカの空気が讒訴し、アメリカの天運が怨讐視するというのです。そのことを知って、そこに目を合わせて、五官を合わせて、行動と歩調を合わせる者は、先に天が審判してしまうのです。 憤怒するのです。 これを知らなければなりません。分かりましたか。 (「はい」)。
どれくらい大変な十字架の道か……
神様と真の父母は一つの体です。真の父母は神様の横的な体です。同じ価値をもっているのです。真の父母はどこにいても、神様に九〇度の角度を合わせることができるのです。
神様と真の父母の間には消耗がありません。これはちょうど、ある物体が無重力状態に行けば、力が消耗されないということと同じ理屈です。それゆえ、消耗がないので、一度押したら永遠に行くのです。人工衛星が慣性の力で運動するではないですか。負荷がないので、一度押したら永遠に行くのです。負荷がかからず、どこでも百パーセント通じるのです。
横で言う人(食口)がいたら(レバレンド・ムーンとその家庭に対して言えば)、口を裂いてしまい、目を取ってしまうと考えてみなさい。「この者たち、何ですか。 統一教会を中心として」と言いながら、目が取られ、口が引き裂かれてしまうだろうというのです。そのように考えたら、そのようになるのです。
神様に祈祷してみてください。そのような人はみんな滅びます。私が祈祷をそのようにしたら、七か月以内に雷が落ちます。しかし、父母はそのような祈祷はできないのです。息子が刑場に行き死ぬということを知っている父母は、「この国の憲法がよくできていて、あの子はよく死んだ」とは言わないのです。この国の法をすべてなくしても、その息子が解放されることを願うのです。
さあ、真の愛の運動をしている統一教会の文先生の歴史には、なぜ、家庭的にそのように問題があるのか、ということが問題なのです。なぜそうなのでしょうか?
「絶対性」を主張する神様が、絶対ホモ・セックスの世界に来て、愛の関係を結ぶことはできません。永遠に不可能なのです。これを救おうとすれば、神様が手を出すことはできません。手を出せないというのです。 エデンの園でアダムとエバが堕落した時、手を出せなかった神様が、これに手を出すことはできません。これは、だれが引き起こしたのですか? 偽りのアダムです。偽りのアダムがこれを引き起こしたので、これをはがして直すことができるのは真のアダムしかいないのです。
それで、悪なる世界で「絶対性」を主張していたそのような神様を代身して、サタン世界の滅びゆく女性たちをより愛することができる心の基点をつくるために、絶対悪の中で愛を復帰してくる時、救われるというのです。
それが、どのくらい十字架の道であるかということを考えなければなりません。どれくらい骨が折れ、どれくらい大変な十字架の道か……。分かりますか? (「はい」)。
先生自身はきちんと神様の神聖な訓練を受けました。そのような人が、離婚が何ですか? このようなことまで試験を受けました。世界の一番の美人、世界の男性たちが愛することができる美人が現れ、最高の愛で包容し、キスをして、性関係ができるその場に入っていき、完全に百パーセントセックスをすることができる状態に行ったとしても、ゼロに帰ることができる訓練を受けた人なのです。そのような人が離婚して、他の女性を考えることはできません。
(歴史を通して)三段階で落ちていきました。女性が、アダム家庭、イエス家庭、再臨主家庭を破綻させました。それゆえ、女性たちの生きる道がないのです。生きることができる梯子をかけなければならないのです。そのような時は、どのようにしなければならないでしょうか?
その道は、愛の十字架を背負って行く道なのです。歴史以来、天地にこのような愛の十字架の道を、伝統の道を悟らせて、それを立てた方が真の父母なのです。今も聖進のお母さんが、私をどれくらい愛しているでしょうか? 今も思慕しているのです。
学生時代には、たくさんの女性から誘惑を受けました。誘惑を受けるということにおいて、世界の記録をもっている男です。それゆえ、春の季節のさかりには、錠を四つもかけて寝ました。部屋に錠を四つもかけて寝たのです。それは、統一教会の人たちはみな知っています。そうしなければ、門をこじ開けて入ってくるのです。先生が寝ている布団をどけて裸で入って来て、しがみつき、「助けてください」と言うのです。「五分あれば解決することなのに、男がそのようにできるのですか?」と言うのです。
このような女性に対して、「私には性機能がありません」と言いながら送り帰しました。(笑)どうしても帰ろうとしないので、そのようにして解決するのです。その女性は普通の女性ではありません。美人であり、財閥の娘であり、有名な学校の在学生なのです。肥桶に神様の生殖器を差し込んではいけないのです。嫌でも、嫌な道がその道だということを皆さんは知らなければなりません。
神様の御旨を成し遂げるためには、地上世界で神様の代身者として、離婚してでも真の愛の関係をつくり、離婚を三回してでも真の愛の関係をつくらなければならないのです。
それゆえ、地上の摂理の中で、ヤコブのような人は女性をたくさん迎えました。宗教界にも女性をたくさん迎える人がいるし、あのイスラムのような所もみなそのような意義を中心として、そのようになったのです。
ヤコブにおいては、十二人の息子を生むために女性が四人いましたが、結局はレアとラケルの問題であったということを知らなければなりません。このラケル一人だけだったならば、復帰ができないのです。支流で反対の妾であるとか、傍系的な道で復帰がなされるのです。
これを、だれが解決してくれますか? そこにピュア・ラブを主張して、それをどのように解決しますか? それゆえ、先生が地獄よりももっと恐ろしい道、苦痛を受けながら、その道を開拓したのです。愛の十字架の王者の道を歩いて来たということを知らなければなりません。それは、女性を救うためなのです。
女性たちは、三人の男性を殺しました。アダムを殺し、イエスを殺し、再臨主を殺しました。先生を荒野に追い出すことによって、お父様の家庭に破綻が起こり、お父様はもう一度結婚しなければならなくなったのです。そして、韓国が南北に分かれ、兄弟としているべき東西洋が多くの地域に分かれ怨讐になり、天と地が再び分かれたのです。
すべては朝の草葉の露のごとく、陽が昇りさえすれば落ちてしまう
終末になればメシヤが雲に乗って来るというのですが、再臨主が飛行機を使えば問題ありません。稲妻のように、世界中、南極や北極、東洋や西洋、すべての国を訪ねるのも問題ではありません。ですから、先生は飛行機を買ったのです。グローバル・エクスプレスです。一度飛べば、どこへでも行くことができるのです。一日で世界中を稲妻のように飛んで、南極や北極、東洋、西洋へも行くことができます。現代科学技術が発達して、神様の目的を助けているのです。このように、真の父母の生活様式に貢献しているのです。
真の父母は、世界のどういう場所でも行かなければなりません。インター・ネットや電子メールのような現代の科学技術を通して一度に全世界の人たちが、ここで話すことを聞くことができます。五十億人類が一度にみな聞くことができるのです。だれのためにですか? (「神様です」)。真の父母のためにです。私が五十年前にこのような科学技術の話をした時、人々はみな私を「狂った」と言いました。「本当に狂った人だ」と言ったのです。その時に特に反対してお父様を笑ったある一人の牧師が、今はすべて悔い改めているということを聞いています。(拍手)
ピュア・ラブの主人であり、王であられる神様が、この地に真の愛と真の家庭を植えようとすれば、真の父母、真のアダムが必要なのです。そのことを知らなければなりません。
今回のマディソン・スクェア・ガーデンの祝福の時、先生が昔責任をもった聖進のお母さんとそのお母さん、つまり聖進のおばあさんまでもすべて祝福をしてあげたのです。そうして、理想的夫婦の理想を実現するのです。
今でもレバレンド・ムーンに反対する人たちがいますが、彼らは何も知らずにそうするのです。レバレンド・ムーンがどれくらい立派な人間であり、どれくらいこの地上で貴重な人であるのかという事実を知るようになれば、尊敬するようになるのです。
聖婚式の時、真のお母様の候補者になると言っていた人、数十名が今でも待っているのですが、「一回でも先生の手を握りたい。キスもしてくれたらいい。死ぬ前にしてほしい」と言っても通じないのです。そのような人には、全く見向きもしません。私は冷淡な人です。「世の中の男性の中で、最も冷酷な男性、石のように冷淡な人だ」と、うわさが立っているのです。
そのような人たちに「そのようにする先生は悪い先生ですか、善い先生ですか? そのようにしていかなければならないでしょうか、あなたが願う通りしていかなければならないでしょうか?」と尋ねれば、「先生がする通りしていかなければなりません」と言うのです。
多くの人が今でも統一教会とお父様に反対していますが、私たちは世界に出かけて彼らを許し、愛でしっかり抱きかかえて、真の父母と共に真の家庭、真の天国を築く立場なのです。天上天下、地上天国が、真の父母の「真」を何個も合わせて、真の父母を尊敬することができる時代が待っているというのです。
そこに歩調を合わせることを願います。今晩このような時間をもったことを栄光に思い、先生の言葉を大切にしっかりと保管して、その世界に行って称賛され、賞を受ける皆さんになるために、大切な内容を発表するのです。分かりますか? (「はい」)。
その言葉が正しいと思い、自分自身の心が先立たなければなりません。何を話しても、何をしても、私の愛の心は変わらないのです。真の愛なのです。それゆえ、神様も、世の中が何と言っても、「世界のすべて、神様が創造した貴重なものは文先生に預ける」と考えているのです。
そのような神様であることを知り、そのような神様がいるということを知らなければなりません。そして、その神様の娘・息子になるためには、文先生のように、このようなすべてのことを克服し、耐えていかなければならないのです。そのようなことを理解して、あなたたちも耐えることができなければなりません。
アメリカがいくら騒いだとしても、先生は心配しません。これはすべて朝の草葉の露のごとく、陽が昇りさえすれば落ちてしまうのです。
それゆえ、南米に行ってもそのような心配はしないのですが、私が南米に行けば、この人たち(アメリカ食口たち)が糞の穴に落ちてもがくと思ったので、このようなことも話して洗ってあげたのです。皆さんの喜ぶ姿と喜ぶ態度と喜ぶ決心を見て、喜ばれる旅行に出発するのです。アーメン(拍手)
|