2018年01月15日 (月)
土屋 敏之 解説委員
1968年、食用の米ぬか油の製造施設で有害な化学物質が混入し、1万4千人もの人たちが皮膚障害などの健康被害を訴える「カネミ油症」が発生しました。国内最大規模の食品公害とされるこの問題の原因となったのが「PCB」という人工の化学物質です。カネミ油症の発生から今年でちょうど半世紀。今も全国に高濃度のPCBを含む廃棄物が残されており、それを安全に処分する期限が迫っています。
PCBは「ポリ塩化ビフェニル」という無色透明の液体です。熱に強く電気を通しにくい性質があるため世界で大量に使われてきました。例えばビルや工場の電気設備で変圧器やコンデンサーと呼ばれる部品の絶縁用の油に、また塗料や印刷インクの溶剤などに、国内でも合計5万トン以上が使用されました。ところが1968年、米ぬか油を摂取していた人たちに激しい皮膚炎などの健康被害が多発。米ぬか油の製造設備で使われていたPCBが混入していたことが発覚しました。カネミ油症事件です。その後の研究で、PCBが加熱されたことでさらに毒性の強いダイオキシン類が発生し、がんや動脈硬化なども引き起こすことがわかってきました。被害者は今も様々な病気で苦しんでいます。1972年にPCBの製造は中止されましたが、PCBを含む廃棄物は長く全国の事業所に残されることになりました。当初は民間の焼却施設でPCBを処理する計画でしたが、有害物質への不安からどこの地域でも理解が得られず全く進みませんでした。その後2000年代に入り政府が100%出資するJESCOという組織が高濃度のPCBを化学分解によって無害化する施設を建設。ようやく処理が始まりました。PCB廃棄物を保有する事業者などには決められた期限内に処分することが義務づけられました。PCBが環境中に漏れ出せば食物連鎖で濃縮されるなどして新たな被害も懸念されるため、事業者はJESCOに費用を払い無害化を委託することになったのです。そして今その期限が迫っています。
こちらは全国に作られたJESCOの処理施設を示しています。室蘭、東京、愛知県豊田、大阪、北九州の5か所の施設に担当するエリアが分けられ、高濃度のPCBを処分できる期限がそれぞれ決められています。これは施設の建設が難航した経緯から受け入れてくれる地元との間で期限を約束し、施設を撤去する方針だからです。処分の期限が最も差し迫っているのが北九州の施設。ここは九州だけでなく、中国・四国の全域にある高濃度PCBを含んだ変圧器やコンデンサーなどを担当します。期限は今年3月末までと間近に迫っています。変圧器やコンデンサーを保有する事業者は、それまでに最低でもJESCOに委託する契約を結ばなければなりません。東日本でも4年後には同様の期限を迎えます。仮にこの処分期限を過ぎてしまうと、現在の法律では事実上、高濃度のPCBを処理する手段はなくなってしまいます。実はもともとPCBの処理期限は2016年まででした。ところが処理が進まずやむなく延長された経緯があり、この時国は地元自治体に再延長はしないことを約束しています。今、国や自治体は全国の事業所に呼びかけ、PCB廃棄物を保有していないか掘り起こしを続けていますが、処分完了のめどは立っていません。
完了のめどが立たない根本的な原因は、そもそも「現在残されているPCBの総量がわかっていない」という点にあります。国内で使用されたPCBは5万トン以上とされますが、JESCOの5つの施設で無害化処理された量は去年3月までにおよそ1万2千トン。この他に低濃度のPCBとして処理されたものもありますが、いずれにせよ大量のPCBが行方不明で現存する量がはっきりしないのです。ひとつには2000年代に化学処理が始まるまでの数十年の間に、PCB廃棄物を保有する事業者が変わるなどして紛失してしまったものが多数あると判明しています。また既に産業廃棄物に混ざってどこかに埋められたものも多いと見られます。塗料などに含まれるPCBは大気中に放出されてしまったものもあるでしょう。さらに事業者にとっては、半世紀も前に作られた電気設備に使われているものなのでPCBを含むとは気づかず今も使用を続けていたり、知っていても処理費用の負担を避けたいと、義務づけられている行政への報告を怠っているケースも考えられます。残り時間が少なくなる中、PCB処理はどこにゴールがあるのかさえ定かで無いのです。
こうした中、国は2016年に「PCB特措法」を改正しました。これにより、都道府県などが残されたPCBの実態を把握するため、保有する可能性のある事業所に立ち入り検査ができるようになりました。また事業者が倒産してしまった場合などには代執行、つまり代わりに処分できることになりました。一方事業者に対しては、中小企業では処分料金の7割を軽減するなど費用を補助する制度が以前から設けられています。PCBを含む製品が作られてから半世紀が経ち、劣化した廃棄物から漏れ出す事故もたびたび起きています。再び悲惨な健康被害を生まないためにも、事業者にはあらためてPCBを保有したり使用していないか確認し早急に処分してほしいと思います。それでもなお、どれだけ残っているかさえ不明なPCBの処理は簡単には終わらないでしょう。国は期限内処分を呼びかけるのと並行して、期限を過ぎた後で出てきたPCBはどうするのか、次の方策を具体的に準備する必要があるでしょう。処理施設の再延長ができない状況下でそれに代わる手段を講じられなければ、近い将来行き場を失ったPCBの不法投棄につながる恐れもぬぐえません。次の世代に負の遺産を持ち越さないためにも、さらなる取り組みが求められています。(土屋 敏之 解説委員)