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「先生、赤身肉や加工肉は大腸がんの原因になるんですよね。だから私、肉はなるべく食べないようにしているんです」
大腸がんの抗がん剤治療を続けている60代の女性患者さんから、そう言われたことがあります。思わずこう答えました。
「いやいや、あなたはもう大腸がんになって治療中なのですから、今さら肉を控えても意味がありません。むしろ肉は大切な栄養源です。どんどん食べてください。食べないと体力が落ちて、寿命が短くなりますよ」
患者さんは驚いた顔をされていました。「テレビでも本でも、肉は控えた方がいいって言っていたのに……」と。
今の時代、誰もがスマートフォンで医療情報を手軽に調べられます。しかし、世の中にあふれる健康情報には大きな落とし穴があります。それは「正しい情報」であっても「自分の状況に合っているかどうか」は別問題だということです。
大腸がんと肉の関係は、まさにその典型例。「予防」のための食事と「治療中」の食事では、優先すべきことがまったく違うのです。
たしかに肉はリスク
まず、誤解のないように言っておきます。赤身肉や加工肉が大腸がんのリスクを高めるというのは、科学的に確立された事実です。
世界保健機関(WHO)の専門機関である国際がん研究機関は、2015年に加工肉(ハム、ソーセージ、ベーコンなど)を「発がん性がある」と分類しました。赤身肉(牛肉、豚肉、羊肉など)も「おそらく発がん性がある」とされています。
具体的には、加工肉を毎日50g食べ続けると大腸がんのリスクが約18%上昇し、赤身肉を毎日100g食べ続けると約17%上昇するとされています(注1)。
なぜ肉ががんの原因になるのでしょうか。主な理由は三つあります。
=ゲッティ
一つ目は、赤身肉に含まれる「ヘム鉄」。これが腸の中で発がん物質の生成を促します。二つ目は、高温調理で生まれる物質。肉を焼いたり揚げたりする際に、発がん性のある化学物質ができます。三つ目は、加工肉に使われる保存料。これも体内で発がん物質に変わることがあります。
こうした研究結果を受けて、「大腸がんを予防したいなら肉は控えめに」という健康アドバイスが広まりました。これ自体は間違っていません。
予防と治療中で違う
しかし、ここからが重要なポイントです。
「がんにならないための食事」と「がんになった後の食事」は、目的がまったく異なります。肉を控えるというアドバイスは、何十年もかけてがんが発生するのを防ぐための長期戦略です。正常な細胞ががん細胞に変わるまでには、数十年という時間がかかります。
一方、すでにがんになった患者さん、特に抗がん剤治療を受けている方にとって最も大切なのは、「今の体力の維持」です。
では、がんになった後に肉を控えれば再発を防げるのでしょうか。実は、この点について調べた研究があります。
米国で行われた大規模な研究では、大腸がんの手術後に化学療法を受けた1000人以上の患者を追跡調査しました。その結果、驚くべきことがわかりました。治療後の赤身肉や加工肉の摂取量と、がんの再発リスクには関連がなかったのです(注2)。
つまり、「肉を食べたから再発しやすくなる」という証拠は見つかっていません。むしろ、肉をしっかり食べていた人の方が生存率が良い傾向すら見られました。これは「肉を食べる元気がある人は体力があった」ということの表れかもしれませんが、少なくとも「肉が再発を促進する」という説を否定する結果です。
日本人女性にはリスクがない?
さらに興味深いことに、健常な日本人を対象にした研究では、欧米とは異なる結果が出ています。
国立がん研究センターなどが行った大規模調査によると、日本人男性では肉の摂取量が多いグループで大腸がんのリスク上昇が確認されました。しかし、日本人女性では、肉の摂取と大腸がんリスクとの間に明確な関連が認められなかったのです(注3)。
なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。考えられる理由はいくつかあります。
まず、日本人の肉の摂取量は欧米に比べてずっと少ないことです。欧米の研究で「高摂取」とされる量が、日本人の「高摂取」の数倍に達することも珍しくありません。
次に、調理法の違いです。日本の家庭料理では、肉を煮たり、薄切りにして短時間で炒めたりすることが多いです。欧米のように厚切り肉を高温で長時間焼く調理法に比べて、発がん物質の生成量が少ないと考えられます。
つまり、欧米のデータをそのまま日本人に当てはめることには、注意が必要なのです。
本当に怖いのは「低栄養」
ここで、視点を変えてみましょう。がん患者さん、特に高齢の方にとって、本当に怖いのは何でしょうか。
=ゲッティ
それはフレイルとサルコペニアです。フレイルとは心身の活力が低下した虚弱状態。サルコペニアとは加齢に伴う筋肉量の減少を指します。
筋肉が減ると、抗がん剤の副作用が出やすくなります。治療を続けることが難しくなり、感染症にもかかりやすくなります。転倒して骨折すれば、寝たきりになるリスクも高まります。
高齢者が筋肉を維持するためには、若い人よりも多くのたんぱく質が必要です。欧州の専門学会のガイドラインでは、がんなどの病気を持つ高齢者は体重1kgあたり1.2〜1.5g以上のたんぱく質を毎日摂取するよう推奨しています。体重60kgの人なら、72〜90gのたんぱく質が必要です。
赤身肉は、筋肉づくりに欠かせないアミノ酸「ロイシン」を豊富に含んでいます。鉄分、亜鉛、ビタミンB12といった栄養素も効率よく取れます。大豆などの植物性たんぱく質も優れていますが、同じ量の栄養を取ろうとすると、食べる量がかなり多くなります。食欲が落ちている高齢者には難しいことが多いのです。
肉食の高齢者は骨折しにくい
日本の高齢者を対象にした研究で、非常に印象的なデータがあります。
肉を中心とした食事パターンを持つ高齢者は、転倒による骨折のリスクが約64%も低かったのです。逆に、野菜中心の食事パターンのグループでは、骨折リスクが高い傾向が見られました。
また、85歳以上の超高齢者を対象にした川崎市の研究では、たんぱく質の摂取量が最も多いグループは、最も少ないグループに比べて死亡リスクが約半分だったという結果が出ています。
これらのデータが示しているのは、「超高齢期においては、がんや心臓病の理論的なリスクよりも、低栄養による衰弱のリスクの方がはるかに大きい」ということです。
肉を控えることで得られるかもしれない「がん予防」のメリットよりも、肉を食べないことで失われる「体力」のデメリットの方が、高齢のがん患者さんにとってははるかに深刻なのです。
抗がん剤で肉が食べられなくなったら
とはいえ、抗がん剤治療中は肉が食べにくくなることがあります。味覚が変わって、「金属のような味がする」「苦く感じる」という患者さんは少なくありません。
そんなときは、いくつかの工夫が役立ちます。
まず、料理を冷ますこと。温かい料理は匂いが強く、吐き気を誘いやすいです。冷しゃぶやサンドイッチのハムなど、冷たい状態で食べると受け入れやすくなることがあります。
レモンや酢など酸味のある調味料を使うのも効果的です。金属っぽい味をやわらげてくれます。だしの「うまみ」を利かせるのも、日本人にはなじみやすい方法です。
金属製のスプーンやフォークが口の中の違和感を増すことがあるので、木の箸やプラスチック製の食器を試してみるのもいいでしょう。
それでも肉を受け付けられないときは、無理をせず、卵、豆腐、魚で代用しましょう。特に青魚は、炎症を抑える働きのある脂肪酸を含んでいて、筋肉の維持にも役立ちます。
状況に応じた「使い分け」が大切
最後に状況に応じた食事の考え方をまとめます。
抗がん剤治療中や手術後の回復期にある方は、肉の制限は不要です。食べられるものをしっかり食べて、カロリーとたんぱく質の確保を最優先してください。この時期に食事を制限すると、免疫力が低下し、治療を続けられなくなるリスクがあります。
健常な人やがん治療経験のある65歳以上、歩く速度が遅くなってきた方、転倒が心配な方も同様です。赤身肉を含む動物性たんぱく質を積極的に取りましょう。肉、魚、卵、大豆製品をバランスよく組み合わせるのが理想的です。
一方、65歳未満で体力が十分にあり、がんの治療が一段落している方は、一般的な予防ガイドラインを参考にしてもいいでしょう。赤身肉は週500g未満を目安に、加工肉は控えめに。野菜や果物、全粒穀物を増やすことで、心臓病や新たながんの予防につながります。
「加工肉や赤身肉は大腸がんのリスクになる」というのは、集団全体で見れば正しい情報です。しかし、それは「がんにならないための予防」の話。すでにがんと診断され、治療に向き合っている患者さんに、そのまま当てはまるわけではありません。
さらにがんを縮小できたとしても、本人の生活が崩れるような体力低下を招いては、本来の治療の目的が失われます。
「部分的に正しい」医学情報があふれる現代だからこそ、「その情報は自分の状況に合っているか」を考えることが大切です。
高齢のがん患者さんにとって、肉食は「がんを悪化させる行為」ではありません。体力を維持し、治療を乗り越え、自分らしい生活を続けるための「生存戦略」なのです。
どうかおいしく食べて、しっかり体力をつけてください。それが長生きへの一番の近道です。
注1 Red Meat and Colorectal Cancer
注2 Concordance between the schedule for the evaluation of individual quality of life-direct weighting (SEIQoL-DW) and the EuroQoL-5D (EQ-5D) measures of quality of life outcomes in adults with X-linked hypophosphatemia
注3 日本における肉の摂取と大腸がんリスク:高山研究
注4 高齢者日本人の転倒関連骨折に関連する食生活パターン:集団ベースの前向き研究
注5 食事性タンパク質摂取量と全死亡率:川崎市高齢化と健康プロジェクトの結果
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押川勝太郎
宮崎善仁会病院非常勤医師
おしかわ・しょうたろう 1995年宮崎大医学部卒。国立がんセンター東病院を経て、宮崎善仁会病院非常勤医師。専門は抗がん剤治療と緩和療法。YouTubeでがん防災チャンネルを開設している。