|
|
いまだに有効な治療薬があるとは言い難い認知症。過去の連載「あのワクチンがリスクを下げる--アルツハイマー病を引き起こすのは感染症?」で示したように、現在アルツハイマー病の原因はヘルペスウイルスの感染ではないかという説が注目され、ヘルペスウイルスの治療薬が認知症の予防に有効であることを示した研究もあります。しかし、最近公表された論文によると、抗ヘルペス薬のバラシクロビルがヘルペスウイルスを有する認知症の予防に有効かを調べた前向き研究(※1)(エビデンスレベルの高い研究)では「予防しない」という残念な結果に終わりました。
ならば、ヘルペスウイルスに感染しないよう予防に努めることを考えたくなりますが、このウイルスにはワクチンは存在せず、世界中の大勢の人々がすでに感染しています。感染力はものすごく強く、現在感染していない人もこれから生涯にわたり感染しない保証はありません。では認知症を防ぐにはどのようなことに気を付ければいいのでしょうか。
ウイルスにコレステロール、多様なリスク
過去のコラム「それでも放置する?コレステロール 知られていない『認知症のリスク』」(※2)で述べたように、年齢、性別、遺伝といった個々の努力ではどうにもならないリスクに対してはできることはありません。しかしそのコラムで紹介した医学誌「LANCET」の論文によると、認知症の45%は予防可能で、その最たるリスクは中年期の「難聴」と「LDLコレステロールの高値」でした。難聴はその原因の予防と治療、あるいは補聴器の使用で対処できます。高LDL血症に対してはよく効いて安全で安い薬があります。実際、当院ではこの論文が発表された2024年の夏以降、「動脈硬化の予防」という従来の目的よりもむしろ、「認知症の予防」のためにLDLコレステロールの治療を開始する患者さんが増えました。
そのコラムでも述べたように、認知症のリスクには、難聴とLDLコレステロール高値以外にも、運動不足、喫煙、肥満、過剰飲酒、社会的孤立、大気汚染、糖尿病、高血圧などがあることが分かっており、これらに対して取り組めそうなことはいくつもあります。では、この論文で紹介されたリスク因子だけに目を向けていればいいのかというと、それだけでは不十分です。最近、難聴やLDLコレステロール高値と同じくらいか、あるいはそれ以上に認知症のリスクとなる「要因」が明らかとなりました。
それは「睡眠不足」です。最近、「認知症を患う人の12.5%が不眠症に起因している」とする論文が発表されました。もっとも、睡眠不足が認知症のリスクになるのでは?という説や論文は以前から複数あり、改めて驚くような新たな発見ではありません。しかし「睡眠不足」は上述のコラムで紹介した2024年のLANCETが挙げた13の因子には含まれていなかったこともあり、改めて注目すべきリスク因子だと言えます。
8人に1人が不眠症起因の認知症?
その論文は2025年12月17日の医学誌「The Journals of Gerontology: Series A」に掲載された「米国の高齢者における不眠症が認知症に及ぼす人口レベルの影響の定量化」(※3)です。研究の対象者は米国のデータベースに登録されている5899人(80歳以上44.7%、女性57.9%、非ヒスパニック系白人77.9%)です。全体の28.7%に不眠症があり、6.6%に認知症の疑いがあると診断されました。不眠症に起因する認知症の疑いがあると推定される割合は12.5%(およそ8人に1人)で、女性だけでみると13.1%(男性は11.6%)と、女性の方が睡眠不足の影響をより強く受けていることが分かりました。最も相関関係が強かったのは65~69歳の女性で14.4%でした。男性の場合、70~74歳が12.8%と最も高い数字となりました。論文の筆者は「もしも不眠症がなければ2022年には推定44万9069人の認知症を予防できた可能性がある」と結論づけています。
=ゲッティ
「認知症を患う人の12.5%が不眠症に起因している」のなら、中年期の「難聴」や「高LDLコレステロール」と同等か、あるいはそれ以上に重要なリスク因子と考えるべきです。しかし、データベースから相関関係を解析したこの研究だけで「認知症が睡眠不足に起因する(attributable)」と言うことができるでしょうか。認知症、特にアルツハイマー病を発症している患者さんのなかには不眠で悩んでいたり、本人は苦痛と感じていなくても睡眠時間が短かったりすることが少なくないからです。「不眠があるから認知症になりやすい」という可能性があるのと同時に、「認知症になったから(あるいは認知症の手前の状態だから)睡眠不足が起こっている」という可能性も考えなければなりません。睡眠不足が先か、認知症が先か、という話です。
脳内の老廃物除去システムが関係か
睡眠不足が先に生じその結果認知症が起こることを示すにはそのメカニズムを理論的に示さなければなりません。それはどのように示せばいいのでしょうか。この論文では触れられていないためにここからは私見を述べます。
睡眠不足が認知症のリスクとなるのはなぜか。それを説明できるのが「グリンパティックシステム(glymphatic system)」という脳内の仕組みです。これは、脳内の老廃物を除去するための重要なシステムで、このシステムによって脳脊髄(せきずい)液が脳内を効率よく循環し、老廃物やアミロイドβやタウたんぱく質といった認知症で蓄積する物質が洗い流されます。そして、グリンパティックシステムは睡眠時に活性化することがすでに分かっています。
このシステムについて詳述した論文を紹介しましょう。2020年の医学誌「Brain Sciences」に掲載された「睡眠中の脳:ライフスタイルの選択を通してグリンパティックシステムの力を活用する」(※4)です。
この論文によると、グリンパティックシステムが妨げられる要因として「特定の遺伝子欠損」、「脳脊髄液の減少」(後頭部の大槽という脳脊髄液がたまる空間に針を刺す医療行為やアセタゾラミドという薬の使用で脳脊髄液は減少します)、「睡眠不足」の三つが挙げられています。遺伝子欠損があれば脳脊髄液がスムーズに循環されなくなり、脳脊髄液が減少すれば流れが悪くなりますから老廃物やアミロイドβを洗い流すことができなくなります。
そして、睡眠不足によってもグリンパティックシステムは妨げられてしまいます。なぜなら、このシステムは睡眠中に機能するからです。睡眠障害が起こればシステムがうまく働かず、脳内の細胞膜の水の通り道が妨げられ、結果として脳脊髄液の流れが悪くなり、老廃物が蓄積するのです。
重要なのは寝る姿勢
大変興味深いことに、この論文では「寝るときの姿勢」でアルツハイマー病のリスクが変わるとされています。もともと認知症患者は健常者と比較すると、あおむけで寝る時間の割合が長く、あおむけでいる時間と認知症の間には関連があるのではないかと言われています。この論文によると、グリンパティックシステムがうまく機能するためには姿勢が重要です。なぜなら、どのような姿勢を取るかにより、脳内の神経や静脈の位置や引き伸ばされ方が変わるからです。そして、分析の結果、グリンパティックシステムを最も効率よく働かせるには右側を下にした姿勢が最も有効であり、実際にあおむけ寝やうつぶせ寝と比較して脳脊髄液による除去量が増加することが示されたのです。
なお、この論文によれば、睡眠以外にグリンパティックシステムを効率よく働かせるには、アルコールを控える、運動を積極的におこなう、オメガ3脂肪酸を摂取する、断続的に断食をおこなう、慢性ストレスを避ける、といったライフスタイルが有効です。
どうやら睡眠は認知症を予防する上で最重要事項といっても過言ではなさそうです。睡眠を十分に取れなければ脳脊髄液の流れが悪くなり老廃物がたまってしまうのですから。脳脊髄液のスムーズな流れを維持するためには、しっかり睡眠をとって脳内の細胞膜の水の通り道を正常に保ち、そして右側を下にして寝るような工夫が必要なようです。
※1 Valacyclovir Treatment of Early Symptomatic Alzheimer Disease
※2 それでも放置する?コレステロール 知られていない「認知症のリスク」
※3 Quantifying the Population-Level Impact of Insomnia on Dementia Among Older Adults in the United States
※4 The Sleeping Brain-- Harnessing the Power of the Glymphatic System through Lifestyle Choices
無料メルマガの登録はこちら。おすすめ情報をお見逃しなく
谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1991年関西学院大社会学部卒、2002年大阪市立大医学部卒。タイのエイズポスピスでのボランティアなどを経て、07年クリニック開設。大阪公立大非常勤講師。プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。