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前回のコラム「『睡眠不足』は認知症の最大リスクか カギは『脳の掃除』」で、睡眠不足は認知症の最大のリスクではないかという説を紹介しました。そして、これは単なる説ではなく、グリンパティックシステムのメカニズムを考えればじゅうぶんに納得できる理論であるという私見を紹介しました。では「最近、寝つきが悪かったりすぐに目覚めたりして睡眠不足が続いているので睡眠薬を飲んでみよう」という考えはどうでしょうか。結論からいえば「よほどのことがない限り睡眠薬には手を出すべきではない」と考えるべきです。そしてこれは「認知症のリスクを下げるため」だけではなく「依存症に陥らないため」かつ「生活の質を落とさないため」でもあります。
人生が台無しになることも
当院では過去20年にわたり「睡眠薬をいかに減らし、そして断ち切るか」という治療を続けています。私が勤務医の頃、睡眠薬依存症に陥り、人生を台無しにしている人たちを数多くみてきたからです。認知症とは呼びませんが、睡眠薬のせいで仕事での凡ミスが増え退職を余儀なくされた人、生活のリズムが取り戻せず社会復帰できなくなった人、記憶が大きく抜け落ち自信を失った人、大切な人に暴言をはいたり無礼なメールを送りつけたりして人間関係が破綻した人もいます。当院の事例ではありませんが、睡眠薬を飲んだ人が「人を死なせてしまった」ケースもあります。過去のコラム「睡眠薬 依存症や『夢遊状態で問題行動』の心配」(※1)で紹介した、当時40代の主婦が5歳のわが子をあやめてしまった事件です。
興味深くまた非常に重要なことは、当院に「睡眠薬をやめたい」といって受診する患者さんのほぼ全員が「前の病院で睡眠薬を処方されたとき、依存性や副作用のリスクを聞いていない」と言うことです。もちろん、医師や薬剤師はきちんと説明している(つもりだ)けれど患者側が覚えていない、あるいは理解していない、ということはしばしばあります。ですが、「『この睡眠薬は一番弱いものだから心配ない』と前の医者からはっきりと言われた」と主張する人も何人もいましたから、(前医を疑うのは我々医師の世界ではルール違反なのですが)私自身も前医の対応に疑問を抱くことがあります。
眠れずに死ぬことは……
では、眠れずに苦しいとき、薬に頼らないのならどのように対処すればいいのでしょうか。まず最も大切なのは「眠れずに死ぬことは(ほぼ)ない」という事実を認識することです。実際、あなたの周りに不眠で死んだ人はまずいないはずです。その逆に、睡眠薬過剰摂取で死亡するケースは自殺や事故も含めて多数あります。ここで注釈を加えておくと、たしかに「眠れずに死に至る病」は存在します。その名を「致死性家族性不眠症(Fatal Familial Insomnia=FFI)」と呼びます。死に至る病として有名なプリオン病の一種で、病名が示すとおり遺伝性の疾患です。極めてまれで私自身もこの疾患を患っている患者さんを診たことがありません。
致死性家族性不眠症に罹患(りかん)していなければ不眠で死ぬことはありません。まずはこの事実を認識して安心することが大切です。では、「死なないのだとしても不眠はつらい。実際翌日の強い倦怠(けんたい)感のせいで何もできない」と悩んでいる人はどうすればいいのでしょうか。
=ゲッティ
そのような訴えは非常に多く、患者さんはその倦怠感や疲労感がいかにつらいかをそれぞれの立場から語られるのですが、私はあるとき共通点に気付きました。「眠れなくて苦しい。だから寝ることができれば少しでも寝たい」と考え、そしてその結果「休日に朝寝坊する」または「休日に昼寝をする」ことが非常に多いのです。そしてその休日の夜に余計に眠れなくなっているのです。ですから、不眠で悩む人たちに私が診察室でまず伝えているのは「休日も含めて毎日同じ時間に起きる。昼寝はするなら15分以内にする」というルールです(ただし、これは成人の場合で、10代の場合は「休日の朝寝坊がうつ病予防に役立つ」とする報告=※2=がありますから個別に検討します。また短時間なら昼寝はNGではなく、脳の活力を高めるとする報告=※3=もあります)。
しかし、私のこの助言に対し、多くの患者さんは反発します。なかには「睡眠薬がなければ一睡もできません。それでは仕事ができません」と主張する人もいます。しかし、たとえ寝不足あるいは徹夜により仕事の効率が大きく低下したとしても、その日の夜にはたいてい眠れます。それでも眠れないという場合、つまり「2日間一睡もしていない」という場合でも、その夜には眠れるはずです。「睡眠薬がなければ三日三晩一睡もできない」という人はまずいません。
次に、「ベッドのなかで目がさえた状態でいるのがつらい」という悩みに答えておきましょう。答えは「原則として眠くなるまでベッドに入らない。入ってから目がさえてきたのなら起きて好きなことをする」です。私はこのような場合に読書をよく勧めますが、個人的にはテレビやビデオでもいいと思っています。一般に「スマホやタブレットはブルーライトの影響を受けて余計に眠れなくなるから禁止」とされていますが、私自身は眠れない苦痛に耐えるくらいなら必ずしもスマホ禁止にする必要はないと思っています。とはいえ、やはりお勧めなのは、音も光もない状態で深呼吸して心を無にしたり、過去の楽しかった思い出や将来のワクワクするビジョンを想像したりすることです。私は詳しくありませんがマインドフルネスも有効だと思います。
睡眠薬を使うなら
では薬は絶対に使ってはいけないのかというとそういうわけではありません。それを説明するのに、既存の睡眠薬を分類してみましょう。
#1 市販の睡眠改善薬:たいてい古いタイプの抗ヒスタミン薬が主成分。副作用の眠気を利用している
#2 漢方薬:酸棗仁湯(さんそうにんとう)、抑肝散(よくかんさん)、加味帰脾湯(かみきひとう)、柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)など
#3 バルビツール酸系:ラボナ(ペントバルビタール)が代表
#4 ベンゾジアゼピン系:レンドルミン(ブロチゾラム)、ハルシオン(トリアゾラム)、ロヒプノール(フルニトラゼパム)、ベンザリン(ニトラゼパム)など
#5 非ベンゾジアゼピン系(Z系睡眠薬):マイスリー(ゾルピデム)、アモバン(ゾピクロン)、ルネスタ(エスゾピクロン)
#6 ラメルテオン:先発品の名称はロゼレム。メラトニン受容体作動薬
#7 オレキシン受容体拮抗薬:ベルソムラ(スボレキサント)、デエビゴ(レンボレキサント)、クービビック(ダリドレキサント)、ボルズィ(ボルノレキサント)の4種
=ゲッティ
このなかで最も危険なのは依存性が極めて強力な#3のバルビツール酸系ですが、最近は処方する医師がほとんどいません。「睡眠薬をやめたいけどやめられない」と当院に相談されるケースのほとんどは#4ベンゾジアゼピン系と#5非ベンゾジアゼピン系です。一応、#5の危険性は小さく#4とは区別すべきだという意見もあるのですが、私自身は区別すべきでないと考えています。同じように依存症に苦しむことが多いからです。上述したわが子をあやめた女性のケースもゾルピデムを服用していたと報じられています。#1については熟睡できることはそう多くなく、他方翌日に効能が残ることも多いため、私自身は推薦していません。
不眠がありどうしても睡眠薬が必要となり、かつこれまで睡眠薬を飲んだことがないという場合、私は#6ラメルテオンを最も処方しています。この薬は睡眠ホルモンのメラトニンと同じような働きをします。私自身も時差ボケ解消目的で使うことがあります。
#6ラメルテオンでは不十分な場合、#2漢方薬か#7オレキシン受容体拮抗薬のいずれかまたは双方を加えます(なお、これは私がよくおこなう処方例であり、必ずしも正しいわけでも普遍的なわけでもないことにご注意ください)。漢方薬の選択にはその患者さんの他の症状や感情の状態、あるいは舌診や脈診など漢方学的診察所見を考慮する必要があります。#7オレキシン受容体の選択は、一応は半減期(どれくらいの時間作用するか)を考えておこないますが、必ずしも理屈どおりにはなりません。
すでに睡眠薬依存症を起こしている場合は、これらを突然中止するとまずうまくいきません。ひどい場合は錯乱したりけいれんを起こしたりすることもありますから少しずつ減らしていかねばなりません。少しずつ減らしながら、#2、#6、#7の睡眠薬を適宜用いて、最終的には完全に入れ替えていきます。これが当院で実施している睡眠薬依存症の治療の大枠です。このように述べると簡単そうに聞こえると思いますが、これがなかなか困難で、一筋縄にはいきません。
比較的短期間で成功する事例にはひとつの共通点があります。それはパートナーや家族など「支えてくれる人の存在」です。(非)ベンゾジアゼピン系を断ち切る過程では、ときに錯乱し、大切な身近な人に暴言を吐いたり物を投げつけたりすることもあります。しかし、そのような状態になっても変わらぬ思いで患者さんを支え続けることができる存在の人がいれば、たいていは成功するのです。最後に、依存症から脱却できた人、あるいは今も苦しんでいる人が口をそろえて言う言葉を紹介しておきましょう。
こんなに苦しまねばならないのなら初めから処方してほしくなかった……
※1 睡眠薬 依存症や「夢遊状態で問題行動」の心配
※2 Weekend catch-up sleep and depressive symptoms in late adolescence and young adulthood: Results from the National Health and Nutrition Examination Survey
※3 A nap can recalibrate homeostatic and associative synaptic plasticity in the human cortex
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1991年関西学院大社会学部卒、2002年大阪市立大医学部卒。タイのエイズポスピスでのボランティアなどを経て、07年クリニック開設。大阪公立大非常勤講師。プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。