世界平和統一家庭連合(世界基督教統一神霊協会「統一教会」)に関する年表
1970年
4月9日 - 岸信介元首相が 「統一教会」本部で東京地区の信者約4,000名に対して国際情勢などを語り、教会員を激励(当時の写真)。
7月 - 大阪府茨木市の修練会で監禁致死事件。修練生の関西大学法学部一年生男性が死亡。
7月13日 - 東京神宮前の東郷記念会館で「赤色帝国主義に抗議する集会ー囚われたる欧州諸国民の週間・日本大会」が開催される。「国際勝共連合」 が生長の家、「世界反共連盟」日本支部等の団体と共に参加。
9月2日 - 久保木は、岸信介の自筆の推薦文をしたため、韓国の朴正煕大統領と青瓦台の大統領官邸で会見。
9月20日 - 「世界反共連盟(現・世界自由民主連盟)世界大会」が武道館で開催。岸が大会推進委員長を務め、久保木が議長を務めた。また、大会責任者を国際勝共連合の事務総長の阿部正寿が務めた。
10月21日 - 合同結婚式「777双祝福式」が韓国で開催。原理研究会初代会長の太田洪量も参加し、郁惠という名の女性と結婚した。
12月 - 祝福家庭婦人を3年間の開拓伝道に送り出す。
「統一産業」が輸入禁止された散弾銃に代えて、韓国から「鋭和3B」という単発銃の輸入を始める。
1971年
1月3日 - 文鮮明がイエス・キリストを韓国の女性信者、張貞順(チャン・ジョンス)と祝福したという。(1972年、1973年にも同様のことが語られる。)。
年初め - 韓国で「一信石材」を設立。霊感商法で販売された大理石壷や多宝塔の置物などを製造した。
1月8日 - 「リトルエンジェルス芸術団」の日本講演を当時の皇太子夫妻(上皇明仁と上皇后美智子)が鑑賞(当時の写真)。
2月13日 - 『読売新聞』で「でたらめ街頭募金追及。“本家”が厳重抗議、「北方領土」のでっち上げ団体、金の使い方も不明」との記事が出る。国際勝共連合を母体とする「北方領土復帰推進連盟」という団体で募金運動を行っていることに対し、51団体が加盟している全国組織の「北方領土問題連絡協議会」が厳重に抗議。募金で集まった金の使途を明らかにせよと迫ったが、勝共連合側は明確な回答をしなかった。
3月26日 - 統一教会系の輸入会社「幸世物産」(のちのハッピーワールド)が韓国から大量の空気銃を輸入して来たことが国会で追及される。
5月25日 - 教団の第2事業部が、高麗人参茶と高麗大理石壺の販売等を業とする「幸世商事株式会社」(のちのハッピーワールド)として独立。草創期の信者で、原理講論の講師を務めていた増田勝が代表取締役に就任。
12月6日 - 韓国において、高麗人参製品を中心とした製薬会社「一和製薬」(後に一和と改称)を設立(文鮮明が薬学博士号を持っていた古参幹部、洪性杓(ホン・ソンピョ、36家庭、洪蘭淑の父)に500ドルを手渡し設立を命じた)。
12月18日 - 文鮮明夫妻がアメリカ進出を目指し渡米。ワシントンD.C.に到着。
「全国大学原理研究会」を設立した小宮山嘉一(元立正佼成会)が脱会。
1972年
2月3日〜3月6日 - 文鮮明がアメリカの7大都市で講演。
11月22日 - 教団関連企業、「世界のしあわせ」(後のハッピーワールド)」の営業部長でキャラバン隊のボス的存在であった曹又億萬(ソウマタオクマン、日本名は大山高誉、43双 2005年 8月 12日死去)に1971年8月27日から1972年5月27日にかけて、教団の幹部3名と共謀し、小切手2億3千万円を韓国へ不法に持ち出した外為法違反容疑で逮捕状が出る。海外逃亡したため国際指名手配となる。兵庫県警は総額で6億9,414万円を捜査の対象にしていた。
11月 - 文鮮明がニューヨーク州の郊外にあるウエストチェスター郡のタリータウンに部屋数25の豪邸を62万5千ドル(当時のレートで約1億8千万円)で購入。
12月 - 古田元男が「幸世商事株式会社」代表取締役に就任。
12月8日 - 神戸で統一教会幹部3人{石井光治(「勝共連合」渉外部長)、増田勝(教団の伝道師)、藤本三雄(教団の伝道師)}が外国法違反容疑で起訴されたが、「額面2億5千万円の小切手を不法に持ち出したとされる相当の嫌疑が有することは否定できないが、有罪とするのに十分な証拠を欠く」として無罪になった。捜査の過程で統一教会の経済活動の実態が明らかにされる。
笹川良一が「反共運動から手を引く」と「国際勝共連合」名誉会長を辞任。共産圏とのスポーツ交流を優先したいことが理由とも言われる。
1973年
4月8日 - 元首相の岸信介は渋谷区の統一教会本部で講演を行った。講演の中で笹川良一に言及し、「戦犯として巣鴨の監獄で3年余の起居を共にした、いわゆる獄友で、人生のうちでも極めて思い出のふかいお友達の一人で、非常に懇意の間柄である」と述べた。また、笹川、久保木修己、岸らによって国際勝共連合がつくられた背景について語った。
4月30日 - 文鮮明、アメリカのグリーンカード取得。
5月6日 - 文鮮明によって韓国で「世界平和教授協議会(세계평화교수협의회)」が設立される。
10月1日 - 文鮮明が「キリスト教の危機と新しい希望」というタイトルの講演会をアメリカで開始。全米21都市で行う。最初のカーネギーホールでの大会は、ホールの外で、反対デモが連日起こる。
11月23日 - 岸信介が日本の統一教会本部を訪問し、文鮮明と会談。
11月30日 - 文鮮明がウォーターゲート事件で糾弾されているニクソン大統領を擁護する声明(「許せ、愛せ、団結せよ」)を『ニューヨーク・タイムズ』と『ワシントン・ポスト』に出す。
12月18日 - 文鮮明の子供たちが、韓国から米国のニューヨークの文鮮明の邸宅(ベルベディア)に移住。
12月24日 - 「アメリカ国民に訴えた文鮮明師の声明」をサンケイ新聞に意見広告として掲載。
文鮮明、イーストガーデン購入(1億4千万円)。
米国でCARP(「原理研究会」)創設。
日本、イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、イタリア等から伝道師が米国に集い、「世界統一十字軍」という伝道機動隊が編成される。その責任者には、各国の43双(1969年の43組の合同結婚式の参加者)の信者が、日本部隊の責任者には神山威が立つ。
1974年
1月 - アメリカに観光ビザ等で入国していた教団の信者、582名(281名は日本人)が、伝道修習生というビザへの切りかえを申請したが、アメリカの移民帰化局は、本当の目的は花売りや新聞売り等の経済活動や募金活動等にあると判断し、資格変更の申請を却下する。
2月1日 - 文鮮明、ホワイトハウスにてニクソン大統領と会談。
3月5日 - 韓国で「リトルエンジェルス芸術学校」(後の「仙和芸術学校」)を開校。
4月4日 - 北朝鮮へ嫁いだ日本人妻の帰国実現を目指す「日本人妻自由往来実現運動本部」を結成。同団体は後に「日本人妻自由往来実現運動の会」と改名し、江利川安栄が池田文子の名で会長に就任した。日本人妻からの手紙を出版。
4月12日 - 韓国の『東亜日報』で韓国のキリスト教界が合同で統一教会に関する意見広告を出す。「文鮮明は、人類の血管にヘビの血が流れている、これが罪の遺伝であり、そのため文鮮明の聖なる血を受けて血分けをしなければならないという混淫の主張をしている」と書き記した。
5月7日 - 第1回「希望の日晩餐会」が東京の帝国ホテルで開催され、文鮮明が講演した。名誉実行委員長は岸信介が務めた。福田赳夫大蔵大臣は「アジアに偉大な指導者あらわる、その名は文鮮明」と挨拶した。安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎、(ブリヂストン副社長)、笹川了平(『大阪日日新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らの他、40名ほどの小学校、中学校、高校の校長達が出席。
5月9日 - 埼玉県の狭山湖畔で大会が開かれ、全国から7、8千人の信者が集まる。文鮮明は自分にはお金がないから、みんなで高麗人参茶を売るようにと信者に指示し、5月から8月にかけての90日間で、400箱売るという“誓約書”を書かせた。
9月18日 - 文鮮明がニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで「希望の日」講演会を行う。2万数千名が集まる。
9月28日 - 世界平和教授アカデミーが日本で設立。松下正寿が初代会長に選出された。前年に韓国で設立された世界平和教授協議会と同種の団体である。
10月8日 - 米国国会議事堂招請講演。