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本稿執筆の4月12日時点では依然ホルムズ海峡をめぐる混乱の行方が見通せません。米国とイランの停戦がいつまで続くのか、あるいは収束に向かうのかは専門家の間でも意見が分かれているようですが、安定した原油の供給にしばらく時間がかかることは間違いなさそうです。ホルムズ海峡が封鎖され困窮するのは米国や欧州よりも輸入依存度が高いアジア諸国です。我が国では、政府が石油供給会社に補助金を支給すると発表し、国民に安心させようと取り組んでいるようですが、世界の対応とは全く逆の方向に進んでいます。このままでは我々の生活に多大なる影響が出て、そして、医療を受けられなくなる人々が続出し、最悪の場合助かる命が失われるかもしれません。今回は、医療の現場が逼迫(ひっぱく)してきている様子を紹介し、(本稿を役人が読むことはないでしょうが)政府への提言をしたいと思います。
医療用グローブに、点滴チューブも……すでに不足
まずは、我々医療者が日々どれほど石油のお世話になっているかを確認しておきましょう。おそらく化学的な視点からの話はすでに報じられていると思いますので細かい話は省略しますが、薬を製造するのにも石油は必要ですし、それをパッケージして流通させるのにも石油が不可欠です。もっと直接的に影響を受けるのが、シリンジ(注射器)、注射針、点滴バッグ、医療用チューブなどのプラスチック製品です。医療用グローブの製造にも石油が必要です。
例えば食品製造会社に原材料が入荷しなくなれば製品を供給できなくなるように、医療器材の入荷が止まれば医療行為ができなくなります。そして実際、それがすでに生じています。現在、医療器材の卸業者にシリンジや点滴バッグを注文してもほぼ入荷しません。しばらくの間はやや割高になる業者に依頼すれば多少は入手できる可能性もありますが、やがてそういったところからの購入もできなくなるでしょう。当院では、新型コロナウイルスを教訓にして、サージカルマスクに加え、N-95と呼ばれる予防力の優れたマスクも大量に在庫しているのですが、皮肉なことに今回はマスクが不足しているわけではありません。医療用グローブもコロナの教訓から比較的多くの備蓄がありますが、グローブの種類によってはすでに不足してきています。最近、点滴に必要なチューブの在庫を確認すると、長くても5月中旬までしか持たないことが分かりました。
緊急医療や透析を優先に
そこで先日より、当院ではウェブサイトに、医療器材の供給が不安定なため「緊急性のない医療行為は延期や中止をさせてもらうことがあります」と案内をし、実際、検査や治療の内容によっては延期(あるいは中止)させてほしい旨を説明しています。例えば、生活習慣病で年に1回もしくは2回の定期採血をしている人には控えてもらうようにお願いしています。しかし、そう言われるとかえって不安になる人もいて「予定通りに採血ができない」ということがかなりのストレスになることもあります。当院は2007年の開院以来、「検査も薬も最小限」を基本方針としていて、患者さんが希望するからという理由のみで点滴をすることはありません。検査の強い希望があったとしても、不要と思われる場合は「なぜその検査が不要か」を説明し理解を得るよう努めています。しかし、我々からみても「本当はすべきだけれど緊急性があるとまではいえない」というような状態で事情を理解してもらって検査や治療を控えるのは大変つらいものです。
透析を受ける患者たち
そして、これからもっと大変な思いをするのが、緊急手術に対応している病院や透析患者を診療している医療機関です。緊急手術は文字どおり「緊急」ですから、「器具がないので延期します」というわけにはいきません。透析は週に3回のペースで維持しなければ命に直結します。透析回路、血液チューブ、廃液バッグなど透析医療の大部分が石油由来の素材(ナフサ)からできています。現時点では医師会からも他の医療団体からも医療者に向けての正式な声明は発表されていないと思いますが、これからは医療界が一丸となって、緊急性の乏しい医療を制限しなくてはならなくなります。おそらく、真っ先に矛先が向かうのは美容医療の世界でしょう。美容医療でも点滴や注射などナフサ由来の医療器具がたくさん使われています。これを緊急性の高い医療行為に回す必要があります。
高市総理のX投稿に違和感
我々医療者は一丸となって医療器材の節約に努めなければならないわけですが、政府にも協力してもらわねばなりません。今は国民が一体となり石油製品の使用や電気の利用に対して節約に努めなければならないときではないでしょうか。電気の利用を節約するといっても、これから需要が急増する冷房費を削るわけにはいきません。ですが、外食や遊興に関わる費用は節約できるのではないでしょうか。コロナ禍の頃のように「不要不急の外出」という言葉を再度持ち出して、国民に節約を呼びかけるべきであることを強く訴えたいと思います。
高市総理は、自らのX(※1)で「(一部のメディアが報道した)『日本は6月には(ナフサの)供給が確保できなくなる』という指摘は事実誤認であり、そのようなことはありません。」と述べました。では、なぜ当院は医療器具の卸業者から「点滴バッグも医療用グローブも出荷できません」と言われているのでしょうか。もちろん、供給不足を心配しなくていいのならそれはありがたいことですが、後で落胆するような無責任な投稿だとしたらやめてもらわねばなりません。
総理官邸も自信を持って「戦争は間もなく終結しこれまで通り石油が輸入できます」とは言えないでしょう。ならば、うまくいかなかったときのプランも提示すべきではないでしょうか。今、総理大臣にお願いしたいのは根拠の不十分な約束ではなく、国民に節約を呼びかけることだと私は思います。
「石油節約」のアジア諸国、日本政府が本当にすべきは
実際、近隣のアジア諸国はすでに国を挙げて節約の方向にかじを切っています。韓国では曜日ごとに公用車の使用を制限し、スリランカでは1週間の給油量に上限を設けました。インドネシアでは公務員が毎週金曜日を在宅勤務とされ、フィリピンでは一部政府機関が週4日勤務となりました。石油会社に補助金を出してガソリンを170円で安定させるなどと言っている国は日本だけです。ちなみに、リットルあたりのガソリンは英国では300円ほど、フランスでは約360円もするそうです。なぜこの国だけが楽観できるのでしょう。
ホルムズ海峡を通過して日本に到着した原油タンカー
医療器材の話に戻しましょう。我が国の首相が「ナフサの供給は十分にある」と断言している一方で、海外メディアは日本の危機的状況を指摘しています。マレーシアの医療系メディア「Healthcare Asia Daily」(※2)は「日本では、丸善石油化学や三井化学など複数の石油化学企業が、供給逼迫への懸念からナフサ輸入入札を中止し、生産削減を発表した。日本のナフサ輸入量の40%以上が中東からのもので、国内のエチレン生産施設12カ所のうち少なくとも6カ所が生産量を削減している。信越化学工業や東ソーなどの企業は、ナフサ価格の高騰を理由に、ポリ塩化やポリエチレンなどの製品価格を引き上げた」と報じました。ポリ塩化やポリエチレンは点滴バッグやシリンジの材料そのもので、これらはエチレンからつくられます。そしてエチレンはナフサから生成されます。同記事によると、韓国政府は、ナフサ不足に対応するため、石油精製会社によるナフサ輸出を制限する緊急措置を講じました。シンガポールでは医療器具のメーカーが価格引き上げで対応しています。
インドのメディアFortune India(※3)によると、インドの医療機器の団体が、プラスチック製の医療器材の原材料費が約50%上昇したことを発表しました。
首相が言うように、もしも本当に我が国では楽観できるのならば、逼迫している近隣諸国を支援すべきではないでしょうか。コロナ禍でマスクが不足していた頃、当院をかかりつけ医にしている中国人のある患者さんは「母国から送ってもらった」と言って、段ボールいっぱいのマスクを持ってきてくれました。お金を払おうとしても受け取ってくれませんでした。
東日本大震災のとき、私のアジアの知人たちは「できることはないか」と連絡をくれました。あるタイの家族は決して裕福ではないのにもかかわらず「日本への寄付をしてきた」と言ってくれました。現在近隣のアジア諸国が石油逼迫で困窮しているわけですから、首相は「我が国は大丈夫です」と言うのではなく、本当に大丈夫なら近隣諸国を支援すべきではないでしょうか。
すでに当院はこれまでの仕入れ価格での医療器材の購入を諦め、割高な業者にも当たっています。そういうところでは購入できる場合もあるようですが、この状態もいつまで続くか分かりません。もちろん、割高で購入して医療機関に赤字が出ても政府は補償してくれません。石油供給業者に補償金を配ることよりも優先すべきことがあるのは自明です。
※1 高市早苗氏4月5日付X投稿
※2 Asia’s medical device manufacturing strained amid Strait of Hormuz crisis
※3 Iran war impact: Medical device input costs up by 50%, says industry body
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1991年関西学院大社会学部卒、2002年大阪市立大医学部卒。タイのエイズポスピスでのボランティアなどを経て、07年クリニック開設。大阪公立大非常勤講師。プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。