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4月1日に値上げされた加熱式たばこ。「財布も厳しいことだし、禁煙にチャレンジしようか」と考えた人もいるのではないだろうか。禁煙の成功率を上げるために知っておきたい脳の癖とは――。“禁煙センセイ”こと、岡山済生会総合病院内科・特任副院長/がん化学療法センター長の川井治之さんに聞いた。
せっかくの努力が……喫煙願望を生み出す脳の“鏡”
「一本、どう?」
居酒屋やバーの喫煙席。禁煙中にもかかわらず、友人につられてつい、たばこに手を出してしまった経験はないだろうか。喫煙している人を見ると無性にたばこが吸いたくなってくる――じつはこの現象には、脳の「ミラーニューロン」が関与していることが、近年の脳科学の研究からわかりつつある。
=東京都千代田区で2017年9月1日、中村琢磨撮影
ミラーニューロンは、運動や感覚をつかさどる場所にあるとされる神経細胞群。他人のある動作を見ているときに、自分はその動作をしていないのに同じように活発になる。鏡(ミラー)で映し出すような反応を示すことから名付けられた。他人の行動をまねたり、共感したりすることに役立つと考えられており、「人まね細胞」「共感細胞」などと呼ばれることもある。
「たばこを吸っている人を見ると、禁煙中の人の脳内ではミラーニューロンが動き始め、喫煙時の動作がシミュレーションされます」と話すのは、岡山済生会総合病院で禁煙外来を担当する川井治之さんだ。
うまそうに煙を吐き出す友人の姿に自分の姿が重なると、次第に「1本だけならいいだろう」という気になってくる。だが、吸ったら最後、1時間後にはたばこのことで頭がいっぱいになってしまうはずだ。
「というのも、過去にたばこを常用していた人の脳は、ニコチン依存症の脳、言うなれば“たばこ脳”になっているからです。たばこ脳にニコチンが侵入すると、、抑えていたはずの欲求がゾンビのようによみがえり、たばこなしではいられなくなってしまいます」
吸い続けないとストレスがたまる「たばこ脳」のわな
たばこ脳とは、一言でいうと「ニコチンによってハイジャック(乗っ取り)された脳だ」と川井さんは説明する。
「ニコチンは体内に入ると約7~15秒で脳に到達し、本来、神経伝達物質のアセチルコリンと結合するアセチルコリン受容体にくっつきます。いわばアセチルコリンの“なりすまし”ですね。すると、快楽をつかさどる神経伝達物質、ドーパミンが大量に放出されます。アセチルコリンでは、ここまで膨大なドーパミンが分泌されることはありません。ニコチンという強力な薬物だからこそ、ドーパミンが大放出され、強い快感を得られるのです」
ニコチンの強烈な刺激を受け続けた脳は、「ふつうの生活の小さな刺激」ではドーパミンが出にくくなってしまう。食事や家族との団らん、散歩といった日々の何気ない出来事には幸せを感じられず、無感動な状態に陥りがちだ。
「問題はニコチンの離脱症状です。喫煙から30~40分ほどしてニコチンの血中濃度が下がると、ドーパミンだけでなくセロトニンも分泌されにくくなる。ドーパミンに加えて、癒やしホルモンと呼ばれるセロトニンが枯渇すると、強い不安やイライラなどが生じます」
このほか、眠気や、気力・集中力の低下も典型的な離脱症状といえる。「なんとなく口さびしい」「間が持たない」「退屈だ」といった感覚に襲われることも多い。
実際、カナダの心理学者、ヴェルナー・ジョセフ・ノットが喫煙者・非喫煙者を対象におこなった実験によると、喫煙者ではリラックス時に出る脳波、α波の量はたばこを吸っているときだけ増加し、体内からニコチンが抜けると減少していた。 非喫煙者のα波の量はほぼ安定していた。(注1)
南海難波駅前に設けられた公設の喫煙所でたばこを吸う女性=大阪市中央区で2023年6月23日、大西岳彦撮影
「正常な精神状態が保てるのはたばこを吸っている時だけ。たばこが吸えないとつらくてしかたない――たばこはストレス解消に役立つと思われがちですが、じつは逆。たばここそストレスのもとなのです」(川井さん)
なお、加熱式たばこのほか、口に含んで使用する無煙たばこ(スヌースなど)もニコチンを含んでおり、ニコチン依存症は起こりうる。とくに無煙たばこは使用場所を選ばないだけに注意が必要だ。
手ごわい心理的依存を乗り越える「心のしなやかさ」
たばこの害は百も承知しており、禁煙には何度もチャレンジしてきた、という人は少なくないだろう。ニコチンガムやニコチンパッチ(商品名、ニコチネルTTS)、内服薬のバレニクリンなどを試した経験もあるかもしれない。それでもなかなか禁煙に成功できないのは、けっして気合が足りないせいではない、と川井さんは強調する。
ニコチン依存症は、離脱症状のせいでたばこがやめられない「身体の依存」のほかに、「心理的な依存」「習慣依存」が絡む複雑な疾患だ。薬物療法で離脱症状をやわらげ、身体の依存を乗り越えても、心理的な依存と習慣依存が強ければ再喫煙しやすくなるという。
紙巻きたばこの販売本数が減少する一方、加熱式たばこの市場は拡大している=東京都内で2023年1月19日、町野幸撮影
心理的な依存とは、たばこに対して「極端な思い込み(認知のゆがみ)」がある状態を指す。たとえば「たばこを吸えばストレスが解消できる」と思い込んでいると、ストレスがかかったときについ手を出しやすくなる。
「喫煙する人は喫煙が身体に悪いことを知ったうえでたばこを吸っていますよね。心のなかに矛盾があると不快な緊張が生じるため、人は不快感を解消しようと無意識のうちに物事を都合よく考えてしまいます」
たばこについての思い込みには、以下のようなものがある。
〇たばこは嗜好(しこう)品。好きだから吸っているだけ。
〇たばこがないと人生がつまらない。
〇吸っても長生きしている人はいる。だから自分も大丈夫。
「初めてたばこを吸ったときは『臭くてまずい』と感じたのではないでしょうか。それでも今、たばこを手放せないのは、好きだからではなく、ニコチンに依存してしまっているせいかもしれません。たばこがないとつまらないのも、ニコチンの刺激に脳が慣れ、ほかの楽しみで満足できないからでは。長生きしている喫煙者もおられますが、あくまで一部の例にすぎません」(川井さん)。英国などの大規模調査からも、喫煙者の寿命は非喫煙者よりも約10年短くなることがわかっている。(注2)
岡山済生会総合病院内科・特任副院長/がん化学療法センター長の川井治之さん
まずはたばこについて思い込みがないかを振り返りたい。そのうえで、「自分の考え方に根拠はあるのか」「違う解釈や見方はないか」などと考えてみる。強固な思い込みを捨て、違う考え方を受け入れる「しなやかな心」をもつことが、心理的な依存から立ち直るカギ、と川井さんは言う。
なお、「禁煙は1回で成功すべきだ」も喫煙者にありがちな思い込みだ。「1本吸ってしまったあと投げやりな気持ちになり、再び喫煙習慣にハマる人は少なくありません。禁煙の基本姿勢は七転び八起き。失敗しても失うものは何もない、と柔軟に考えましょう」
「次の1本は吸わないことに決めた」と声に出して宣言すると、禁煙の再スタートを切りやすくなる、と川井さんは勧める。
気合や根性は必要なし
たばこの習慣依存を断ち切るには、喫煙状況を記録することだ、と川井さん。吸いたくなったら、①「時間」②「場所」③「そのときの感情」④「誰と一緒にいたか」の四つをメモしよう。自分がどんな状況で喫煙してしまうか、すなわち「トリガー(きっかけ)」となるものを把握し、意識して避けるようにしたい。
ありがちなトリガーが飲み会だ。お酒を飲むと意志をつかさどる前頭前野の機能が低下して、本能が抑制しづらくなる。2020年に施行された改正健康増進法により、喫煙可能な飲食店は減っているが、喫煙専用室や加熱式たばこ専用ブースを設けている店舗もある。また、「2次会会場のバーやスナックがたばこの吸える喫煙目的店だったので、つい一服してしまった」ということにもなりかねない。
「禁煙を始めて3カ月間くらいは基本的に飲み会は避けた方がいいでしょう。どうしても参加しなければならないときはお酒を飲まないこと。それも難しければ、せめてたばこを吸う人の横には座らないことです」。冒頭のように、喫煙シーンを見ているだけでミラーニューロンが動き出し、衝動的にたばこに手を出してしまうリスクは高い。
川井さんによると、最大のトリガーは「コンビニ」だ。「レジの後ろに陳列されたたばこを目のあたりにすると、どうしても喫煙願望が頭をもたげてきてしまう。禁煙外来を訪れる患者さんには、『たばこをやめるのに気合や根性なんて必要ありませんよ。コンビニに行かなければいいのです』と伝えています」
なお、たばこそのもののほか、灰皿やライター、加熱式たばこの器具などもトリガーになる。思い切って処分しよう。
トリガーを避ける一方で、自己コントロール力も高めたい。
=ゲッティ
「衝動を抑制するはたらきは脳の前頭前野がつかさどっています。しかし、前頭前野の活動量には限界があり、使うと消耗してしまう。消耗を防ぐには睡眠をしっかりとることです。無理なダイエットもよくありません。おなかが減って低血糖状態になるとイライラし、喫煙リスクが高まるからです」
小腹がすいたら、小袋の無塩ナッツなどを間食するようにしよう。無塩ナッツは食後の血糖値を緩やかに上げる低GI食品だ。甘いお菓子を食べると血糖値が上昇した後、急に下がりやすくなる。
座ったまま目を閉じ、自然な呼吸に意識を向けるマインドフルネス瞑想(めいそう)にもチャレンジしてみてほしい、と川井さん。空気が体に出入りしている状態、つまり「いま、ここ」に集中することで、注意力や感情抑制力が高まり、吸いたい衝動をコントロールしやすくなるという。吸いたくなったら3分間だけでも実践してみよう。
「まずは3日間頑張ってみましょう。次は3週間、そして3カ月間と小さな目標をクリアしながら記録を伸ばしていくのです。何度失敗してもかまいません。2016年に発表されたトロント大学の追跡調査では、禁煙に成功した人――1年以上にわたってたばこを吸わなかった人――の多くが、それまでに30回ほど禁煙にチャレンジしていたことがわかっています」(注3)
3カ月頑張るとニコチン依存から脳が解放され、ささやかな幸せに感動できる日々が戻ってくる、と川井さん。
自分の習慣に合わせて禁煙の開始日を決めると挑戦しやすくなる。休日や暇なときに喫煙量が増える人は、スタートを週明けに設定しよう。逆に仕事中に喫煙量が増える人は、週末や連休に始めるといい。ゴールデンウイークや夏休みなどを利用すると成功率がアップしそうだ。
かわい はるゆき◇岡山済生会総合病院 内科特任副院長/がん化学療法センター長。1992年、岡山大学医学部卒業。2002年、医学博士号取得。岡山済生会総合病院内科医長。08年、同院がん化学療法センター長。24年、同院特任副院長。1000人以上の肺がん患者を診察した経験から肺がん予防の重要性に目覚め、02年、岡山済生会総合病院に禁煙外来を開設。“禁煙センセイ”としてSNSも活用し禁煙の啓発活動に力を入れる。著書に「頑張らずにスッパリやめられる禁煙」(サンマーク出版)など。YouTube: 禁煙センセイチャンネル
注1) Knott VJ, Venables PH : EEG alpha correlates of nonsmokers, smokers, smoking, and smoking deprivation Psychophysiology 1977 ; 14 : 150-156.
注2) Mortality in relation to smoking: the British Doctors Study - PMC
注3) Estimating the number of quit attempts it takes to quit smoking successfully in a longitudinal cohort of smokers - PubMed
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西川敦子
フリーライター
にしかわ・あつこ 1967年生まれ。上智大外国語学部卒業。編集プロダクションなどを経て、2001年独立。働き方や組織の問題、心理学などをテーマに取材。著書に「ワーキングうつ」(ダイヤモンド社)など。