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脳内に蓄積するアミロイドと呼ばれるたんぱく質を除去することで、アルツハイマー病の認知機能低下を27%抑制するとして2023年に登場したレカネマブ(商品名レケンビ)。しかし発売当初から、その効果には疑問の声が少なくありませんでした。2024年に発売されたドナネマブ(同ケサンラ)も同じ抗アミロイド薬であり、慎重な使用を求める意見が目立ちました。また、過去のコラム「アルツハイマー病のリスク遺伝子検査は『気軽に受けてはいけない』」(※1)で紹介したように、医学誌 JAMA に掲載された論文ではレカネマブの臨床試験の正当性が懸念されています。
これらの抗アミロイド薬は日本・米国・英国・EUなど50カ国以上で承認されたものの、有効性と安全性への疑問や高額なコストなどが影響し、広く普及しているとは言えません。そうした中、信頼性の高いエビデンスを提供する国際的非営利組織「コクラン(Cochrane)」が、抗アミロイド薬の有効性を正式に否定しました。本コラムでは、抗アミロイド薬の歴史を改めて振り返ります。
アミロイド原因説……しかし論文は撤回に
1990年代、アルツハイマー病の原因は脳内に蓄積するアミロイドではないかという仮説が浮上しました。患者の脳にアミロイドが大量に蓄積していることが分かってきたためです。しかし、アミロイドがなぜ蓄積するのか、そして本当に認知機能低下の原因なのかは不明でした。このため「アミロイド仮説」はあくまで仮説にとどまっていました。
世界中の科学者がアミロイド仮説を証明しようとしのぎを削るなか、状況を一変させたのが、米ミネソタ大学の神経学者シルバン・レスネ氏の論文です。2006年、英医学誌Natureに「脳内の特定のアミロイドβたんぱく質の集合体が記憶を阻害する」(※2)という論文が掲載され、世界中で大きな話題となりました。2000件以上の論文に引用され、製薬企業は巨額の研究費を投じ、抗アミロイド薬の開発競争が一気に加速しました。
ところが、過去のコラム「STAP細胞よりひどい…社会を揺るがす二つの捏造(ねつぞう)論文」で述べたように、世界中のどんな研究者がこの論文で示された実験を試みてもうまく再現できません。それもそのはず、ある学者の指摘で、論文に掲載されていた図に切り張りがあることが発覚、つまりこの論文は捏造されたものだったのです。2024年6月、Natureはついにこの論文を撤回しました。論文は今でも読むことができますが、タイトルに「RETRACTED ARTICLE(撤回された論文)」と明記されています。
=ゲッティ
ただ、シルバン・レスネ氏のこの論文が捏造であっても、そのことでアミロイド仮説そのものが否定されたわけではありません。レカネマブの製造会社エーザイは「論文捏造とレカネマブには関係がない」と発表(※3)しました。
さて、冒頭で取り上げた「認知機能低下27%抑制」とは実際にはどの程度の効果が期待できるのでしょうか。27%というこの数字を示したのは2023年に米医学誌「Cell Reports Medicine」に掲載された「レカネマブは脳内アミロイドβを減少させ、認知機能の悪化を遅らせる」(※4)です。
一方、前年の2022年には米医学誌The New England Journal of Medicineに論文「早期アルツハイマー病におけるレカネマブ」(※5)が掲載されレカネマブの有効性が検討されました。記憶力、推論力、日常生活機能を測定する18点満点の尺度で、プラセボ投与群は18カ月間で1.66ポイント低下したのに対し、レカネマブ投与群では1.21ポイントの低下にとどまったことが示されました。確かに差はありますが、ごくわずかなものに過ぎません。
国際NPOの分析は
冒頭で紹介した非営利組織コクランは、世界で最も中立で、かつ信頼性の高い組織です。そのコクランが抗アミロイド薬に関するこれまでの研究をレビューして出した結論が「効果はない」です。コクランがレビューしたのはアルツハイマー病または軽度認知症患者に対する(レカネマブやドナネマブを含む)合計9種類の抗アミロイド薬の効果が調べられた合計17の臨床試験(対象者は合計2万342人)のデータです。発表した記事のタイトルは「抗アミロイド薬はアルツハイマー病に対し、臨床的に意義のある効果を示さない」(※6)です。抗アミロイド薬が認知機能低下や認知症の重症度に及ぼす絶対的な効果は皆無、もしくはごくわずかであり、臨床的には意味がないと結論づけました。研究を主導したイタリア・ボローニャのIRCCS神経科学研究所の神経内科医兼疫学者Francesco Nonino氏は「残念ながら、これらの薬剤は患者にとって何ら意味のある効果をもたらさないことが示された」と述べています。
さらに、効果がないばかりでなく、有害性についても言及されました。発売当初から指摘されていた「抗アミロイド薬は脳の腫脹(しゅちょう)や出血のリスクを高める可能性が高い」ことが改めて確認されたのです。しかも、アルツハイマー病のリスクが高いApoE遺伝子をε4で持つ人が特にこれらのリスクが高く「ハイリスク者に使いにくい」ことがはっきりしています。
レカネマブとドナネマブは英国、米国、日本などの規制当局によって承認されていますが、英国では「効果が小さすぎ、費用対効果が見合わない」として、NICE(=National Institute for Health and Care Excellence=英国国立医療技術評価機構)はNHS(=National Health Service=英国国民保健サービス)での使用を却下しました。製造会社からの抗議を受け、NICEは現在再検討に入っています。いったんこれらの承認をしたMHRA(=Medicines and Healthcare products Regulatory Agency=医薬品・医療製品規制庁)は、今回のコクランの発表を受けて再審査に入ると報じられています。
=ゲッティ
ただし、このコクランの発表には反対意見もあります。検討されたのは合計9種類の抗アミロイド薬で、レカネマブとドナネマブ以外に、アデュカヌマブ、バピネウズマブ、クレネズマブ、ソラネズマブなど、既に開発・販売中止となった薬剤も含まれているからです。しかし、研究の方法としては何ら間違っているわけではなく、これらの薬と同時に検討されたという理由だけでは「レカネマブとドナネマブには臨床的な効果がない」とするコクランの結論を否定することはできません。
認知症リスクは他にも
ひとつ確実に言えるのは、たとえアミロイド仮説が正しかったとしても「アルツハイマー病の原因をアミロイドだけで説明することはできない」ということです。アミロイドが蓄積していても認知機能が正常な例は存在しますし、タウたんぱくの関与を示す研究もあります。また、アミロイドやタウたんぱくは認知症の「結果」に過ぎず、原因を取り除くことの方が重要ではないかという指摘があります。
過去のコラム「あのワクチンがリスクを下げる--アルツハイマー病を引き起こすのは感染症?」で紹介したように、感染症、とりわけ単純ヘルペスウイルスが認知症の原因ではないかという説もあります。残念ながら、過去のコラム「『睡眠不足』は認知症の最大リスクか カギは『脳の掃除』」で伝えたように、ヘルペスウイルスの特効薬バラシクロビルが認知症の予防になるかどうかを調べた前向き研究では有効性は認められませんでしたが、ヘルペスウイルスが(あるいは他の病原体が)認知症の原因ではないかとする説が否定されたわけではありません。
抗アミロイド薬の有効性が否定されたことは残念ですが、前回のコラム「認知症リスクは努力で下げられる! 老化進む山場は三つの年齢」で述べたように、認知症は生活習慣や環境要因によって大きく予防できることが分かってきています。治療薬に過度な期待を寄せるのではなく、予防に力を入れることが大切です。
※1 アルツハイマー病のリスク遺伝子検査は「気軽に受けてはいけない」
※2 A specific amyloid‑β protein assembly in the brain impairs memory
※3 米国科学誌Scienceに掲載されたAβ関連論文について
※4 Lecanemab reduces brain amyloid-β and delays cognitive worsening
※5 Lecanemab in Early Alzheimer’s Disease
※6 Anti-amyloid Alzheimer’s drugs show no clinically meaningful effect
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1991年関西学院大社会学部卒、2002年大阪市立大医学部卒。タイのエイズポスピスでのボランティアなどを経て、07年クリニック開設。大阪公立大非常勤講師。プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。