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4月初めごろのことです。クリニックの往診で80代の患者さんのお宅を訪ねたところ、「うちの孫の調子が変なので、診てやってください」とお願いされました。お孫さんの28歳男性は、熱やせきなどの風邪症状で寝込んでいました。38℃前後の高熱が3日間続き、ほほの内側に何かできているなと思っていたら、全身に発疹が広がったといいます。一目見て分かりました。最近、患者の急増が問題になっている「麻疹(はしか)」です。
お孫さんは全身に発疹が出てから3日目とのこと。熱は下がりつつあり、発疹も引いてきているので、「一安心だと思いますよ」とお伝えしました。お孫さんは「ありがとうございました。今後のことですが、何か後遺症など残るでしょうか」とおっしゃるのです。
今回のテーマはここから、麻疹の後遺症についてお話しします。
忘れた頃に……神経に潜む麻疹ウイルス
麻疹は、38℃前後の発熱やせきなどの風邪症状から始まります。2~4日間のカタル期(前駆期)の終盤には、ほほの内側に1mmほどの白い斑点(コプリック斑)が現れるのが特徴です。一旦熱が下がりますが、再び39℃前後の高熱が出て、全身に発疹が広がります。発疹は徐々に消えて、一般には発症から10日前後で回復しますが、合併症として注意しなければいけないのが肺炎や脳炎で、死亡することもあります。高熱が続く、息苦しさが増すなどの症状に警戒してください。麻疹に対する特効薬(抗ウイルス薬)はありませんから、治療法は解熱・鎮痛剤などで症状を和らげて自然治癒を待つ、対症療法が基本です。
さらに恐ろしい後遺症もあります。感染から数年後、亜急性硬化性全脳炎(SSPE)という脳炎を発症することがあるのです。これは、体に残り続けた麻疹ウイルスが原因で起きます。ウイルスの持続感染による病気としては、水痘ウイルスによる帯状疱疹(ほうしん)とも似ています。SSPEの場合は、脳に入り込んだ麻疹ウイルスが、潜伏しながらウイルス自体の状態が変化して、ゆっくり感染を広げていきます。
=ゲッティ
麻疹にかかったことを忘れたころ、記憶力の低下や思考力が落ちた、体がピクつくようになる(不随意運動)、などの症状が現れてSSPEが始まります。感情が不安定になり性格に変化が生じることや、子どもの場合は学校の成績低下で気づかれることも多いです。次第に知能や運動の障害が進み、数カ月から数年かけて徐々に神経症状が悪化し、意識が消失して自発運動もなくなります。SSPEの発病から数年~十数年で死に至る重篤な疾患です。
SSPEを発症するのは、1歳未満や免疫機能が低下した状態で麻疹に感染した場合に多いとされています。麻疹にかかった人の数万人に1人が発症するまれな病気で、実は私自身も患者さんを診たことはありません。麻疹ワクチンの普及でSSPE発症者も減少し、現在では年間5~10人ほど、国内の患者数は150人ほどとされています。
直近10年で最多ペース
現在、日本では麻疹の流行が広がっています。国立健康危機管理研究機構によると、5月8日現在の2026年の累積報告数は462人に達しました。前年(265人)を大きく上回り、直近10年間で最多だった19年(744人)をも上回るペースです。特に東京(累積報告数の49%)が突出して多く、新宿区内の小学校では学年閉鎖もありました。自治体が感染者の行動履歴を公表して警戒を呼びかけたり、コンサートやスポーツ観戦の来場者が後日麻疹陽性と判明して主催者から注意喚起されたりするケースが続いています。
=国立健康危機管理研究機構感染症情報提供サイトより
私を含めた中高年以上の世代では、「かつては誰もがかかる病気だったのに」という印象を持つ方もいるのではないでしょうか。それは、麻疹の感染力が非常に強いことが関係しています。麻疹ウイルスは空気感染するため、手洗いやマスクのみでは十分な予防はできません。広い体育館のような場所でも、その中に麻疹患者がいれば、そこにいる多くの人が麻疹ウイルスを吸い込んでしまうほどの感染力があると言われています。1人の患者が何人の人に移したかを表す「基本再生産数」は、インフルエンザの約10倍、新型コロナウイルスの約6倍、風疹の約3倍と見積もられています。麻疹ワクチンの定期接種化前には、ほぼすべての子どもが感染し、年間1000人規模で死者が出ていました。
「誰もがかかる」状態から、現在では「感染者が出た」と警戒するレベルになったのは、ワクチンによって感染者が減り、日常から麻疹を追い出すことに成功した表れでもあります。日本では1978年に麻疹が定期接種化し、2006年以降は小学校入学前の2回接種が実施されています。
何よりワクチンで予防を
しかしそれではなぜ、今年流行しているのでしょうか。冒頭の麻疹にかかったお孫さんも、「麻疹のワクチンは打っています。なぜかかったのでしょう」とおっしゃいます。
MR1期(麻疹・風疹)の予防接種を受ける子ども=2011年5月30日午後2時9分、兵藤公治撮影
近年の流行は、世界的にも増えており、海外からウイルスが持ち込まれるリスクが高まっているといいます。また現在20~40代の世代には、ワクチン接種が1回だった人が含まれています。30代後半~40代前半の人が乳幼児期だった時には、MMR(麻疹・風疹・おたふくかぜ)ワクチンの副反応が問題になり、接種を控えたり機会を逃したりした人がいました。実際に国立健康危機管理研究機構の統計によると、26年の年齢別報告数(5月8日現在)は20代が最多の31%で、30代(21%)、15~19歳(14%)、40代(11%)と続きます。未就学児では、新型コロナウイルス流行以降は定期接種の接種率が低下傾向というのも課題です。2回接種しているはずの小学校でも集団感染が起き、感染力の強さがわかります。ワクチンを打っても、何らかの理由で免疫がつきにくい人もいるのです。
かつてありふれた病気だったとはいえ、重症化すれば命にも関わり、SSPEという恐ろしい後遺症もあります。麻疹自体を治す特効薬はありませんから、何よりもワクチンで感染予防し、免疫がつきにくい場合には流行時に人混みに近づかないなどの対策が必要かもしれません。油断せず、今回感染した人も気をつけていただきたいと思います。
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工藤千秋
くどうちあき脳神経外科クリニック院長
くどう・ちあき 1985年島根医大卒。英国バーミンガム大、鹿児島市立病院などで脳神経外科を学ぶ。95年に東京労災病院脳神経外科副部長。2001年に東京都大田区にクリニックを開設。脳神経外科専門医。日本アロマセラピー学会認定医。