|
|
治療が難しいがんの一つに、膵(すい)がんがあります。見つかった時にはすでに進行していることが多く、また現在の治療薬も限定的な効果しかないため、多くの患者さんが命を失っています。ところが今回、膵がんに対する新薬が大変に効いたことが報告され、世界的に大きなニュースとなりました。新薬試験の結果について詳しく報告するとともに、どのように作用する薬なのかを分かりやすく解説します。
3人に1人の割合でがんが縮小
膵がんにダラクソンラシブという新薬が効果的である――5月31日に米国の有名医学誌「The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE」で、このような報告がされました。
ダラクソンラシブの効果を報告する論文=「The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE」のホームページより
研究の対象になったのは、治療後に進行してしまった転移性膵がんの患者さん500人です。患者さんは、ダラクソンラシブを飲むグループと、従来の抗がん剤治療を受けるグループに分けられて、治療効果と副作用が詳しく比較されました。
結果、生存期間中央値が従来の抗がん剤では6.7カ月だったのに対し、ダラクソンラシブでは13.2カ月と、ほぼ2倍に延びました。また、画像検査でがんが明らかに小さくなった人の割合は、従来の抗がん剤では11.2%だったのに対し、ダラクソンラシブでは31.6%でした。つまり、およそ3人に1人の割合で、がんの縮小が確認されたことになります。これは進行した膵がんに対しての治療としては驚異的で、我々がん研究者も驚く効果です。
一方、副作用としては、主に皮膚の発疹(85.5%)、口内炎(53.1%)、下痢(58.1%)、吐き気(46.5%)がありました。副作用が原因で治療を中止せざるを得なかった人は、ダラクソンラシブでは1.2%、従来の抗がん剤では11.2%となっています。副作用は決して少ないわけではなく、高頻度に見られたものの、治療中止につながるほどの重い副作用は、従来の抗がん剤より少ないものでした。
このように新薬は従来の抗がん剤よりもよく効き、副作用も少なめという素晴らしい結果を示したことになります。
膵がんはRASシグナルで増殖する
では、この新薬はどのような薬なのでしょうか? 本連載で繰り返し説明してきた通り、がんはギャングのような特徴を持っています。子分を増やして増殖し組織を大きくして、周囲の真面目な人々(正常細胞)を巻き込んで、困らせます。悪事でお金を稼いで組織を大きくするギャングと同様、がん細胞も増殖シグナルというものを利用して、拡大していくのです。
がん細胞が使う増殖シグナルにはさまざまなタイプがあり、がんの種類によって、使用する増殖シグナルは変化します。膵がんでは主に、RASと呼ばれるたんぱく質を増殖シグナルとして利用していることが分かっていました。そのため、以前からRAS増殖シグナルを抑制する薬を作る研究が進められてきたのですが、このRASシグナルというのがなかなか厄介な標的で、うまくいかなかったのです。
それに対して、肺がんや乳がんなどで使われている増殖シグナルの抑制薬は、比較的開発がうまくいっていました。おかげで肺がんや乳がんは治る人がかなり増えていたものの、膵がんを治すことは難しいという状態が続いてきたのです。
増殖シグナルを抑える方法
ここで、増殖シグナルについて説明をしておきましょう。
例えるなら、増殖シグナルは歯車のようなものです。一つ目の歯車と二つ目の歯車がガチッと組み合わさることでパワーを発揮します。
よって増殖シグナルを抑制するには、歯車の組み合わせを阻害することが必要になります。具体的には、歯車の穴にスッポリとはまり込む小さな塊(低分子化合物と呼ばれる)を作り、それをはめ込むのです。そうすると、二つの歯車はうまくかみ合わなくなって機能不全に陥ります。
肺がんの一部で使われる増殖シグナルのEGFRやALK、乳がんの一部で使われるHER2などを標的とする薬は開発がうまくいって、患者さんの予後改善につながってきました。しかし、膵がんで最も重要なRASは長い間、薬では狙いにくい標的とされ、治療開発が難航していたのです。歯車のかみ合わせが他の増殖シグナルと違って独特な形状をしていることが、一つの理由でした。小さな塊をはめ込んでも、歯車の回転を止めることができなかったのです。
=ゲッティ
がん研究者は30年以上にわたって、RASに対する阻害剤の研究を続けていましたが、なかなかうまくいかずに、RASはUndruggable target(薬を作るのは困難な標的)とも言われてきました。それでもがん研究者は決して諦めず、解決策を模索して試行錯誤を続け、徐々に解決の糸口を見つけてきました。それが、ダラクソンラシブの成功につながったと言えます。
新たな方法でRASの歯車を止める
さらにダラクソンラシブは、もう一つの結合によって、歯車の回転を抑えることに成功しました。がん細胞内に入り込んだダラクソンラシブがCyclophilin Aというたんぱく質に結合して大きな塊を作った後にRASと結合することで、RASの歯車の回転を阻害したのです。
要するにダラクソンラシブは、がん細胞内にもともと存在するたんぱく質と結合することで歯車にガッチリとハマる形に変化するという、計算されたスマートな方法で効力を発揮したのです。それが大きな成果につながりました。
膵がん以外にも効果を示す可能性
今回の新薬発見が世界的なニュースになったのは、治療が困難な膵がんに効果を示しただけでなく、他のがんにも効果を示す可能性が高いからでした。
実は本薬が効果を示すタイプのRASの異常は、がんの中で大変高頻度に見られるもので、全がんの約20%にのぼると言われています。膵管腺がんでは90%以上、大腸がんでは約40〜50%、肺がん(特に肺腺がん)では約20〜30%に認められます。
目下、ダラクソンラシブは他のがんに対しての臨床試験も進行中で、結果によっては膵がん以外のがん患者さんも恩恵を受ける可能性があります。また、膵がんに対しては治療後の再発例に効果を示しましたが、初期診断の症例にも効くかどうかを検討されているので、膵がんの再発前から使えるようになるかもしれません。
日本ではいつから使えるのか?膵がん克服を目指し、紫色のたすきやTシャツで歩く参加者たち=津市の三重大で2025年9月14日午前9時47分、下村恵美撮影
では、期待の新薬が、いつごろ日本の患者さんに届くのか? 現時点では不明ですが、大変に有望な結果だったため、まずは米国内で早期に承認される可能性が高いと予想されます。ただし、今のところ承認の時期は確定していません。
今後、日本でも承認申請がされることが予想されます。今回の臨床試験では日本の膵がん患者も含める形で試験が行われていましたから、日本人の患者さんへの安全性や効果も、ある程度は検証されていることになります。日本人への検討が全く行われていない新薬に比べると、比較的早くに承認されるのではと期待が高まります。しかし、こちらも正確なタイミングを予想するのは難しい状況です。
膵がんで苦しむ患者さんは本当に多いものです。早くに承認をされて、多くの患者さんが使えるようになることを期待しています。
<参考文献>
Eileen M.O’Reilly,M.D.,Zev A.Wainberg,M.D.,Andrew E.Hendifar,M.D.,Mitesh J.Borad,M.D.,Filippo Pietrantonio,M.D.,Shubham Pant,M.D.,Pascal Hammel,M.D.,Chiara Cremolini,M.D.,Ph.D.,Gulam A.Manji,M.D., Ph.D.,Paul E.Oberstein,M.D.,Ignacio Garrido-Laguna,M.D.,Ph.D.,Christoph Springfeld,M.D.,Ph.D.,Nilofer S.Azad,M.D.,Makoto Ueno,M.D.,Ph.D.,Stephen Y.Chui,M.D.,Ying Zhang,Ph.D.,Hina Patel,Pharm.D.,Yeonju Lee,Ph.D.,Zeena Salman,M.P.H.,and Brian M.Wolpin,M.D.,M.P.H.,for the RASolute 302 Trial Investigators.Daraxonrasib or Chemotherapy in Previously Treated Metastatic Pancreatic Cancer.The New England Journal of Medicine.May 31,2026.
毎日メディカルの無料メルマガの登録はこちら
大須賀覚
アラバマ大バーミングハム校助教授
おおすか・さとる 2003年筑波大医学専門学群卒。同大病院脳神経外科などで主に悪性脳腫瘍の治療に従事するが、患者さんと向き合う中で現行治療の限界に直面し、がん研究者に転向。共著に「最高のがん治療」など。