|
|
前回はサッカーのヘディングを例に出し、CTE(慢性外傷性脳症)がいかに難儀な疾患であるかを紹介し、そしてそのリスクを回避するためにコンタクトスポーツ参加について各自がよく検討すべきだ、という話をしました。しかし、私は運動そのものに否定的なわけでは決してなく、その反対に日々患者さんに「運動」の重要性について話をしています。「疲れていようが、時間がなかろうが、あるいはたとえけがをしていようが、それでもできる運動はある」と話し、「運動はどんな薬にも勝るスーパードラッグ」と伝えることすらあります。
患者さんに「何か運動をしていますか」と尋ねると「歩いています」「ウオーキングを続けています」という答えが返ってくることがしばしばあります。一方、「筋トレに励んでいます」と言う人はそう多くありません。それどころか、「運動はウオーキングでじゅうぶん」と考えている人がかなり多く、なかには「以前かかっていたクリニックでは歩くだけでいいと言われていた」と言う人もいます。しかし、歩くだけでは健康維持に不十分であり、ウオーキングなどの有酸素運動と筋トレ(=筋肉トレーニング=ワークアウト、ここでは広く使われている「筋トレ」で通します)は双方が重要ですが、筋トレこそが健康維持に不可欠であり有酸素運動よりも優先すべきではないかと考えるようになりました。今回はなぜ筋トレがそんなにも重要なのかについて私見を交えて述べてみたいと思います。
「やせ薬」普及への危機感
医師になってから数年前まで、私は「歩いています」という患者さんに対して「いい習慣をお持ちですね。では続けてください」というような感じのことを伝えてきました。しかし現在はそれでは不十分だと思っています。そう考えるに至った最大の理由は「やせている人が増えた」ことです。きちんとした統計は見当たりませんが、日本人の体重は(少なくとも私が診ている範囲でいえば)確実に低下しています。これはおそらくGLP-1受容体作動薬(以下「GLP-1製剤」)を中心とする「やせ薬」の爆発的な普及によるところが大きいと思われます。医学界からも行政からも、こういった薬の適正使用が呼びかけられているようですが、美容クリニックのみならず一般の医療機関でさえも自費診療による「やせ薬」の気軽な処方(というより“販売”)が広くおこなわれており、もはやこの勢いは止まりません。
結果、老若男女問わずダイエットに成功した人が続出しています。現在GLP-1製剤は米国では8人に1人が使用していると言われていて、日本での普及度はここまでは高くないでしょうが、かなり大勢の人が使用しているはずです。では、やせるのはいいことかというと、当院の患者さんを診ていると、やせたことを喜んでいる場合ではない、つまり健康を害していると思われるケースが続出しています。以前のコラム「GLP-1ダイエット『やめれば以前より太る』衝撃の欠点」で、GLP-1製剤の欠点として「薬代をいつまで捻出できるかが問題」「中止すれば元の木阿弥どころか以前よりも太る」ことなどを述べました。しかしこういった問題は「費用を捻出できれば」解決します。このこと以外に、やせること、特にGLP-1製剤を使ってやせることにはもっと大きな問題があります。
それは「脂肪だけでなく筋肉が落ちる」ことです。そして筋肉量が減少すれば骨密度も低下します。GLP-1製剤が現在の勢いで普及していくと、将来骨折や骨粗しょう症に苦しむ人が急増すると私は予想しています。そして、行動制限を強いられ、生活の質が低下することになります。GLP-1製剤使用時に、それは糖尿病治療が目的でもダイエットが目的でも必ず並行してすべきこと、それは「筋肉量を増やすこと」です。
歩きすぎても……
GLP-1製剤使用による減量ほどではありませんが、「歩いてやせる」という正当な減量法でさえも、筋肉量が減少し骨密度が低下することがあります。これは一見常識に反するようですし、ウオーキングを続ければ下肢の筋力アップにつながることが期待できます。しかし、よく歩いているというやせた人のなかには骨密度が大きく低下している人がいます。エビデンスとして証拠を提出するほどには症例数はありませんが、私の個人的な印象としては「ウオーキングは骨密度維持に寄与しない」のです。
アドバイスを受けながら、赤く色づいた木々の下をウオーキングする参加者ら=東京都渋谷区の代々木公園で2021年12月4日、西夏生撮影
この私の印象を裏付ける日本の研究があります。東京都健康長寿医療センターの青栁幸利医師らの研究です。長年調査を重ね、「『8000歩/20分』以上の運動は、病気の予防にならない」、つまり歩行数を増やしても健康増進に寄与しないという結果が導かれました。1日1万3000歩も歩いていたのに骨粗しょう症になり骨折した旅館のおかみの話も報告(※1)されています。
「歩くこと」「やせること」よりも「筋力をつけること」の方が健康を維持するのに重要だと考えるべきです。長寿には心肺機能の維持も重要ですが、筋肉量も心肺機能と同程度に重要な身体的指標の一つなのです。筋肉量が低下すると、運動能力が低下し、転倒リスクが増加します。上述したように骨密度が低下します。代謝機能が悪化し、入院、最終的には自立性の喪失など、健康全般に連鎖的な悪影響が表れます。他方、筋肉量を増やせば長生きが期待できます。
最近、医学誌「British Journals of Sports Medicine」に報告された興味深い論文「長期間の筋トレと全死因および原因別死亡率:用量反応関係と有酸素運動との複合的な関連性の評価」(※2)を紹介しましょう。
この研究はハーバード大学の公衆衛生学者によるもので、14万7374人の成人データが解析されています。週に平均90~119分の筋トレ(腕立て伏せ・スクワット・ランジ・ウエートリフティングなど)を行ったグループは、筋トレをしないグループと比べ、全死亡リスクが13%低下、心血管死亡リスクは19%低下、アルツハイマー病を含む神経疾患死亡リスクは27%低下していました。週に120分を超えても、それ以上の効果は認められませんでした。
この研究では死亡リスクについては有酸素運動のみでも低下することが示されていますから、筋トレなしでも有酸素運動は有用だとは言えるでしょう。しかし、筋トレを組み合わせれば効果はさらに高くなります。最も死亡リスクが低かったのは、有酸素運動と筋トレの両方のトレーニングレベルが高いグループで、死亡リスクは45%低下していました。
ダンベルを持ってスクワットをする女性たち=横浜市港北区で2024年7月11日、中嶋真希撮影健康で長生きに不可欠なのは
筋肉量は、健康的な加齢を予測する上で最も強力な指標の一つであることは間違いありません。そして、体重を落とすと、(落ちてほしい)脂肪のみならず、筋肉量まで落とすことにつながります。特にGLP-1製剤による減量は要注意です。例えば、GLP-1製剤で減量した場合、落とした体重の40%が除脂肪体重(筋肉、水分、骨、内臓などを指し、ダイエットで減少する除脂肪体重の大半は筋肉です)だとする指摘があります(※3)。チルゼパチド(商品名マンジャロ、ゼップバウンド)による体重減少の24%が除脂肪体重とする研究(※4)もあります。セマグルチドまたはチルゼパチド治療による除脂肪体重の減少は6~12カ月で体重減少の最大25~40%とする研究(※5)もあります。これだけ似たような結果がそろうと「GLP-1によって減少した体重の約3分の1は筋肉」と考えるべきです。
そして、筋肉量が減ると老化が一気に加速します。米医学誌「Diabetes Care」に2024年に掲載された論文(※6)によると、GLP-1製剤による急速かつ著しい筋肉量の減少は「10年以上の加齢に匹敵する」としています。
つまり、健康を維持して認知機能を健全に保ち若さを失わずに長生きするには筋肉量を増やして維持することが必要不可欠なのです。有酸素運動だけでも健康上のメリットはありますが、それだけでは少なくとも筋力低下や骨密度低下は避けられません。
しかしながら、筋トレは大部分の人にとって楽しいものではありません。短期間ならできたとしても長期間継続するのはかなり大変です。しかし、それを続けるか続けないかで残りの人生の質が大きく変わることになります。新たにGLP-1製剤を開始する人は、同時にダンベルも用意することを考えてみてはどうでしょうか。
※1 「8000歩/20分」以上の運動は、病気の予防にならない
※2 Long-term resistance training with all-cause and cause-specific mortality: assessing dose-response and joint associations with aerobic physical activity
※3 GLP‑1 Weight Loss and Muscle: Myth vs Evidence
※4 Pharmacologic Treatments for the Preservation of Lean Body Mass During Weight Loss
※5 Pharmacological intervention: Challenges and promising outcomes for fat loss and preservation of lean body mass in the treatment of overweight and type 2 diabetes
※6 Incretin-Based Weight Loss Pharmacotherapy: Can Resistance Exercise Optimize Changes in Body Composition?
無料メルマガの登録はこちら。おすすめ情報をお見逃しなく
谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1991年関西学院大社会学部卒、2002年大阪市立大医学部卒。タイのエイズポスピスでのボランティアなどを経て、07年クリニック開設。大阪公立大非常勤講師。プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。