4. 貧しくても仏道を修めることがうれしかった時代
「銀海寺で浄化運動をするという。それで学人たちを貸してくれと言っている」
銀海寺は無比大和尙と縁が深い。後日、銀海寺に宗立僧伽大学院を設立した時、初代僧伽大学院長を務めた。沙彌僧になったばかりの新参の無比僧侶が、梵魚寺の講院で学んでいた時に、恩師は「銀海寺の学人になれ」とおっしゃった。
銀海寺には年の差があまりない覺性和尚が講師としていらっしゃった。体が弱かった覺性和尚は「米一粒もない」と言いながら、供養の度に麦粒の入った器をかき回したりした。
木綿布を布施としてもらうと、皆が公平に分けて大切に保管し、服を作って着る生活をした。人一倍背の高い無比僧にはいつも布が足りなかった。毎日薪をしながら、その日勉強した文句や難しい文字を小さい手帳に書いで暇さえあれば覚えた。
畑仕事をしたり田仕事もした。木綿布を灰色で染める日にはトネリコを折りてきて燃やし、灰汁を作らなければならなかった。銀海寺では僧侶たちがすべてを自ら解決した。銀海寺の居祖庵の五百阿羅漢の座布団も僧侶たちが一つ一つ取り替えた。
「飢寒に発道心」という一節が自然に身につく生活だった。その時、講院の勉強の他にも『證道家』を学んだ。禅詩の魅力にはまった。
銀海寺の講院がなくなって勉強を終えることができず、海印寺の講院に移ることになった。全国の僧侶たちが集まる海印寺の講院は、房付を入れることから難しかった。
「お坊さんより先に40人も待ってから帰りました」
そんな話を聞いても無比和尚は客室に泊まりながら、鬱力する時間になれば先に出てほうきを持って鬱力をし、山火事が起きると知り合いの道伴たちと一緒に行って火を消した。
「僧侶がお寺に住んでいるのに、誰が出て行けと言えるのか」
ぼろきれも洗って絞らないまま掛けておいた。長い時間が経つと、乾くようにそうした。 山監について回りながら山の木も守り、山火事をもよく消した。
「もともと一つの季節の間だけ山監の仕事をするのに、お坊さん、二つの季節もできますか」
「二つの季節ではなく、二年でもします」
「それでは山監を二季節間して講院に房付してください」
暎巖和尚が総務を務める時だった。こうして海印寺の講院へ房付を入れることができた。
苦労して入った海印寺の講院の勉強は熾烈で、熾烈なだけに楽しかった。夕方になると、講筒を振って、仲講と発起という役割を選び、論講を準備して翌日文字を刻んだ。 発起という役割は経典を直接刻みながら問題を提起する人であり、仲講は論講の時間の司会者である。お互いの理論と解釈文を加減なく仲講が全て記憶し、講師の前で代表として発表しなければならなかった。
食べ物も質素で、水一杯で空腹を満たし、それよりさらにお腹が空いたら唐辛子畑の生唐辛子を取って食べる日々だったが、紙も貴重で、本も貴重なその当時、勉強だけは自負心でいっぱいだった。
海印寺の講院を卒業した年に、他の寺に行かずにすぐに海印寺の禅房に房付を入れた。
性徹大和尚が白蓮庵から法門するため海印寺に来ると「現地侍者」を自ら招いた。部屋に火を焚いてあげて、水も用意してあげて、掃除もしてあげて、侍奉をした。そばで大德の香りを少しでも嗅ぎたかった。おかげで白蓮庵にある「蔵経閣」という性徹大和尚の個人図書館も見ることができた。性徹大和尚は世の中のすべての知識を吸収していらっしゃるということもその時知った。そして、性徹大和尚が上佐らと他の僧侶たちをどのように訓練させるかも学んだ。
無比僧侶が『李光洙全集』を買って大事にしながら道伴らと輪読し、法頂大和尚の門下で文学の勉強もして文の書き方も学び、大学の前の古本屋で新入生が勉強する教養科目の概論書を全て買ってきて読んだりもしたのは、習字紙のように世の中の知識を吸収したかったためだ。
それは、真理である仏法を今、この世の中でよく通じる言葉で最も必要とする人々に正確に伝えるためだった。そのようなことに進展が大きかった。様々な外部的な勉強の中でも無比僧侶はいつも禅語錄と経典を抱えて暮らした。これらの古い教えがどんな善知識より立派な、常説・遍說する善知識ということを早くから知ったのである。
첫댓글 은해사(銀海寺)
정화 운동(淨化 運動)
학인(學人)
무비(無比)스님
종립 승가대학원(宗立 僧伽大學院)
초대 승가대학 원장직 (初代 僧伽大學 院長職)
사미승 (沙彌僧)
범어사(梵魚寺) 강원(講院)
은사(恩師)스님
각성(覺性)스님
강사(講師)스님
공양(供養)
산내 암자(山內 庵子)
은해사 거조암(銀海寺 居祖庵)
오백나한(五百羅漢)
선시(禪詩)
해인사(海印寺)강원(講院)
방부(房付)
객실(客室)
울력(鬱力)
산감(山監)
영암(暎巖)스님
총무(總務)
강통(講筒)
중강(仲講)
발기(發起)라는 소임(所任)
논강(論講)
해인사(海印寺) 선방(禪房)
성철(性徹)스님
백련암(白蓮庵)
법문(法門)을 하시다
‘현지시자’(現地侍者)
시봉(侍奉)
장경각(藏經閣)
상좌(上佐)
이광수 전집(李光洙 全集)
도반(道伴)
법정(法頂)스님
문하(門下)
선어록(禪語錄)
경전(經典)
(일본 선생님이 밑줄 그어주신 것 포함) 세세한 교정 작업은 3월로 미루기로 했어요. 3월까지 한국 한자 같이 오자 찾아내려고 여기 올립니다.댓글에 적어주신다면 본문에서 금방금방 고치지 않고, 답글도 쓰지 않고,(2월이 짧아서요^^) 그런데 빨리 달아주시면 가제본 만들 떄 큰 도움이 되겠습니다. 3월 이후에 책 교정이 마무리 되면 여기 화면에서 고칠게요. (예상날짜 3월 15일 수정이 오케이 되고 진짜 인쇄들어가면 알려드릴께요. 스크랩하시는 분 참고)^^~~
보리밥은 보리 입자라는 麦粒보다는 麦飯이 어떨까요?
無比僧에서 僧은 단독으로 사용하고, 붙여서 사용할 때는 大和尚과 함께 사용
毎日薪をしながら 매일 나무 두 짐을 하면서에서 두 짐이 빠졌습니다
물푸레나무는 굳이 トネリコ로 번역하지 말고 ムルプレナム를 사용
구절은 一節보다는 一句節이 어떨까요?
僧侶たち와 お坊さんたち 중에서 僧侶たち 표현이 어떨까요?
お坊さん은 '스님'이라고 불렀을 때 사용한 적이 있지요.
質素는 검소하다는 뜻이고 '부실하다, 빈약하다'라는 표현을 찾는 것이 어떨까요?
無比僧侶 붙여서 사용할 때는 大和尚과 함께 사용
살았다는 暮らした보다 생활했다라는 표현을 찾는 것이 어떨까요?
상설변설은 詳説・弁説이 아니라 常說徧說 또는 常說邊說
常說徧說 시간적으로 항상 설하고 공간적으로 어디서나 두루 설한다
貧しくても仏道を修めることがうれしかった時代
性徹大和尚の 「現地侍者」
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