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今回のテーマは認知症と口腔(こうくう)ケアです。と聞いて、どんな場面を思い浮かべたでしょうか。あまり想像がつかない方もいるかもしれません。今回は、認知症と口腔ケアの関係を「ネガティブな側面」と「ポジティブな側面」の二つからお話ししていきます。
歯が多く残っているほど難しい
以前もこの連載で触れましたが、「8020(ハチマルニイマル)運動」は80歳で20本以上の歯を残そうという取り組みです。1989年の達成率は約7%でしたが、最新の調査では60%を超えています。訪問診療でも外来でも、歯を多く残している高齢の方が本当に増えたと実感します。これは素晴らしいことですが、一方で新たな課題も生まれています。丁寧に守ってきた歯を、認知症などでご自身でケアできなくなったとき、誰がどのように守っていくのか。歯が少なければケアは比較的容易ですが、多く残っているほど難易度は上がり、むし歯や歯周病のリスクも高まります。
口腔内の感覚が鈍り二重三重の困難が
認知症が進むと、歯磨きの手順が分からなくなる、歯ブラシを口に入れられない、入れ歯の管理が難しくなるなど、自分での口腔ケアが一気に困難になります。そもそも「歯を磨く」という認識が薄れてしまうため、自発的なケアは期待できません。他者が歯ブラシを口に入れようとすると恐怖や抵抗が生じます。歯ブラシという認識がない状態で、突然棒状のものを口に入れられれば、危険なものと感じてしまうのは当然です。こうして「自分ではできない」「他者がやろうとしても難しい」という状況になります。
さらに、認知症の方のお口の中には特徴的な変化が起こります。磨き残しが増えることで歯周病が進行します。唾液の分泌が減ることで口腔乾燥が進み、むし歯や口内炎、舌の痛みが生じやすくなります。入れ歯の管理も難しくなり、合わない入れ歯を使い続けることで粘膜に傷や痛みが生じることもあります。しかし、その痛みを言葉で伝えることが難しいため、食欲低下や不機嫌、拒否といった行動として表れることがあります。
また、口腔内の感覚が鈍くなることで、食べ物が口の中に残っていても気づかない、頰や舌をかんでしまう、熱いものを熱いと感じにくいなど、日常の小さなトラブルが増えます。これらは誤嚥(ごえん)のリスクを高め、生活全体の安全性にも影響します。口腔の問題が生活全体の混乱を引き起こすことは珍しくありません。
=ゲッティ「無言で歯ブラシ」は恐怖感 認知症の人のための五つのポイント
だからといって口腔ケアができないわけではありません。ここでは、認知症の方に口腔ケアを行う際のポイントをいくつか紹介します。
■1 コミュニケーションに時間をかけて
無言・無表情で歯ブラシを近づけると恐怖を与えてしまいます。まずは安心できる雰囲気をつくり、コミュニケーションに時間をかけることが大切です。
■2 最初はお口の外から
いきなり口に触れず、手を握る・肩をさするなど、身体の外側の部分から距離を縮めていきます。頰や唇のマッサージは唾液分泌を促す効果もあります。
■3 歯ブラシを触ってもらう
実際に見て触ってもらうことで、「危険なものではない」と理解しやすくなります。
■4 やさしく丁寧なケア
急いで行うと不快感につながります。拒否があっても、ゆっくり丁寧に進めることが大切です。
■5 臨機応変な対応
認知症の症状は日によって変わります。昨日できたことが今日は難しいこともあります。マニュアルに縛られず、その日の状態に合わせて工夫していきましょう。
「かむ」「口を動かす」で生活全体の質が改善
ここからは、認知症と口腔ケアのポジティブな側面についてお話ししようと思います。実は、認知症の方にこそ、口腔ケアが大きな力を発揮する場面があります。
まず、口腔ケアや咀嚼(そしゃく、かむこと)は、脳の働きを支える刺激になります。特に脳の部位の中でも記憶に大きく関わるとされる海馬は、咀嚼によって血流が増えることが知られています。2024年の系統的レビューでは、認知症の方に口腔ケアや口腔体操などの介入を行ったところ、認知機能の低下が緩やかだったという報告があります(※1 Guoら, 2024))。日常の「かむ」「口を動かす」という行為が、脳の活性化につながる可能性が示されています。
=日本歯科医師会ホームページから。「オーラルフレイル対策のための口腔体操」の一部。
次に、口腔ケアは誤嚥性肺炎の予防にもつながります。認知症の方は飲み込む力が低下しやすく、誤嚥は大きなリスクです。口腔内の細菌が増えると、誤って気管に入った際に肺炎を起こしやすくなります。歯周病菌が神経炎症を引き起こし、認知症の進行に関与する可能性を示した研究もあり(※2 Tatarciucら, 2025)、口腔の健康は全身の健康と密接に関わっています。
さらに、口腔ケアは栄養状態の改善にもつながります。口の中が痛い、乾燥している、入れ歯が合わないといった状態では、どうしても食事量が減り、低栄養につながります。口腔ケアで痛みや不快感が減ると、食べる意欲が戻り、結果として栄養状態が安定します。口腔機能の低下が認知症の発症や進行と関連するという疫学的な報告もあり(※3 Yamamoto, 2025)、食べる力を守ることは認知症ケアの重要な柱の一つです。そして何より、「食べることが心地よい」「好きなものを味わえる」という体験は、認知症の方の生活の質(QOL)を大きく支えます。表情が柔らかくなり、会話が増え、コミュニケーションが取りやすくなる。口腔ケアは単なる清掃ではなく、“その人らしさ”を守るケアでもあるのです。
無理なくケアできる関係性
ここまで、認知症と口腔ケアについてお話ししてきました。決して楽しいテーマではありませんが、そこには確かな希望があります。認知症ケアの分野では、「ユマニチュード」といって「見る・話す」などの行為を通して本人の尊厳を保つケア技法が知られていますが、その中でも最も難しいとされるのが口腔ケアです。逆に言えば、口腔ケアが無理なく行える関係性が築けているということは、日常生活のケア全般においても良い関係ができている証しでもあります。
老人福祉施設で入居者の口腔(こうくう)ケアをする歯科衛生士(右)=東京都世田谷区で2024年1月29日午後1時16分、藤井達也撮影
また、口腔ケアは単に歯をきれいにするだけではありません。痛みや不快感を減らし、食べる力を支え、栄養状態を整え、表情や活動性を引き出し、結果として認知機能の維持に寄与する可能性があることが、近年の研究からも示されています。小さなケアの積み重ねが、その人の生活の質を守り、日々の暮らしを支える大きな力になります。
口腔ケアは難しいからこそ、その人らしさを守るための大切なケアなのです。
グループホームで提供される手作りの食事=名古屋市で2023年11月14日午後5時58分、加藤沙波撮影
※1 Guo H, et al.Effects of oral health interventions on cognition of people with dementia: a systematic review with meta-analysis.BMC Oral Health. 2024;24:123.
※2 Tatarciuc D, et al.Alzheimer’s Disease and Oral Health from Clinical Challenges to Interdisciplinary Care: A Narrative Review.Journal of Clinical Medicine. 2025;14(19):6696.
※3 Yamamoto T.Association between Oral Function and Dementia from Epidemiological Studies.Dementia and Oral Function. 2025;1(1):15–22.
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五島朋幸
食支援研究家、ふれあい歯科ごとう代表
ごとう・ともゆき 日本歯科大卒。1997年から訪問診療に取り組み、2009年、多職種・住民連携の「新宿食支援研究会」設立。著書に「死ぬまで噛んで食べる 誤嚥性肺炎を防ぐ12の鉄則 」など。