本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
韓基総の諸教団は、聖書を信じる信仰人なのか
本文:エレ31:27、マタ13章、啓14章
イエス様の初臨の時、天国の門を閉じて、自分たちも入らず、入ろうとする者たちも入らせなかったエルサレムの牧者たち(マタ23:13)と今日の韓基総の牧者たちに違いがあるのか?
神様は、旧約の約束(エレ31:27)通り、イエス様に来られて(ヨハ10:30)、約束した種を蒔かれた(マタ13章)。そして、収穫しに再び来られると約束されて(マタ13:29‐31、啓14章)、約束してから約2000年にもなった。神様の種で(ルカ8:11)生まれた者たちは、収穫しに再び来られる主を待ち望んできた。そして、今日、主が御使いたちと共に来られて、神様の種で熟した実を探して、刈り取っている。
この時、韓基総の改新教(プロテスタント)の牧者たちは、どうしているのか?初臨の時(マタ23章)のように、刈り手が来れないように、教会の前に刈り手出入禁止の文を貼り付けた。そして、刈り手たちをひどくののしっている。だが、神様の種で生まれた者たちは、刈り手の声を聞いて抜け出て来ている。収穫されなかった者たちは、悪魔の種で生まれた悪魔の子どもたちだと(マタ13:24‐30、37‐39)イエス様は語られた。
イエス様の初臨の時、エルサレムの偽りの牧者たちが、イエス様とその弟子たちが神様の種を蒔けないように阻んだように、今日も、韓基総などの既成教会の牧者たちは、刈り手が収穫できないように、毒麦の種で生まれた者たちと共に悪口を言って、阻んでいる。彼らが、イエス様が約束された聖書の御言葉を信じる者だと言えるのか?彼らは、神様の約束を成し遂げようとする聖霊の働きを、できないように阻んでいる。だからこそ、今日、審判があるようになる。
韓基総の改新教の聖徒の皆さん、聖書の御言葉を悟って、信じて、その通り行うことが間違いなのか?収穫の時、収穫されて行かないように阻む事が主の御心なのか?収穫されて行かない事が、神様の種で生まれた神様の子どもなのか?
審判の時は、イエス様が言われた御言葉(ヨハ12:48)で審判されるだろう。その時にも、今のように、迫害することができるのか?収穫のうわさを聞かなかったと言えるのか?なぜ、会話を避けるのか?我が新天地の聖徒たちは、聖書に精通する事で、神様の御心を知って、その御心通りにしているのである。

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