原理原本 - 第一券
[09] 自分を知ることで神様を知ることができる
1 神様は如何なる存在であるのか。多くの人々が、それを知ろうとしている。それを知ることによって、天宙の全てを完全に理解しようとしているのである。人も万物も、神様によって創造されたが、多くの人々は、その神様がどのように生まれ、その前には何があったのかと尋ねる。
2 しかし、そのような事よりも、まず、自分が如何なる存在なのかを知らなければならない。それを知り、自分の問題を解いてこそ、神様の問題に移ることができる。
3 自分のことを知らずに、神様のことを知ろうとするのは、公式の単位を構成する各要素の意味を知らずに、答えだけを知ろうとしているようなものである。
4 つまり、単位を持つ各要素の意味を知ってこそ、公式を応用することができ、さらに多くの基本公式と連結することができる。こうして、構成された公式は、明確な意味を持つようになるのである。
5 人は、公式の要素のような立場にあるため、それぞれの存在位置は、あらかじめ決定されているのである。それゆえ、自分の存在位置が分かれば、互いに影響を及ぼす他の存在を把握することができる。しかし、それ以前に、自分の存在位置が、そこに有るのか無いのかということを知らなければならない。
6 また、自分が存在するならば、何によって、それを知ることができるのか。良心によってなのか、感覚によってなのか、体によってなのか。このようなところから問題は始まるのである。しかし、何かが有るとすれば、何を基準として有るとするのか。このような問題を深く考えてみなければならない。
7 人は、有と無の分岐点を、何によって決めているのか。それが重要な問題である。有があれば、それに相対する無を連想するのであるが、人々が有だとするものは、何を基準としているのであり、その有を、どの程度にまで拡大しようとするのか。
8 また、それとは反対に、無だとしても、その無を、どの程度に規定しようとするのか。それが問題である。ある実体を無だとするならば、その基準があるべきではないだろうか。
9 つまり、人々は、既に存在するものに対して、有無を決めているのである。それゆえ、自分が存在するということは、有と無の自分が存在するということになる。
10 このように、人は、何らかの基準をもって有無を決定しているが、その基準は、人によって異なるのである。しかし、有無を決定した本人にとっては、その決定が正しいと言える。
11 そのため、自分で物事を考えず、他者を気にするならば、どのように物事を判断すべきなのか分からなくなる。つまり、有無の基準は、無限有と無限無の中間にあり、絶対的なものとしては定められていないのである。
12 人々は、この事実を明確に理解しなければならない。こうして自分が存在していると思えるのは、自分自身の基準で認識することができるためである。
13 人が、ある存在を有と決定すれば、それは、無を決定することにもなる。ところで、その無は、どの程度の無を意味するのか。それが重要な問題である。つまり、その無は、我々には見えない程度なのか。
14 または、感覚が無くなる程度なのか。或いは、形を構成することができない程度なのか。ここで明らかなことは、人は存在を認識できれば有と判断し、そうでなければ無と判断するということである。
15 しかし、自分自身が持っている有無の基準によって、ある存在を無であると判断しても、その存在が無いとは言えない。何故なら、その無は、無限無(無の極限値)ではなく、有と関連を持つことのできる連続した存在でありながらも、その人が認識できずに判断した結果だからである。従って、この無というのは、認識できない領域のどこかにある存在だということになる。
16 また、自分を有として、それを「1」という数字で表せば、無であることを「0」と表すことができる。しかし、この「0」というのは、実際に無いという意味ではなく、無を抽象的に表現しているのである。
17 つまり、この無を無限無であると限定することはできないため、厳密には、その無を「0」と表すことはできない。従って、数字の「0」というのは、理論上の「0」であると言うことができる。そのため、理論上の「0」と実際の「0」は異なっている。つまり、実際の「0」というのは、有よりも小さく、無限無よりも大きいものである。
18 有無の境界は、無限有への始まりであり、無限無への始まりでもある。自分自身をよく知ろうとすれば、この事をよく理解しなければならない。つまり、有無の境界においては、「1」と「0」が同一となる。
19 従って、自分は、最小の有を知る「1」という存在でありながら、最大の無を知る「0」という存在でもあると言える。これが、自分という一人の存在なのである。
20 自分が存在しているならば、先ず、自分の価値を全て知るべきではないだろうか。つまり、無限有と無限無の問題よりも、その中間に存在している自分の価値を知ることのほうが、さらに重要である。