7. 二つではない
無比和尚の勉強が力強く成長していた。「通方学人、南行講師」という言葉が本人のことを言っているようであった。ある一つの寺にだけで勉強するのではなく、あちこちのお寺を訪ねて勉強する学人を通方学人といい、善財童子のように色々な師匠の下で勉強して講師になった人を南行講師という。それほど、見聞が広くてすごい僧侶である。
無比和尚もやはり10年間、全国の禅房という禅房はすべて訪ねて安居をし、善知識が開く会上はどこでも探し回った。
ある年の秋、無比和尚は松廣寺の文殊殿で精進した。その頃、松廣寺の修禪寺では3年の結社が行われ、文殊殿では3、4人が座って時間にとらわれず自由に精進した。
無比和尚は文殊殿の隣にある観音殿の法堂の副殿の所任も務め、朝夕に礼仏を捧げた。ある日、朝三時に起きて礼拝を捧げようと法堂に行ったところ、あまりにも暗すぎて目を閉じたまま法堂に入った。
いつものことなので、テーブルの前から手を出してマッチを探して火をつけた瞬間、その漆黒のような闇はどこかへ消えてしまった。あっという間のことであった。
たしかにドアは閉まっていたし、闇が出て行くところがなかった。ところが、すでに「観音殿」には闇はなかった。
「その瞬間、闇と明るさが二つではないのであり、闇がすなわち明るさであり、明るさがすなわち闇である。僕なりの小さな悟りと言いましょうか」
それこそいつも口ずさみ、ある時、「道場釈」にまで覚えた『證道歌』の内容と同じだった。
「無名実性即仏性、幻化空身即法身」煩悩無明と菩提涅槃が二つではない。虚妄の肉身そのものが法身でる。
「無知蒙昧たる普通の人以外に、他にどんな存在で別に仏様を見つけることができますか。『法華経』「信解品」の信解もそうです。信解とは、人がすなわち仏陀であるという確信を持って生きていくことです」
経典と実践と禅がすべて同じである。勉強すればするほど信心が深まった。自らが驚き、感心した日々だった。
「仏教を勉強することは、まず自分自身に法供養することです。勉強は自分に対する礼儀です」
「あなたは仏陀」であるように「私も仏陀」である。
それで無比和尚の法門にはまな板に刀を差し込み「私もまた千仏の中のある仏陀(放下屠刀、我是千仏一数)」と宣言した白丁、広額屠児の話がよく登場する。
첫댓글 7강 참고
학인(學人)
선재동자(善財童子)
강사(講師)
견문(見聞)
선방(禪房)
안거(安居)
선지식(善知識)
회상(會上)
송광사(松廣寺)
정진(精進)
송광사(松廣寺) 수선사(修禪寺)
3년 결사(結社)
문수전(文殊殿)
관음전(觀音殿)
법당(法堂)
부전(副殿) 소임(所任)
조석예불(朝夕禮佛)
칠흑(漆黑)
도량석(道場釋)
『증도가(證道歌)』
무명(無明)
보리(菩提)
열반(涅槃)
법신(法身)
법화경(法華經)
신해품(信解品)
경전(經典)
실천(實踐)
선(禪)
신심(信心)
법공양(法供養)
백정(白丁)
광액도아(廣額屠兒)
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<‘방하도도(放下屠刀)하고 아시천불일수(我是千佛一數)라>
송광사 수선사 松廣寺の修業寺 松廣寺の修禪寺
탁자 テーブル 卓子
문 ドア 門
증도가 証道歌 證道歌
무명실성즉불성 無名実性即仏性 無明実性即仏性
다 다름이 아니었다 すべて同じである すべて相違ではなかった
의미로 보아서는 같은데 이중부정 사용여부는 선택하시면 됩니다.
법문 法文 法門
「通方学人、南行講師」 _()()()_