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新しい薬の発売が延期されることはそう珍しくないのですが、定期接種に入る予定だったワクチンが登場予定の2カ月前に突然延期されたという話は聞いたことがありません。従来のインフルエンザワクチンよりも有効とされ、今秋から登場する予定だった「高用量インフルエンザワクチン」(商品名「エフルエルダ」)の発売延期が突然発表され臨床医の間に混乱が広がりました。一方、米国ではインフルエンザでは初となるmRNA型ワクチンが承認されました。今回から2回にわたり、日米のワクチン比較をしながら、今後のインフルエンザ対策を考えたいと思います。今回は高用量ワクチンを、次回はmRNA型ワクチンを中心に述べていきます。
「高齢者に定期接種」の見込みが
2026年2月、厚生労働省の審議会で、「高用量インフルエンザワクチンが発売され、発売と同時に高齢者に対する定期接種に組み入れられる方針」が了承されました。定期接種になるのなら医療機関はかかりつけ患者に周知しなければなりません。高齢者のワクチンは自治体によって対象となる年齢や助成金の金額などが異なりますから、我々臨床医としては行政からの情報が早くほしいのです。「定期接種の適応は75歳以上になるらしい。基礎疾患のある場合の年齢基準は不明。60から74歳は任意接種なら、つまり全額自費なら接種できるが、59歳以下は不可能のよう」といううわさを耳にしましたが真偽の程は定かではありません。通常、インフルエンザワクチンの定期接種は9月末から10月初旬に始まりますから、その3カ月前の6月下旬には行政の発表がなければ困ります。しかし、7月になっても一向に連絡が届きません。
そんななか、7月21日、ワクチン製造会社のサノフィが、突然「供給困難のため発売を延期する」と発表しました(※1)。理由は「国内製造委託先での製造工程の遅れにより、計画通りの供給が困難になった」とのこと。しかしこの点は不可解です。新しい薬の開発過程で予期せぬトラブルが発生した、なら分かりますが、高用量インフルエンザワクチンは数年前から世界各国で幅広く使用されているのです。米国では高齢者にとってはすでに主流のワクチンとなり、欧州では英国、フランス、ドイツ、イタリア、デンマークなどで導入されています。アジアでも、定期接種には組み入れられていないものの、韓国、中国、タイなどでは普及しつつあると聞きます。サノフィが製造する高用量インフルエンザワクチンは欧州では「Efluelda」、北米では「Fluzone High-Dose」という名称で流通しています。もしも、「何らかのトラブルが発生して世界中で供給が困難となった」というのなら理解しやすいのですが、なぜ日本でだけ発売できないのでしょう。
従来型との差は
こういった背景もあるからなのか、高用量インフルエンザワクチンに対し「本当は有効性や安全性に問題があるから発売が延期されたのでは?」という疑問の声も上がってきています。では、高用量インフルエンザワクチンの有効性と安全性は、既存のワクチンに比べてどれだけ異なるのでしょうか。臨床試験の結果をみてみましょう。
=ゲッティ
二つの大規模試験を紹介します。いずれもサノフィ社が資金提供した研究ですからスポンサーバイアス(製薬会社に有利な結論となるような操作や解釈)がゼロとは言えませんが、これらの臨床試験はいわゆる「前向き研究」ですから、エビデンスレベルは低いわけではありません。
一つめの臨床試験は2021~2022年のインフルエンザ流行シーズン中に、65歳から79歳のデンマーク国民1万2477人(平均年齢71.7歳、5877人〈47.1%〉が女性)を対象とした「DANFLU-1」と呼ばれる試験です。参加者は高用量インフルエンザワクチンか従来のワクチンにほぼ1:1の割合で無作為に割り付けられました。結果は医学誌New England Journal of Medicineに2023年1月「インフルエンザワクチンに関する実用的無作為化実現可能性試験」(※2)というタイトルで報告されました。インフルエンザまたは肺炎による入院の発生は、高用量ワクチンで6245人中10人(0.2%)、従来のワクチンで6232人中28人(0.4%)と、高用量は従来型に比べて64.4%低かったと示されました。全死因死亡でみても、高用量ワクチンで21人(0.3%)、従来型で41人(0.7%)と、高用量の方が48.9%も低かったのです。
先ほど、「エビデンスレベルは低いわけではない」と言いましたが、この結果をみて「高用量ワクチンは従来型よりも断然優れている!」と手放しで判断できるでしょうか。答えは「否」です。なぜなら母数に対する入院や死亡者の人数が少なすぎたため、相対的な有効性を十分に評価できる規模の研究ではなかったからです。「結果のさらなる検証が必要」とされました。
次に実施されたのは「DANFLU-2」と呼ばれる大規模臨床試験で、今度は対象者が33万2438人と、「DANFLU-1」の30倍近い規模です。16万6218人が高用量ワクチングループに、16万6220人が従来型ワクチングループに割り付けられました。実施期間は2022~2023年、2023~2024年、および2024~2025年のインフルエンザ流行シーズンです。やはり「New England Journal of Medicine」に2025年8月「高齢者における高用量インフルエンザワクチンの入院予防効果」(※3)というタイトルで詳細が報告されています。結論から言えば「インフルエンザまたは肺炎による入院は有意差なし(2.25% vs 2.38%)」という残念な結果に終わりました。
この臨床試験だけで「高用量ワクチンは、従来型ワクチンと大きな差が無い」と結論できるわけではありませんが、この結果を受けてなのか、欧州のなかにはオランダやベルギーなど、このワクチンの導入を見合わせている国もあります。
では日本ではどうでしょうか。残念ながら日本人を対象とした入院や死亡率を比較した研究はなく、抗体価を計測するかたちでの比較試験(※4)ならあります(なお、この研究もサノフィの〈元〉社員が関与しています)。抗体価の陽性率は高用量ワクチンが従来型をしのいだとされていますが、重要なのは実際に入院や死亡をどれだけ防ぐことができるか、であり、日本人を対象としたこういった研究は今のところ見当たりません。
では安全性はどうでしょうか。高用量ワクチンは従来型に比較して重篤な副作用の報告は多くないようです。ただし添付文書(※5)をみてみると、10%以上に頭痛が生じ、43.8%で接種部位の痛みが起こるとされています。
どうする?今季の接種
冒頭で述べたように、高用量ワクチンはすでに発売延期が決まっており、日本では今秋は接種することができません。ならば、米国、韓国、中国など接種できる国に渡航して受ける価値はあるのでしょうか。
=ゲッティ
私は当院の患者さんに原則としてそのような行為は勧めていません。「従来のインフルエンザワクチンで大丈夫か」という質問に対しては「従来型ワクチンの2回接種」を勧めることはあります。これは2020年のコラム「インフルワクチン 10月接種で春まで効くのか」(※6)ですでに述べたのですが、そもそもインフルエンザワクチンをシーズンに1度だけとする既存の方法に問題があります。ワクチンは成人の場合は1回接種でよいということになってはいますが、実際にはせいぜい3~4カ月程度しか持ちません。10月に接種して3月に流行すればワクチンの効果は期待できないのです。ならば追加接種(ブースター接種)をすればいいのです。
今秋のインフルエンザワクチンは昨シーズンまでと同様、従来型のインフルエンザワクチンを使うしかありません(2歳以上19歳未満であれば点鼻型ワクチンも使用できます。米国では49歳まで適応とされていますが、日本では19歳以上は未承認です)。当院では、高齢者や基礎疾患を抱えている人などが希望すれば2回接種を実施していますが、厚労省(※7)は高齢者や基礎疾患があっても、「毎年度、秋冬に1回の接種」としています。実際に何回接種すべきか、それはいつにすべきか、19歳未満の場合(あるいは19歳以上でも)点鼻型ワクチンを使用すべきか否か、などについては各自かかりつけ医に相談するのがいいでしょう。
※1 高用量インフルエンザHAワクチン「エフルエルダ®筋注」 発売時期の変更
※2 A Pragmatic Randomized Feasibility Trial of Influenza Vaccines
※3 High-Dose Influenza Vaccine Effectiveness against Hospitalization in Older Adults
※4 Superior immunogenicity of high-dose quadrivalent inactivated influenza vaccine versus Standard-Dose vaccine in Japanese Adults ≥ 60 years of age: Results from a phase III, randomized clinical trial
※5 エフルエルダ®筋注
※6 インフルワクチン 10月接種で春まで効くのか
※7 インフルエンザワクチン(季節性)
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1991年関西学院大社会学部卒、2002年大阪市立大医学部卒。タイのエイズポスピスでのボランティアなどを経て、07年クリニック開設。大阪公立大非常勤講師。プライマリ・ケア連合学会指導医。労働衛生コンサルタント。