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特別集会での御言
1995年8月30日
中央修練院
韓国の恩赦のための特別集会の場でお父様が韓国語で語られた内容。
偽りの父母により偽りの生命が出発
父子の関係と夫婦関係、人類を連結させ得る象徴的な天地、そして世界、次に、すべての万物を代表した主体・対象とアダム・エバ、これがすべて愛の和動をなすのです。
アダム・エバが、神様から祝福を受ける愛の瞬間は、アダム・エバの結婚式であると同時に、神様の結婚式なのです。それを今まで、誰も知らなかったというのです。
今まで、無知の状況で、覆われた秘密として伝わってきたのですが、誰のためにこのようになったのかといえば、アダム・エバだというのです。アダム・エバは人類の始祖でしたが、始祖が知らずに堕落したので、その過程に生まれた人は、知ろうとしても知ることができないのです。
どのようにして、この未知の根本を悟るか、ということが問題なのです。神様ご自身は発表することができないのです。神様が誤ったのではないからです。罪を犯し、問題を提示した張本人である、人類の先祖の立場を代身して来るお方でなければ、これを解明する道理がないのです。それゆえ、一次のアダム・エバ、人類の始祖が、愛の起源を家庭的立場で失ったものを、国家的基準で復帰するために来たのがイエスです。メシヤです。メシヤとは真の父母のことをいうのです。救世主とは真の父母のことをいうのです。
救世主の中で、家庭的救世主とならなければならないアダム・エバが失敗したので、国家的救世主が来て、家庭を収拾し、接ぎ木することによって、国家的勝利の版図を受け継ぎ、世界に出ていくことができるのです。その道をメシヤと共に、救世主と共に、真の父母と共について行くのです。それは、カイン・アベル問題です。
カインが誰かといえば、アダム的家庭であり、アベルはイエス的家庭の宗教圏を中心としたものです。これが一つにならなければなりません。カイン・アベルが一つにならなければなりません。こうして、世界の途上までエバを中心として、新婦を中心として、右翼と左翼を一つにしなければなりません。
お母さんを中心としてカイン・アベルが分立し、堕落したので、復帰は、その本然の起点を再び取り戻し、蕩減しなければならないのです。そのまま行くことはできません。蕩減というものが生じます。
国家的メシヤが生まれなかったので、再臨という言葉を中心として、世界版図まで延長させてきたのが、今日の宗教文化圏だというのです。その宗教文化圏が成就しなければならない使命の中心存在が誰かといえば、新婦なのです。
その新婦宗教圏がキリスト教です。次に、天使長宗教圏、古代宗教である仏教や儒教、そして、イスラム教圏が連結されるのです。これらの宗教が一つになれませんでした。
本来、アダム・エバを中心として生まれた息子・娘が堕落しなかったならば、お母さんを中心としてカイン・アベルが一つになると同時に、三天使長が一つになり、アダムとエバが一つになって、家庭的世界版図を出発するのです。
これができなかったので、世界的版図を再び探し求めて、家庭的失敗圏の家庭理想と、国家的失敗圏の国家理想を連結させて、世界的家庭失敗圏、世界的国家失敗圏を収拾し、家庭圏、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏を越えていくのです。
アダム家庭が家庭圏であり、イエスは国家圏、再臨主は世界圏です。世界圏で、縦的に失ったものを横的に勝利するのです。これを連結させて、地上でアダム家庭は天使長となり、イエス家庭も天使長となるのです。これを清算しなければならないのが、来られる再臨主の使命であり、真の父母の使命なのです。
「真の父母が完成した」というときは、国家的基準のイエス時代に失ったものの完成です。それだけでなく、イエスが、失った家庭圏を完成するのです。それゆえ、来られる真の父母は、国家的真の父母が失敗したものを、勝利的真の父母の立場で満たしたのです。家庭的真の父母の立場で失ったものを、すべて満たし蕩減したその上に、世界的版図圏の真の父母が立てられたのです。それゆえ、真の父母は完成した立場に立つのです。
アダム家庭のカイン・アベルが失敗したものを、国家的カイン・アベルとして蕩減するためのものが、イスラエルの国とユダヤ教なのです。宗教が現れるのです。
本来、堕落がなかったならば、宗教は必要ないのです。宗教は、堕落した世界において後から現れ、これを収拾するためのものです。宗教圏を代表して立つのが、ヤコブを中心とした選民圏です。たくさんの外的なサタン世界の、カイン国家の版図の前に、ただ一つ、神様が特別に探し立てた選民圏が現れたのです。
これを宗教的立場から見れば、ユダヤ教がアベルであり、不信するイスラエルの国家が、カインです。このようにカイン・アベルとなって、これを国家基準で一つにしなければならないのです。そのためには、宗教圏に立ったものがアベルの立場なので、カイン圏のイスラエル民族を消化、蕩減しなければならないのです。
アダム家庭で堕落することにより、カインがサタン圏に行ったので、神様がそれを取り戻すためには、復帰するためには、どのようにしなければならないでしょうか。カイン圏を、ただそのまま自分のものにすることはできません。サタンが頭を握ったので、神様は下を取るのです。下を取って、転覆させなければならないのです。サタンが上に行き、天が下に行ったので、天が上に立つように転覆するのです。このようなことのために、宗教を通して、多くの犠牲の代価を支払ってきました。そのようにしながら、カイン転換運動をやってきたのです。
カイン転換運動とは何でしょうか。神様の真の愛を中心として、体と心が一体となっていたならば、私たちの体と心は完全に統一されるはずですが、堕落することによって、体を中心として、サタンの愛を中心としたサタンの血肉を受け継いでしまったのです。
それゆえ、生命の根が、そこから生じてくるのです。偽りの父母の行動によって、生命の根が生じ、アダム家庭が主流的家庭を離れたのです。主流圏を天が抱くべきなのに、偽りの闘争的概念を中心として、良心的基準を中心とした立場と反対の立場で、サタンの血筋を受け、根を下ろしたのです。それが、人類始祖の愛の出発です。
その愛によって編まれた生命の出発であり、愛と生命が違背する立場で血統を受け継ぐのです。そのような歴史性が連結されてきたのです。全部、そのような系統で現れたというのです。偽りの愛によって偽りの男女が血肉を合わせる結婚をして、血を混ぜた、そこから生命が生じるというのです。
堕落は宇宙的なとてつもない罪悪
このような原則で見るとき、堕落という問題が、どれほど宇宙的な、とてつもない罪悪をもたらしたかということを知らなければなりません。存在世界の全滅を予告し、存在世界の敗亡を予告し得る一瞬であったというのです。これは、アダム・エバ自体も知りませんでした。また、多くの後孫たちが歴史を経てきましたが、そのようなことを知らなかったのです。なぜでしょうか。
知ることができず、堕落した父母の後孫として生まれたものが、宇宙の秘密の愛の倉庫の門を開けて入ることはできません。そのような愛を占領できないので、理想的版図、基地を知ろうとしても知ることができないというのです。
今まで宗教が現れたのは、天使長復帰の使命を果たすためなのです。堕落することによって、三大天使長が失敗したというのです。アダムだけが堕落したのではなく、二つの世界が堕落したので、このためにサタンに対峙して、サタンが天使長ですが、天使長がなした悪なる世界を、天の側の三大天使長が現れ、勝利して、収拾した中に、アダムが立たなければならないのです。
神様の前には、女性がいなくなったと同時に、アダムがその女性について行き、偽りの愛で死亡圏に落ちることによって、天の側には息子もいなくなったというのです。創造本然の目的を中心として、代表することのできるアダム・エバがいなくなりました。神様が取ることのできる、男性と女性がいなくなりました。
創世以後、堕落ということが事実ならば、その事実圏内で歴史を受け継いできたすべての人類は、神様の前に立つことのできる、本然的理想に抱かれ得る息子・娘になることはできません。人類の先祖が何に抱かれたかといえば、神様の愛の怨讐です。姦夫です。愛の怨讐の血を受け継いだのです。これは恐ろしい事実です。
これを、どのようにして解くかという課題ゆえに、神様が心を痛めてこられたのです。この課題を解いて、峠を越え、高原を越えて、新しい平原を迎えるためのものが、宗教を通じた救援摂理の歴史であったというのです。ここでは、数多くの人が犠牲になりました。
旧約時代は、物質を犠牲にしてきました。物質を犠牲にした目的は、どこにあるのでしょうか。神様の息子・娘の道を開いてあげるためです。なぜそうしなければならないのでしょうか。万物はアダム・エバのためにつくったのです。真の愛を中心とした人類の真の父母が誕生できるためにつくられた、すべてのものが存在する目的は、天がつくられた本然的心情基準を完成することです。
完成した父母と子女が抱き合うその場で、父母が抱いてあげ、その子供が抱いてあげることのできる万物にならなければならないのです。父母と子供が愛を中心として一つになった父子関係の家庭版図に、抱かれて存続すべきものが、万物だというのです。
万物は、皆さんの産毛と同じです。息子・娘は、肉と同じです。神様は、骨と同じです。このような三大原則を中心として、平面的につくらなければなりません。
ところが、落ちることによって、人が一番どん底に落ちました。父母が落ち、その次に息子が落ち、その次に万物が落ちたので、神様に一番近いのが万物なのです。それゆえ、平面的に横にすれば、神様の理想世界を取り戻すためには、万物を中心として祭物にして進まなければならないのです。
ですから、私たち人間は、物質に対する苦難の歴史をひっくり返しながら、つかんでこざるを得ないのです。そして、どのようにして息子を生かし、どのようにして父母が幸福になるかという苦痛の中で、引っ繰り返す歴史を経てきたということを知らなければなりません。
それゆえ、旧約時代は物質を犠牲にするのです。
地上天国ができなければ死んだも同然なので、血を流し、神様が再び本然の立場に帰り得る、祭物的立場に立たざるを得ないのです。祭物は、生命を犠牲にするのです。それゆえ、イエス様が来る前までは、万物を犠牲にさせて、シャーマニズムから始まったのです。万物を祭物として捧げる意味を知らずに、ありとあらゆる祭物をみな用いたのです。
後には、女性を捕まえて祭祀を行いました。万物も祭物として捧げましたが、純潔な汚れていない女性を捕まえて、それを犠牲にすることによって、そこに一つになり、神様の前に行くという状況にまで至った、歴史の痕跡を知るのです。
それは何を意味するのでしょうか。旧約時代は、万物を犠牲にさせ、息子・娘が行く道を開いてあげようとしたというのです。神様の愛の救援摂理は、皆さんが知らない中で、このように数百万年進んできたのです。人類歴史は数百万年です。
そのように、私たちの先祖が知らない中、神様だけが編んできた、嘆息の恨みの峠があるのです。悲壮な痛哭の谷を開拓してきた主人がいたということを、今まで知らなかったというのです。
その主人が誰かといえば、私たちのお父様であり、その主人が何かといえば、地上天国、天上天国を治めることのできる、師の中の師です。そのお方が誰かといえば、天上天下を全部収拾し、私たちを主人にならせるための師なのです。それを教えてもらって相続するようになる時、神様の大権を相続させてくれるための主人だったということを知らなければなりません。神様がそうだというのです。真なる父母であり、真なる師であり、真なる主人がいて、その主人がきょう、皆さんを訪ねてきて語るのです。
千年、万年、自分の一身を祭物として燃やしても抜け出せない
今日、統一教会の文先生が現れる背後には、そのような曲折の歴史、重なり合う泰山を継ぎ合わせてきて、誰も越えられない峠を越えてきた道があったというのです。
人間が、その山脈を越えられないように、エベレスト山のようなものをつくっておいたのです。誰も越えることのできない峠をつくり、サタンが全権を行使して、人類を思いどおりに地上地獄にしておく歴史が続いてきたのが、今日の世界だというのです。
ですから、終わりの日には、地上地獄世界が現れるというのです。地上地獄として現れる、それは何かといえば、神様のすべてのものを破綻させて、「神様が、いくら能力があっても、自分がなしておいた、この破綻した基盤を回復できないだろう」と言って、神様に向かい昼夜呪い、讒訴するような環境をつくって、「復帰が夢のように易しいか?」というのです。
再臨主が来て、真の父母が来て、この局面をどのように復帰しようとするのかというのです。このようにして、悲鳴の染みわたった世界が、家庭破綻の根本の根を反対に差しておいたものが、フリーセックスなのです。「フリーセックス」といえば、おじいさんが孫娘を 蹂 躙して、自分の愛の相対にするのです。こんな道理はないのです。芽が根になり、根が芽になったというのです。反対になったのです。このようなことはあり得ません。神様の側とは、必ず反対になるようにするのです。ですから、死亡の世界をなしておいたというのです。
おじいさんが自分の孫娘を強姦する。天使長として受け継いだ男性は、そのような行動までしたのです。代身者として悪魔の代表的なそのような行動で、終末に、悪魔より何千万倍恐ろしいことをするようにしておいたのが、フリーセックスなのです。
アダムは堕落したといって、一代を滅ぼしたのです。違いますか。イエスは失敗したといって、一国を滅ぼしたのです。イエスは愛の問題ではありませんが、愛のみ意をなせませんでした。再臨主はこの地に来て、一家庭ではなく、一国ではなく、世界なのです。この世界を滅ぼしてはなりません。世界を滅ぼさず、生かさなければならないのです。その中には国家が入り、家庭が入るのです。それを考えれば、来られる再臨主、来られる真の父母という言葉が、どれほどとてつもないかということを知らなければなりません。
皆さんが受けたその祝福は、通りすがりの旅人たちが集まって、バンド連中が酒を飲み、もちをもらい食いする、そのような宴会の場ではありません。深刻なのです。
家庭の王宮を失ったのです。家庭の王の立場を失ったのです。アダムが完成したならば、家庭の王になるのです。王権、国家が形成されるのです。氏族の王の立場を失い、民族の王の立場を失いました。国家の王子を失いました。それだけでなく、世界の王子、地上天国の王子を失いました。神様が臨席して万王の王の権限をもち、天地の大運を独占し、愛で治めることのできる天上世界を滅ぼしてしまったのです。
このように歴史的内容が、偽りの愛で編まれた失敗で、もつれているという事実を考える時、千年、万年、一身を永遠に祭物として燃やし、その火が消えずに、ずっと燃やすとしても、抜け出すことができないというのです。
神様がその祭物を見て、喜び、踊ることのできる一場面を見ることができずには越えられないのに、永遠に自分の一身を燃やしても、神様が喜ぶことができることは何もないというのです。とてつもない事実です。何の話か、理解できますか。(「はい」)。
この一つの行動が、一時代圏内に、一個の体にとどまるのではありません。天地に行きわたる山びこは、最初は小さいけれども、だんだん大きくなっていくのです。世界に響きわたる、堕落の文化歴史世界の悲運と悲嘆の喚声は、個人の悲嘆が問題ではありません。皆さんの一つの体に、呻吟する問題ではないというのです。
神様は自分の息子・娘の血を流させカインを救う
そのようなすべての問題を清算するために、歴史においてキリスト教を立てたのです。エバです。新婦文化圏がキリスト教です。この地上に、お母様が現れませんでした。ですから、神様の救援摂理は、天使長たちが絶対的に仕える、お母さん文化圏を探さなければならないのです。
父母文化圏、真の愛の文化圏が出発しなければ、神様の創造理想である、真なる地上天上天国の理想世界は顕現しないのです。
それゆえ、お母さん文化圏を立てるのに、血が流れる立場を越えなければならないのです。カインたるサタンが国家的な血を流させる、その血を見て、神様は憤慨してはいけないのです。「よくやった。よくやった」というのです。アベルの血を流させたのは、カインを救うためなのです。これは、サタン世界にもなく、人間世界にもない心です。
完全に引っ繰り返されて、怨讐から血筋がつながった愛の怨讐の子供を、自分の息子以上に愛することのできる道を発見しなければ、救う道がないというのです。神様は怨讐の血を流すのではなく、自分の息子・娘が血を流すのを見て喜ばなければなりません。反対です。分かりましたか。蕩減復帰なのです。
サタンは、怨讐の息子・娘であるアベルの血を流させますが、神様は真の愛の主人なので、自分の息子・娘の血を流させて、カインを救おうというのです。ですから、サタンは、ここで抵抗し、讒訴することのできる、何の条件も提示できないのです。「そのとおりです」と言うのです。
それが、一日、二日ではありません。今まで、個人、氏族、民族、国家、世界と、数多くの良心的な人が涙を流し、血を流し、痛哭をしてきた歴史が、いまだに黎明を迎えることができないのです。宗教圏は悲痛な涙を流し、身もだえしながら、「この環境の渦中から、落とし穴から、どのようにして抜け出るか」といっているのです。
泣き声をあげ、血を流す闘争の歴史の中で、個人時代から家庭時代、氏族時代を過ぎてきたのです。宗教圏は、血の祭壇の中で、世界に向かい、最後の世界的主権者、世界的カイン圏を屈伏させてこなければならないのです。
それゆえ、キリスト教は長子権復帰です。アベル的立場で、アベル的新婦の立場を代表して、初めて地上に着地したのがキリスト教なのです。キリスト教は、何をしなければならないかといえば、長子を再び生み、次子を再び生まなければならないのです。それで、聖霊は母なる神として来て、エバが失敗したことを再び蕩減復帰しなければならないのです。
そうだとすれば、神様も、悲痛な神様です。神様は現れない世界で涙を流してきましたが、聖霊はこの地上の人類を抱きしめ、二千年間、涙を流してきたというのです。多くのアベル的人々を犠牲にしながら、神様を代身して、カインの子供を救ってあげたのです。「あなたは、私についてきてください。私が代わって、これに責任を負います」といって進んできたのです。
キリスト教は霊的なので、霊的に世界まで実が結ばれたのが、英・米・仏です。イギリスはエバ国家です。島国です。次に、アメリカはアベルです。イギリスが生みました。アングロサクソンと同じ民族です。フランスは血筋が違います。フランスはイギリスとも争い、アメリカとも争ったのです。
怨讐の子供を自分の子供以上に愛さなくては、復帰の道がないということを知らなければなりません。神様もそうでしたし、聖霊もそのようなことをしました。
地上でエバが誤った歴史を正すための、霊的犠牲の痕跡が、キリスト教文化圏の殉教の血として、こびりついているということを知らなければなりません。その血の中には、アダムを堕落させ、理想的夫を追い出し、殺して、地獄に追いやったものがあるのです。その体の後継者となり、地獄の子孫たちが生まれたのです。
宗教を通して救世主を送る
宗教が一つになれば、アベル圏地上天国をつくり、その上で、カイン圏サタン世界まで消化しなければならない運命の道が残っているというのが、宗教が見る歴史観です。
間違ったアダム・エバによってこのようになったので、すべての家庭は、アダム・エバと同様に、神様と連結されることのできる道がないのです。アダム・エバが堕落しなかったならば、理想的家庭の実として植えるはずでしたが、理想的な実として植えられなかったというのです。全部、偽の実になりました。神様の生命体をもつことのできる家庭になれなかったのです。全部、子供を生めば、地獄に行くのです。姿は同じなのです。韓国には栗があるでしょう。栗が五、六月に大きくなる時は、みな同じに見えます。大きいといって、皮をむいてみると、実のないものがあります。野生のオリーブの木の実を結ぶものは、役に立たないのです。全部、燃やすしかない人間たちです。人間というものは、本来、永遠の理想を基準として創造したので、これを再び、本然の状態に戻さなければならないのです。
この地上のオリーブの木には、野生のオリーブの木もあり、真のオリーブの木もあります。しかし、野生のオリーブの木の後孫として生まれた、この世界には、真のオリーブの木というものは一つもありません。接ぎ木しようとしても、接ぎ木することができません。それゆえ、宗教を通して、メシヤ、救世主を送るのです。
愛の塗炭の苦しみの中、国家と世界が閉ざされているので、愛と連結された家庭を復帰する前には、国家と世界が現れる道理がないのです。
そのようなことをご存じの神様は、英・米・仏という、宗教を中心として役事するのです。キリスト教は、霊的救いの完成です。それゆえ、第二次世界大戦を中心として、ヒットラーという悪魔の再臨主が現れるのです。実体の体を中心として、第一次大戦、第二次大戦を起こすのです。そうして、キリスト教文化圏の破綻、ユダヤ教とキリスト教を全部なくしてしまえというのです。宗教天使長圏までなくしてしまえといったのです。
そのような闘いをして、最後の判定、最後の歴史を代表して終結させたのです。カイン・アベルの体と心が分かれたので、心的な宗教圏国家形態が備えられることによって、体的サタンの全権の上に、反対の形態が現れるのです。内容が、ぴったり同じです。
日本は島国でエバ国家です。文化で見れば、イギリスと相対になります。キリスト教文化圏を、サタンがそのまままねして、アジアに移したものなのです。ぴったり、そのようになっているのです。
半島を中心として、島国イギリスを通して大陸に出てきたのです。半島、島国、大陸と回ってくるので、アメリカを中心として回って、日本に来るのです。日本、韓半島、ぴったり合います。地形も合いますが、内容も合ってこそ、蕩減復帰になるのです。
日本は、アジアに再臨主が来るのを知っているので、韓国を通して、アジア大陸を求めていくのです。
アジア大陸に種をまくことのできなかった、イエス様の恨みを解いてあげなければなりません。これを実体的に合わせなければならないので、今、文明の主流は反対に回って太平洋文化圏時代が来るのです。太平洋文化圏でアジア文化圏が決着するのです。失ったイエスの体をもってきて合わせようとすれば、ここにメシヤが来なければならないのです。
イエスの体と心が分かれることによって、国と国が分裂し、統一的国をこの地上に立てることができなかったのです。それを世界版図で蕩減復帰するために来られる主は、世界版図の統一圏の上に現れなければならないので、英・米・仏と日・独・伊の大接戦が起こるのです。体と心が争い始めたのが堕落なので、世界的体である日・独・伊、サタン側、カイン圏が、このアベル圏、新婦圏である英・米・仏を攻撃するのです。人類が、二つのグループになって闘いをするのです。
そこで初めて、歴史以来、統一文化圏が生じるのです。お母さんを中心として、全世界が一つになるのです。全世界は、アベルを殺したサタン文化圏であり、お母さんを破壊させたエバ文化圏と同じなのです。ヒットラーは悪魔のアベルです。イタリアは悪魔の天使長です。フランスも行ったり来たりするのです。原理的な内容で見るとき、先生が教えたものは誤っていません。ぴったり合わなくては、蕩減にならないのです。彼らは、争い、統一され、一つになったのです。
それゆえ、エバが霊的に、お母さんの役をした基盤の上に、実体のエバ圏を屈伏させたので、この地上に、お母様が顕現できる版図が生まれたのです。これは、長成期完成級で堕落し、混乱した立場ではありません。完成期完成級に向かい訪ねていくことのできる、お母さんの立場に立つので、準備しなければならないのです。
先生に侍ったならば、そのことが、そのまますべて終わるのです。聖進のお母様と別れていなければ、どういうことが起こるでしょうか。文氏一族と聖進のお母様の崔氏が福を受けるのです。崔氏一族が、ただそのままついて入ってくるのです。こうしておけば、彼らは、ただそのまま祝福を受けるのです。
全世界が文総裁打倒運動
カイン世界とアベル世界を、世界的基準で一つにしなければなりません。そうなれば、自然に氏族が一つになり、民族が一つになることによって、国家が一つになるのです。南北は分かれないのです。南北が分かれず、ぴったり一つになれば、世界の中心国家になり、世界版図を主導できる内容を備えて、七年間あれば、氏族的メシヤの責任を通して、世界を統一しても余りあるのです。
そうなれば、その時、先生は国連に加入した、すべての国家の中心になるのです。そして、世界人類は、七数の基盤の上に家庭を取り戻し、祝福を受け、氏族的メシヤとして行って、家庭に連結させて相続させることによって、家庭的メシヤになるのです。反対に探していくのです。家庭です。
このことを展開させるために出てきたのです。これさえ連結されれば、世界は完全に神様の懐に入ってくるのです。神様の懐に入ってくれば、世界が抱かれるのではありません。世界が抱かれる前に国が抱かれなければならず、国が抱かれる前に家庭が抱かれなければならないのです。蕩減復帰は、反対の過程を通して、清算しなければならない道を進んできたのです。先生はこのことを知っているので、万難を顧みずに進んできました。
先生は、キリスト教が反対するので、この地上から完全に追い出されました。世界的に、国家的に、家庭的に追い出されたのです。教派は民族と同じです。民族的に、家庭的に、全世界が文総裁打倒運動をしたのです。個人、家庭、氏族、民族、国家…。八段階を中心として、そうなのです。
そうして、初めて上陸作戦をするうえで、誰を探して上陸するのかといえば、女性たちなのです。神霊的な女性たちです。韓国で見れば、三大女性教団が出てこなければなりません。女性たちが三代を経なければならないのです。蘇生、長成、完成です。
エバは、どのような人かといえば、三人の夫を殺しました。三人の夫を追い出した女性だということを知らなければなりません。蘇生、長成、完成の蕩減歴史的な罪を崩さなければならない責任があるということを知らなければなりません。
統一教会の女性が、このようなすべてのことを知ったならば、再び堕落する現象は起こりません。夫が堕落しても、自分は貞操を守らなければなりません。真の父母に報告して、その日から聖別するのです。夫婦の因縁を結べば、それは許すことができないのです。第二の堕落以上です。
アダム・エバの時代は、原理が出発した当時です。先生の時代は、原理結果主管圏を越えて現れるのです。世界的な国家と家庭全体を越えて、世界王宮を中心として、そこに根を下ろしていかなければならないのです。
ところが、キリスト教新婦圏になれなかったので、神様の救援摂理は、新婦再創造なのです。アダム再創造をすることができないのです。怨讐になったカインを神様の愛に帰依させるためには、帰化させるためには、再創造歴史をしなければならないのです。再創造しようとすれば、投入しなければなりません。神様ご自身は、再び投入できないのです。誰が投入するのでしょうか。神様の側で愛するアベルが投入してきたのです。
救援摂理の全体を否定した罪
皆さん、考えてみなさい。今まで救援摂理をしてきた神様が生きているならば、なぜ、今から四千年前に、救援摂理を着地したのでしょうか。それが謎です。神様が人類を愛するなら、なぜ、今から四千年前であるヤコブ家庭時代に、救援摂理を着地したのでしょうか。世界の神学者は、誰も答えられないのです。
神様が人間を愛して、救援摂理をする時、アベルが神様の側に立ったといっても、自分の子ではないということを考える時は悲惨です。
神様が、純潔なる愛の宇宙の核を探していくうえで、純潔、純潔、純潔の最高峰から考える時、悲惨だというのです。すべての心身と細胞を、一方向で一つにして投入したのです。それが、愛が行くことのできる本然的本道だ、ということをよくご存じの神様にとって、愛の怨讐の子供として生まれたその版図を、自分の愛する息子・娘よりも、もっと愛することのできる論理というものはないのです。
ですから、これくらいの一つを立てるために、無限なる犠牲をしたのです。これを一つ立てるために、神様は三六〇度で、自分の心を否定することをしなければならないのです。そうでなければ、怨讐を愛そうという行動ができないのが、神様なのです。理解できますか。(「はい」)。
このような恨みを考える時、アスファルトの作業をするためのローラーで押しつぶして、はげたかの餌になっても、かわいそうではないというのです。地上でその影も見たくないし、その形も見たくないのが、神様の気持ちなのです。
ところが、真の父母は、見てほうっておけないのです。サタンまでも解怨しなければ、理想世界が現れないので、泣き泣き、芥子食い(嫌なことをやむをえずすること)で、千年の恨みを抱きながら越えなければならない悲運的運命にあるのです。運命ではなく、宿命です。これを避けては、神様が存続できる道がないというのです。
お母さんとお父さんを取り替えることができますか。父子の関係を変えることができますか。運命というものは、東西を対峙して、何ででも埋めることができるものですが、宿命というものは、そのままです。ご父母様が、この仕事ができなくなれば、天上世界に行くことができません。宿命的だというのです。
間違ったなら、すべて処分して、水のようにして、太平洋に流してしまっても物足りない者たちを、救ってあげて、再び収拾したいという本然の心があるということが、驚嘆に値する恐ろしい話だというのです。
皆さんが犯した罪というのは、ご父母様から祝福を受けて完成圏内に入ってそうなったということは、父母の体を犯したことになります。接ぎ木する歴史性を、全部否定したのです。救援摂理の全体を否定したのです。先生がこの道を願って、どういう苦労をしたか、皆さんは知りません。罪を犯すにも、とてつもない罪を犯しました。あなたたちは、地獄の中の地獄に行かなければなりません。
私は四十年間来ながら、第二次的に堕落したその子供たちを、どのように処理するかという問題を、今まで解決できずにいるのです。保留です。神様が先に立って、私が責任を負おうという公認を受けられなければ、あなたたちを許してあげる道がありません。
条件的な許しをしようとすれば、国が生まれなければならないのです。神様の国を見いだした時、特赦する時があることでしょう。祝福を受けた二世の中で失敗した場合、その影も見たくありません。その形も見たくないのが、神様の気持ちであり、真のご父母様の気持ちなのです。分かりましたか (「はい」)。
お父様の悲惨な心情の十字架の峠
先生が行く道は、あなたたちが考えるようなものではありません。今まで、エバの過ちをアダムが責任を負い、全部正していかなければならなかったのです。はしごをかけていかなければなりません。これでは、祝福を受け得る立場に立つことのできる、何の資格もない者たちです。
神様が怨讐の子供たちを愛するために、自分の一身の体面も意に介さず、すべてのものを犠牲にしながらなしたように、私が神様に代わってなすのです。その悲惨な内情的な心情の十字架の峠が、どれほど大きいか分かりますか。
女性たちゆえに、私は今まで世界で悪口を言われてきたのです。あることないこと言い触らして…。霊界から自分たちに教えてくれることを事実だと思って、混乱してしまいました。霊界でなされたことを事実だと信じて、先生に対して、ありとあらゆることをしたのです。愛に狂った女性たちの泥沼から出てくるのに、四十年かかりました。この渦中で、あなたたちは何をしたかというのです。それなのに、あなたたちになぜこのようなことをするのですか。
三十六万双というものは、歴史にないものです。三万双から、公開的な祝福を世界的に行ったのです。そこには、国家の大臣級以上が入っているのです。世界の峠を越えなければなりません。三万双から三年目で三十六万双をなしたということは、三数を越えていくのです。これは不可能なことです。
今日、統一教会の教会員たちは、それが可能だと信じましたか。それを知って信じるのは、神様と先生しかいませんでした。世の中が反対し、韓国、日本、それ以外のあらゆる国々が、文総裁が失敗すれば、うそつきだと言い触らしながら、「このようにだます世界的代表であるから、なくしてしまおう」というような、ありとあらゆる計略があったのです。それを誰にも相談する人がいません。先生が独り、それを越えなければならなかったのです。
そのような寂しい先生、そのような孤独なお父様が行く道に、垣根にならなければならないのが祝福家庭なのに、垣根はおろか、出ていって、自分の恥ずかしい環境を越えるために、統一教会が悪いと、口を開いて、ありとあらゆることを言ったのです。どこかに行って座っては、先生を悪いと評し、統一教会を悪いと言うのです。皆、そのようにしてきたのです。これは、悪魔よりも悪いというのです。
けれども、私は祝福をしてあげるのです。霊魂のために、祝福をしてあげるのです。責任を感じるからです。
今からは、蘇生家庭圏の世界版図で三万双を基盤として、長成圏三十六万双を中心としてサタン世界を越えていくのです。三十六万双は、三十六家庭を世界版図の上で越えていくのです。先祖たちが誤った峠を越えていくのです。
先生のお母さんは、先生に精誠を尽くしたお母さんなのです。お兄さんも、先生を誰よりも愛しました。生きたカインの役割を果たしたのです。この世の母親の中で、先生のお母さん以上に先生を愛した人はいません。それは私が知っています。そのようなお母さん、そのようなお兄さんに、この貴い原理の御言を一言も話さなかったのです。自分のほうに近い人に話すならば、自分の側の人を死の場へ命令される、神様の事情と違背するというのです。カインを愛し、帰ってきて、自分の側を愛さなければならないのです。
このような歴史の責任を共に負って行かなければならないのが、祝福家庭であるのに、自分の一身を考え、自分の息子・娘を中心として考えるとは何ですか。皆、泥棒のようになってしまいました。
子供が悪魔になって讒訴する
先生が世界的版図で戦争の一線に立ち、時間を争って、生死の圏の闘いをしていく過程にあることを考えると、あなたたちがなした罪を許すことができないというのです。
しかし、世界を見つめながら祝福をしたというのです。あなたたちを見て、祝福したのではありません。万民が行くべき、世界的堕落の過程を越えていかなければならないので、祝福してあげたのです。
法があれば、法的に判決を下して連れてくることができます。先生はいまだに国がありません。天の国の憲法を制定して、法を治め得る規約を立てることができませんでした。規約を立てたならば、あなたたちはすでにいなくなるのです。それゆえ、またほかの地獄が生まれなければならないのです。家庭的地獄が生まれるというのです。
そうなれば、あなたたちはどうなるのでしょうか。子供が「お父さん、これは何ですか」と言いながら、悪魔の悪魔になって讒訴するのです。「真の父母の行く道をそのようにして、なぜ私をこのようにしたか このようにしなかったならば、私も真の父母の行く、天国に入れるようになったのに」と言いながら、子供たちが怨讐のように攻撃するのを、避けようとしても避けることができないのです。祈祷もできない所になるのです。そのような悲惨なことを、私は知っているのです。これを、どのように解決しますか。
今もそうです。今度、この期間にも特赦を与えて、私が責任を負うというのです。かわいそうなので、お父様が責任を負おうというのです。
養子の名をかけて署名したならば、養子になるのです。天の国に入籍することのできる、直系の子女にしようと署名し、祝福をしてあげたので、彼が誤ったとしても、そこまで私が導こう、と言い得る心をもって、引っ張って越えていかなければならない立場にあるので、このような場を設けるのです。
ここから出たあと、堕落した者たちを、あなたたちが収拾しなければなりません。あなたたちの前に、カイン・アベルがいることを知らなければなりません。あなたたちがアベル的恵沢を受けたので、カイン的に堕落したその家庭を、サタン世界の前に絶対許すことのできない立場にいるとしても、それを抱くべき第二の版図が残っていることを、はっきり知らなければなりません。
先生と共に御旨を歩んだ者を忘れることができない
今、三十六万双の中には、罪を隠している人もいます。刑場に行くべき死刑囚もいることを、私は知っています。そこまで許すのに、それ以上まで許す心をもたなければならないので、このようなことをするのです。
あなたたちを忘れることができません。この道を歩む数十年の過程で、先生を見つめながら涙を流し、その心で自分の足りなさを悔い改めた一日があるというのです。
この道を歩む中に、どうかして環境に追われるようになり、環境に陥ってみると、ご父母様を忘れることができません。忘れられないので、反対します。反対しても忘れられません。昔、祝福を受ける立場まで御旨の道を歩んできながら、涙を流し、迫害を受けた、すべての心の跡を消すすべがないのです。
ですから、二重的な苦痛が染みわたるのです。過去、このようになったので、なるようになれというのです。破倫的な堕落の恨みを抱き、前後の方向をサタンよりももっと四方を備えて、ありとあらゆるふるまいのできる、問題の家庭が育っているというのです。
また、なぜこのような特赦を下すのかといえば、忘れることができないというのです。顔を見れば、切ってしまわなければならないのに、手が震えます。私が寂しい時、同調者になろうと苦労してきました。皆、涙を流して、先生のために生きようとしたでしょう。
今度、三十六万双を祝福する前に、南米からアラスカを回りながら、荒れ地開拓の王子のように、失ったものをすべて収拾しました。そうすべき責任があるので、収拾し、帰ってこなければならないのです。これを収拾できなければ、三十六万双の峠を越えることができないのです。神様が生きているので、神様は内的な責任を果たし、私は外的な責任を中心として、これを整備したのです。そうこうしているうちに、三十六万双を天がなしたのです。
かわいそうな先生一人を、前に立たせて行くのです。私は一方に通告して回りますが、神様は三六〇度の方向を通して通告しながら、なしてくださったということを知らなければなりません。
それゆえ、私も神様の前に足りないので、私の前に足りないこれらを、収拾する責任を負おうと考えたのです。皆さんを同情して、この日を設けてあげる、出発の瞬間であることを知らなければなりません。
私が四十歳の時に天国を築いたならば、この者たちは全部、解放圏内で天の国の民となって、万国を代表することができたはずですが、四十年延長させることによって、このようになったというのです。本然の主体たるアダムが果たせなかった責任を、私が負おうというのです。それゆえ、責任を果たせなかったキリスト教を収拾し、アメリカを生かすために、今まで身もだえしてきたのです。
神様に尋ねてみると、私は、それでも少しましだというのです。神様の喜びの対象として現れ得る立場を描いてきたが、その現れる前に、主体たるアダム・エバという存在が堕落してしまったというのです。長い期間を蕩減してくる中、皆さんが離れたといえども、ひとときは私のために生きようという存在だったということを考える時、(私は)神様よりもましだと思いました。
そのような責任を負い、神様の前に談判祈祷をして、このようなことをしているという事実を知らなければなりません。
万民の再臨主たるお父様として来て、新婦圏キリスト教と三大天使長圏が全部反対する、その環境を逆に回ってきて、これを許すのです。統一教会の食口たちを許すことができなくなれば、サタンがあざ笑うのです。皆さんより、サタンがあざ笑うのです。
そうして、心的背後を中心として、あなたたちが過去に涙を流し、山を越え、野を渡り、海を渡ろうと言いながら、どんな仕事でもしよう、という心の世界の同志だったので、先生は忘れることができないのです。
そして、あなたたちは、どれほど悲惨だったでしょうか。「えい、なるようになれ」と言いますが、そうかといって、御旨を忘れることができません。先生が教えてあげたことを忘れることができません。どこに行っても、そのことが現れます。どこに行っても、塀があるのです。その塀にぶつかって呻吟する、歴史的悩みに置かれたのが、統一教会の原理を知った人々の悲惨さなのです。どうでしたか。平穏に暮らしましたか、やりきれなかったですか。
この世の父母もそうです。子供が罪を犯して、国の法で許すことができなくて、絞首台に行くその朝、お母さんは父母の心をもって、天に対してみ意があり、許され得るならば、我が子が絞首台を免れることを願って痛哭するのです。そのようなことを私は知っているのです。
これを全部、切ってしまい、越えていくべきでしょうか、それでも許して、橋を架けて越えていくべきでしょうか。同じような気持ちです。それを知らなければなりません。分かりましたか、何の話か。(「はい」)。過去の失敗が、どれほど致命的なものか知らなければなりません。
男性や女性が残せるのは真の愛しかない
キリスト教が責任を果たせなかったことにより、先生の一族が破壊されました。先生は離婚してはいけない人です。すべて失ってしまいました。エバを失ったアダムが一人、神様に向かい帰ったのと同様に、準備された世界版図の完成したお父様の位置から追われるようになる時、どこに行きますか。神様の懐に帰らなければならないのです。
荒野で苦しむ神様の友となり、孤独単身で恨みの峠を見つめながら、涙を流した神様の心情、その神様を恨んではならないのです。自身が越えるべき峠を越えられなかったので、許しを請わなければならない道が、真の父母の道なのです。
千辛万苦の受難の道が、未来にあるとしても、血肉をえぐり、骨まではげたかの餌になっても、その道を行こうと言いながら、飛び散る骨の粉までも、恨みを残してはならないのです。必ず、感謝して越えていく道が、真の父母の道なのです。
そのように知って、今度の時が、どれほどとてつもないことかということを知らなければなりません。これを処理しなければ、困難なことになるのです。私が困るのではありません。無限に行ってしまうのです。
運搬船の何百倍もの大きな船をつくり、堕落した人を乗せて、海に浮かべて送るのです。そして、エンジンに、油をいっぱい積んであげます。いい機械を装着します。私が世の中でできることはみなやってあげることでしょう。いい運搬船に乗せて、海に浮かべ、千里、万里、離別することでしょう。そのように、恐ろしい道です。
皆さんは知らないのでそうしますが、先生はそのようなことを知っているので、怨讐に対して、神様の前に「仇を討ってほしい」という祈祷はできないのです。
お母さんとお父さんのもとを離れて、四十年間、お母さんとお父さんのために、祈祷を一度もしてあげられなかった人です。心が痛めば痛むほど、恨みの心情の谷が深まるほど、涙の壷が大きくなっていくのです。還故郷する時は、自分のお母さんとお父さんの一族に会って、痛哭をし、歴史時代になかった痛哭をして、人類始祖の涙から今までの涙、未来の涙まで全部、その壷に入れておいて、一度にぶちまけてしまおうという気持ちが、神様の気持ちであり、真の父母の気持ちだというのです。
ですから、世の中は、先生という人が分からないのです。お母様も、先生がよく分かりません。ここにいる誰であろうと、先生が分からないのです。今まで分かりません。
神様が天地を創造する時、絶対信仰をもって創造しました。遊びではありません。私が言えば、言う通りになるのです。実体は、必ず現れなければならないので実体が生じるのです。
霊界までもそうです。私が必要とすれば、絶対信仰の上で、絶対愛をもってするのです。絶対服従です。男性や女性が残せるのは、真の愛しかないのです。真の愛の前には、男性も女性も服従しなければなりません。
皆さんは愛の相対が、皆さんより、何百万倍勝ることを願うでしょう。神様も同じです。愛の相対は、何千万倍勝ることを願うのです。その愛の相対が神様ではなく、人間、アダム・エバだというのです。アダム・エバが自分の何百倍勝り得る、愛の衝撃的刺激を感じる、衝撃的刺激を願ったというのです。その相対の前には、神様も絶対服従するのです。それが、創造の動機的起源です。
それで、天地の万物をすべて救ってあげるのです。絶対信仰の上で、絶対愛のために存在するのです。鳥の世界でも、万物の世界でも、オスとメスが愛し合う、愛の歴史が変遷しますか。創造当時と同じなのです。そのままです。変遷することはできません。それゆえ、すべての万物が、愛を見いだそうとすれば、絶対信仰を越えなければなりません。自分の体が引き裂かれていくとしても、愛ゆえに、痛さを忘れていかなければならないのです。
私はなくなるとしても、愛だけが残ります。私はなくなるとしても、愛が内外に強固になり、頑丈になっていくかもしれませんが、私ゆえに、その愛自体は損害を見ないというのです。絶対愛、絶対服従です。夫婦になった後には、絶対服従です。愛に致命的な問題が生じる時には、口を開けることができないのです。
先生の家庭は、どうだったと思いますか。先生の家庭が、殴り合い、けんかするような家庭的伝統を残したと思いますか。男性がどれほどばかであれば、手を上げて女性を殴りますか。天が地を殴ることはできません。それを知らなければなりません。そのような精神的姿勢がだめだったので、皆さんはこのような姿になったというのです。
また、女性がどうして、男性を否定しますか。夜がどうして、太陽を否定するかというのです。あり得ないことです。夜はいつも、太陽を褒めたたえなければなりません。朝になれば歓呼の声、夕方になれば悲鳴の声を張り上げながら、「去らないことを願います」と言わなければなりません。
そのような心をもって、夜の期間待ちこがれ、朝の歓喜の声は、悲しかった夕方の送別の心まで合わせて、二倍、三倍で、毎日のように輝く愛の主体を迎えようと言うべきなのが、女性の心情なのです。
では、女性のために男性をつくりましたか、男性のために女性をつくりましたか。どちらが先ですか。女性たちは、「女性のために男性をつくった」と言うことでしょう。それは人間的立場です。神様の立場から見るとき、男性のために女性をつくりましたか、女性のために男性をつくりましたか。
それでは、天が先にありましたか、地が先にありましたか。天ではありませんか。男性は何でしょうか。天です。本当に天ですか。ここにいる男性たち、なぜ天が先でしょうか。神様に似たのです。男性の生命の出発は神様からです。生命の種は天にあるのです。女性にあるのではありません。
女性は誇るべきものがありません。女性の体を見れば、胸と尻が大きいのです。それは誰のために大きくなりましたか。女性のためではありません。その顔がすべすべし、きれいなのは誰のためでしょうか。男性のためです。男性はそのような顔が好きなのです。
その次に、その生殖器は誰のものですか。女性のものではありません。男性と赤ん坊のためのものです。これは息子を象徴し、これは女性を象徴するのです。上下です。二人を愛の懐に抱いて、結実を収めるものが息子・娘です。女性は所有物がありません。女性に何がありますか。生理的に見るとき、所有物をもつということは夢です。
真の父母の体と真の父母の愛を破壊させる行動
今もワシントン・タイムズを中心として、「エイズ隔離」と言っています。ハンセン病より何百倍、恐ろしい病気なのです。美男子、美人はエイズが侵犯しやすいのです。あなたたち、エイズにかかりませんでしたか。エイズにかかったなら、ここに参席してはいけません。
それから、今から十年後に、皆さんの嫁、婿たちが、そのような関係を結ぶことはないと、自信をもてますか。地球上に生存する女性と男性たちを、サタンが、生きた毒蛇のようにねらっているのです。女性の生殖器と男性の生殖器は、殺気立った毒蛇と同じです。かまれる日には、一族が滅びるのです。それゆえ、蛇で比喩をしたのです。憤った毒蛇のように口を開けているのに、手を入れますか。その場所に、生殖器をほうり込みますか。これは妄想的な話ではなく、現実的な話です。
これで、歴史を滅ぼすためにサタンは、のたくりながら、夜昼なしに転がっていくのです。そこに動じたということは、天の前に体面と威信を立てることができない、恥ずかしい歴史であるので、悔い改め、悔い改め、また悔い改めても、逃れることのできない立場で、真の父母の体と真の父母の愛を破壊させる行動をしたという認識を正しくしなければならないというのです。分かりましたか (「はい」)。
四十年延長させたその責任をお父様が負う
父母は自分の愛する子供が罪を犯し、刑場に出ていく時、天地の前に許しを請う道を求めながら、子供を涙で送る父母になるというのです。神様も同じであり、先生も同じです。歴史的な因縁を否定することができない、このことを正そうというのは、父母の心情であり、神様の心情なのです。
また、神様の前に私が四十年延長させた、その責任を負うのです。この四十年の間にキリスト教文化圏と先進国家が、どれほど台無しになりましたか。経済的にも困難になり、息子・娘もみな失ったのです。
アメリカが王子の立場で世界に号令できるよう、長い期間つくっておいた勝利の版図が、このように短い四十年の間に、台なしになるとは…。なぜ? 文総裁に反対したからです。文総裁が四十年で帰ってくる時は、平面的基準で直撃弾を受けなければならないのです。
その期間に失われた人類は、どれくらいでしょうか。一生を百歳として、百人の中で一人が死んでいくとすれば、五十億人類のうち、一年に五千万が死んでいきます。そのような計算です。その人たちは全部、神様の家庭の祝福を受け、神様の直系の息子・娘になって、天国を受け継ぐ相続者として、天国解放圏を充当させることのできる民になるはずであったのに……。
一年でそうなれば、四十年ではどれくらいでしょうか。二十億です。その息子・娘まで考えれば、数十億の人を地獄に行かせたのです。これが、キリスト教の蕩減条件として提示されるのです。神様は、サタンの前に差し出さないわけにはいかないのです。ですから、財産をすべて失ってしまうのです。
キリスト教を見なさい。アメリカに行ってみなさい。そのように準備した教会が、荒廃した教会になりました。そこには、天を褒めたたえ、父母を褒めたたえ、国を褒めたたえた若い青年たちが、みないなくなり、されこうべの場になりました。おじいさんとおばあさん、八十歳を越えた人たちが、家を守っているのです。牧師たちまでエイズにかかっています。神様がそこから離れてから、長い期間が過ぎました。理想的な家庭を築き、教会を指導し、天の国を建国できる主人がいなくなってしまいました。今は、完全に滅びるようになったのです。
先生は個人的中心、家庭的中心、民族、国家、世界の中心をみなもっていますが、この世は、時が来て移ることによって、すべて失ったのです。
この世界の男性の中に、夫だといって迎えるべき人はいますか。女性が、自分の心と体を中心として、千年の恨みを越え、歓喜の心をもって、「私が願った夫だ」といえる人が、この世に一人でもいますか。一人もいません。結婚が、何よりも恐ろしいのです。毒蛇がかみつこうとすることよりも恐ろしいのです。ライオンよりも恐ろしいのです。トラよりも恐ろしいのです。
人間は、愛に対する情欲を避ける道がありません。情欲は情欲のまま燃えるのに、相対がいないのです。対する相対は、自分の後頭部を殴るのです。滅びる環境になり、仕方がないので、そのような立場の人に会って、男性同士、女性同士で結婚して、情欲を満たすのです。それで、神様の創造理想が、悪魔の行いになったのです。
レズビアンたちは、真なる生殖器がないので、偽の生殖器で戯れるのです。自分一人ではできません。ヤコブ家庭でレアとラケルが争ったので、一つにならなければならない運命が残っているため、自分に一番近い人のところに行って、「あなたは姉さんになって、私は妹になろう」と言い、それで一つになり、互いに慰めていくのです。蕩減復帰歴史によって、提示された条件なのです。
それゆえ、兄弟同士で愛人なのです。なぜでしょうか。兄さんと弟が、いかに情欲に覆われているかを知っているからです。男性二人で、一人の女性を好きになるのです。ヤコブ家庭でレアとラケルが、一人の男性を中心として、二人が一つになれなかったことを蕩減復帰しようとするのです。サタン世界で、その姿の通りにしているのです。
それゆえ、終わりの日には、神様が離婚を許諾することのできない時代に入るのです。そのようなことをすべて知らなければなりません。どこに行くべきかをみな知らなければなりません。そのようなことをみな知らないので、自分勝手に行動して、反対に地獄に落ちるのです。
神様の復帰路程の心情
先生がいなければ、世界は滅びるのです。先生が独りで、この世界の亡国の地上地獄を防御してきたのです。そのような先生に、同じ立場でついてきながら、師として、父母として、未来の主人公として侍ってきた立場で、どうしてこのようになったのか分かりません。情けないことです。
先生は幻ではありません。私は多くのカップルを結んであげたのです。三十六万双を引き受け、祝福をしてあげる記録を残したので、私が今、どういう話をしても信じることができるので、今度、初めて事実を話すのです。
先生の手が動くのです。誰も分かりません。写真をサッとつかむと、手が動くのです。ですから、たくさんの男性と女性が、自分の夢による啓示の中で、どんな人が相対だと教えられるのです。どうすれば、そのようにみんな合わせられるか、というのです。
このようなことを反対し、これを否定する人が、天下のどこに行って立つ場所があるのでしょうか。あなたたちの妻も、夫も、みなそのようにして合わせてあげたのです。ウジの世界で鳩のような羽をつくってあげ、亡国の種を興国の種にしてあげたのに、どうなっているのですか。自分自身を知らなければなりません。分かりましたか (「はい」)。
このような話をしてあげれば、新しい決心をして、今後、美女が千人、万人いたとしても、男性はその欲望を治められなければなりません。「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」というのが、一番難しい峠なのです。これを越えられなければ、真の息子・娘、神様が願う、息子・娘を生むことができないのです。
そのような伝統を、今から相続する自信がありますか、ありませんか。宇宙主管を願う前に何ですって? (「自己主管です」)。アダムとエバは自己主管できませんでした。その峠です。
絶対信仰、絶対愛、絶対服従を中心として、愛の峠を行き来できなかったことが、堕落の恨みなのです。
先生が行く道に、女性たちの誘惑がたくさんありました。日本に行けば、日本の女性たちが、ありとあらゆる誘惑をするのです。アメリカに行けば、アメリカでもそうです。鍵を二つずつかけて寝るのです。遊びごとではありません。
祝福を受けたことを蹂躙するこの者たち、銃と刀が問題ではありません。原子炉をつくって、そこに入れるや否や、一度に倒れるのを見ても、神様の恨みは解けないのです。そのような恨みの心をもっているというのです。ご父母様も同じです。それを正すために進んできた道を滅ぼすことをしたのに、誰が許してくれるかというのです。
あなたたちが一時、尊敬した先生は、取るに足らない男ではありません。お母様をつくるために、千辛万苦したのです。お母様を引っ張ってくるのに、何事もなかったでしょうか。激励し、激励し、激励し、長く忍耐しながら来てみると、自然に先生を尊敬できるようになる道を歩んできたのです。
こうして、祝福を受けたその伝統をつないであげようとするのに、あなたたちの行動はこのざまです。これは許すことができないのです。そのようなことを、骨身にしみるほど分からなければなりません。
さあ、私が一つ女性たちに尋ねてみましょう。夫たちが失敗したのを知って、それ以後に愛の関係を結んだならば許すことができないのです。けれども、今までのことは全部、許してあげようというのです。許してあげれば、あなたたちの夫を、今まで堕落しなかった夫だと考えることができますか、できませんか。「先生がここで許してくれれば、うちの夫はそのようなことがあったが、全部忘れてしまった」と言えますか。(「はい」)。本当ですか。そうならば、神様よりも勝るではないですか。
そして、夫が相手になったその女性が来れば、レアの立場でラケルのように、あるいは、ラケルの立場でレアのように愛することができますか。問題は、そこに引っかかるのです。夫は許してあげられるとしても、夫が愛した女性を、姉さんの立場だとか、妹の立場で、愛してあげることができますか。
カイン・アベルと同じなのです。アベルは、カインを救ってあげなければなりません。レアは、ラケルを救ってあげなければなりません。救いを受けた後で、ラケルはレアを救ってあげなければなりません。レアを、地獄で暮らした者を、天国に行けるようにしてあげなければなりません。
また、この夫を、愛する弟妹以上、お母さん以上、おじいさん以上に愛することができるかというのです。そうでなければ、復帰できません。
あなた、この女性を許しますか。(「許します」)。心が安らかですか。今、この女性が、ほかの男性とかかわれば、それを祝福してあげられますか。神様が、そのような立場だというのです。
神様の前に、二種類のお母さんと息子・娘がいます。一つは堕落したお母さんと息子・娘、復帰すべきお母さんと息子・娘。二種類がいます。神様自体がそのような心をもたなければ、一つにする道がありません。
それで、全世界的に見れば、お母様がレアの立場にいます。全世界の女性たちは、妹の立場に立つのです。女性たちは先生をみな思慕するのです。それが問題です。統一教会の難しさです。お母様のような立場をみな願うのです。
そして、お母様が、先生が世界の女性たちを、お母様を愛するように愛する(肉体的な愛ではない)と言って妨害すれば、お母様になれません。二つの世界を抱くことができません。夜と昼を抱くことができません。それがお母様の難しさです。
ですから、たくさんの国、たくさんの所に行っても、たくさんの女性たちが「先生だ」と言いながら、列をつくって大騒ぎするのです。娼婦として、そうするのではありません。自分(女性)が生きるためにそうするのです。それを抱いてあげられる雅量のあるお母様でなくては、宇宙のお母様になれないのです。
また、お母様がどこに行っても同様です。男性と女性が全部、歓声をあげるのです。私が見て、「なぜああするのか」と言ってはならないのです。それを父子の関係で考えなければ越えられないのです。御旨がそうだというのです。
そのように、愛する人を捨て、また、行くことのできる余力をもってこそ、神様が復帰の路程を歩んでいかれた、心情世界を理解できるのです。
それで、許すでしょう。許しましたか。その二人が許す基準で、先生が祈祷してあげなければなりません。
恐ろしい時代が来る
堕落してから、赤ん坊を生んだ人がいますか。そのような人は問題があります。この人たちは、ここから除外するのです。これは、先生が祈祷をしてあげることができません。
あなたたちは今から四十日期間、反省し、その赤ん坊のために四十日断食をするか、何をするかして、蕩減しなければなりません。その子供たちは何も知らないので、罪はないのです。
国があるならば、どうなるか分かりますか。その息子・娘を、お母さんとお父さんが処分しなければなりません。そのような恐ろしい時代が来るというのです。妻が堕落すれば、夫が除去するのです。許しのない時代が来るのです。自分の子供が誤るならば、お父さんが処理しなければならない時が来るのです。自分の一族の前にそのような後孫を残した、それ以上の恥はないというのです。知っておきなさい 先生がその解決方法を、一生の間探しました。原理には方法がありません。
神様は、再堕落したその体、その影、その痕跡も見たくないというのです。復帰され、完成した地上天国に、そのような人の子供の泣き声も聞きたくないというのです。そのように深刻なのです。この子供たち、どうしますか。お母さんとお父さんが、全部責任を負わなければなりません。
先生はそのような人です。お母様に対して、この原理原則を間違いなく適用しようと思う人です。自分の子供にも、間違いなく適用しようという人です。今、許すというのは、国がないから、そうするのです。国があればできないのです。
遊びごとではありません。それゆえ、神様は、文先生をつかんで手放すことができません。このようなすべてのことを知り、実践してきたのです。教えてからするのではありません。すべて実践して教えてきたのです。三十六万双は、できると信じた上で始めたのです。
今度、三百六十万双もできると信じ、その上で命令したのです。そのようにして先生が発表すれば、できるようになっているのです。それができなくなりそうならば、霊界から王に命令して、一気に片づけることができるのです。そのようなことも、天はできるというのです。今度も、宗教圏の宗主を動員して、そのみ業をなしたのです。
先生に罪があれば、イスラエル民族とユダヤ教がイエスを殺したのと同様に、殺すのです。先生には罪がありませんが、統一教会の皆さんが誤ることによって、興進を送り、今、長女長男が全部引っかかっているのです。これを、どのように処理するかというのです。国があれば、息子も何も、みなはき捨てます。
この哀れな者たちが残っているので、このようなすべてのことを許してあげ、これをみな収拾しようとするのです。なぜでしょうか。三十六万双の中には、ありとあらゆる者がいるから、サタンが讒訴できないのです。
天の国の法
先生のお兄さんの名を「大 兄 」とつけました、先生のお母さんは「忠母」とつけました。こうして、お母さんとカイン・アベルが、先生を中心として一つになるのです。誰が中心でしょうか。先生です。カイン・アベルが一つになったその上に、お母さんを立てることができるのです。こうして、今度、祝福を一緒にしてあげたのです。兄さんの立場は、アダム家庭の立場になるのです。
その次に、大母様は、お母さんの側です。新婦側、エバ圏です。キリスト教文化圏がお母さんになれず、カイン・アベルになれませんでした。それで、大母様を中心として、そのようになるのです。
三大女性を代表した、お母さんの位置を受け継いだのが、お母様です。お母様はこの地上で、共産党と民主世界、カイン・アベルを抱かなければなりません。それをお母様自身はできません。先生がみなやってあげてから、するのです。お母様は今まで、私の影と同じです。一九九二年までそのようにして、初めて、エバが責任を果たせなかったものを解放してあげることによって、女性解放運動が生まれるのです。三年圏内にこれをして、国を取り戻していかなければならないのです。
国を取り戻す時代になってきたので、結婚式をしたのです。サタン圏内に、三十六万家庭を探し立てて帰ってくることによって、サタンは崩れるのです。この世の家庭は、完全に吹っ飛んでいくようになっています。このようなことが起こることによって、今からは大きな主流の流れになって、文総裁の家庭理想は、人類を解放し、平和の世界に向かう近道だということを、全部分かるようになっているのです。
近所に行って、お母さんとお父さんの所に行って、屈伏させる時が来たのです。父母圏復帰です。長子権復帰時代、父母圏復帰時代、王権出発時代が来たので、全権時代が来るので、祝福を受けた家庭は、氏族的メシヤ、イエスの使命を完成する時代なので、アダム家庭として百六十家庭をつくれと言いました。これをするのに、七十日もかかりません。「統一教会の何が誤ったか 私の何が誤ったか 祝福家庭の何が誤ったか」と言いながら、一問一答するのです。理論的に詰め寄れば、完全に片づけられるのです。
今後、法が公布されれば、すぐ処分するのです。大移動が起こります。韓国の地に、先生が定着して暮らすその国には、第二次的に堕落した人は、足を踏み入れることはできません。大移動が起こります。その一族が移動するのです。そうなれば、そこに行って、地獄生活をするというのです。どれほど讒訴されるでしょうか。
これは、過ぎてゆく言葉ではありません。先生は言うとおり、すべてやるのです。分かりましたか。
過去の恥ずかしいすべてのことを、衝撃的な悔い改めの基盤を中心として、抜け出なければなりません。ですから、四十日(四十四日)以後に、また四十日聖別期間を経て会わなければなりません。
それから、皆さんは、家庭生活を今まで勝手にしましたが、今からは、すべての統一教会の祝福を受けた家庭の前に、三倍の努力をしなければなりません。後ろを向けば、一番びりの家庭が先頭になるのです。それゆえ、後ろについてくる人より、三倍以上努力しなければならないのです。このような決心をし、立ち直ってこそ、天の前に顔を上げられるのです。
その時、国ができれば、皆さんが三十六家庭なら、三十六家庭に再び入るかもしれません。しかし、今は見込みがありません。それは先生にかかっています。だめなのです。これを許すようになれば、問題が生じるのです。許してあげることにおいて、自分が祝福を受けた、その隊列に入ることはできないのです。
イエス様が天国に入ることができずに、楽園に行って待つのと同じです。国が建って、二世たちが誤ったことが許される時、あなたたちも入るのです。二世が誤ったのはあなたたちがきちんと育てなかったからです。そのように生んで育てたからです。
二世たちが許しを受けることができる時、すべての家庭が「その人を私たちの隊列に入れてください」と言って、痛哭しながら懇請し得る立場に立たなくては、だめだというのです。そのためには、三倍以上の努力をしなくては、その立場に至れないのです。分かりましたか。
あなたたちが行くべき道を、はっきりと教えてあげるのです。これが、天の国の法です。憲法なのです。それをはっきり知って処理しなさい。分かりましたか。
天国が近づいている
先生はきょう、八時にアメリカに行くのです。本来は、南米全体の前に、真の父母を宣布するのです。大統領たちと、その国の中枢人物たちに宣布するのです。
四十年前に、国の頂上で真の父母を宣布したならば、その時、すべてなされたのです。第二次四十年路程の初めにおいて、アベル世界はすでに私にぶら下がっているので、カイン世界に宣布するようになる時、カインとアベルが一つになることができるのです。南北アメリカ、新教旧教が、一つになり得る門が開くのです。
新教は私を殺そうと、一番下の下水のたまりに入れ、全部破壊しましたが、これを再び取り戻し、統一教会を中心として、キリスト教を代身して隊列を備えて蕩減路程を行き、個人から家庭、氏族、民族、世界版図まで、すべてなしたというのです。
今度、頂上会議に参席した人たちが、その国のカイン圏です。ご父母様の前に、カイン的な立場にあるのです。この人たちを中心として、自分の国の大統領を動かして、先生を国賓以上に歓迎して、招請するのです。十六か国以上になるでしょう。そこに行って、「あなたの国の国民の、三分の一以上、祝福の隊列に入れるか、入れないか」という、そのような許諾を受け、訪問するのです。
三百六十万双が問題ですか、問題ではないですか。そうなれば、みな終わるのです。嫁にいこうとすれば、統一教会に来て、いきなさいというのです。統一教会には、嫁にいくに値する女性がおり、婿に行くに値する男性がいるのです。この世にはいません。
家庭も、何も、すべて失ってしまいました。サタンによって家庭を失って出発した、すべての人類の終末は、家庭を失い、氏族を失ってしまいました。民族も、国家もなく、世界もありません。
しかし、統一教会は、家庭があり、氏族を編成し、氏族があるでしょう。民族を編成するでしょう。国家を編成し、すべてするのです。一時に、家庭を越えるのです。第二次四十年路程は、四年以内にすべてできるのです。国さえ編成すればいいのです。
ですから、天国がいかに近くまで来たか、ということを知らなければなりません。その時は、憲法を中心として、家庭を治めることのできる基盤をすべてつくり、先生が今まで四十年話したすべてのことを中心として、一大清算作業をしなければならないのです。
その時、みな許しを受けるのです。先生がすべてなしておいたので、先生を本当に死ぬ場で愛し、生きる場で愛してきたならば、愛する人の所有は自分のものなのです。愛する場では、所有権が決定されるのです。ご父母様を誰よりも愛したので、ご父母様の全体の相続権に同参して、共通的な権限の立場に入り、解放された真の父母によって先祖が新しくなるのです。そうなれば、すべて終わるのです。このように複雑です。
先生が原理を知らず、このような処理方法を知らなかったならば、すでにだいぶ前に潰れていたことでしょう。サタンを考えてみなさい。今まで何千万年、神様を嘲弄してきたのです。老練なおじいさんです。あなたたちは何でもありません。
一代で神様を感動させ、サタンを滅ぼさなければならないのです。霊界の統一圏をもたなければ、地上を統一できません。霊界を統一しなければならないのです。釈迦、孔子を問わず、道主を全部従うようにしてこそ、地上の統一が可能なのです。
そのような人がどこにいますか。そうするためには、このすべての未知の事実を、理論的にすべて備えなければならないのです。そのような驚くべき場に入ってきたことを知り、今までは至らずに後悔しましたが、今は知ったので、二度とそのようなことが絶対あってはなりません。
「私の生きている間は、息子・娘がそのようなことをする痕跡は、夢にも見ない。もし、そうなるときは、きれいに整理し、私の後代には、天に心配を残す人を見ず、それがあれば整備して逝こう」という決心をしなければなりません。そのような決心を先生の前にしますか、しませんか (「します」)。さあ、では終わりましょう。
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