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肩、腰、股関節、膝のトラブル――。年をかさねれば誰にでも起こりがちな不調ですが、じつはうつ病や認知症にもつながりかねない重大な問題です。老いの入り口で遭遇する「心の危機」を乗り越える意外な方法とは? 運動器ケアしまだ病院(大阪府羽曳野市)の公認心理師・臨床心理士、渡辺晋吾さんに聞きました。
骨、関節、脊髄(せきずい)、神経――運動器の不調で失う「自分らしさ」
――階段から落ちたり、庭で転んだりしたために、寝たきり状態になってしまった、という話をよく聞きます。
整形外科を受診される高齢者の方にお話を伺うと、みなさん、けがをしたことで精神的なダメージを抱えているようです。思うように身体が動かないもどかしさ、人に助けてもらわなければならない情けなさに直面し、先行きの生活にも不安を抱いている方がよくおられます。
「もう自分は老人なんだ」「人に迷惑をかけてしまっているんだ」などと落ち込むうちに、うつ病を発症したり、心身ともに衰えて軽度認知障害(MCI)になったりする例はめずらしくありません。最終的に認知症に至る場合もあります。
きっかけは転倒だけではありません。変形性膝関節症、変形性股関節症、腰部脊柱管狭さく症など、慢性疾患が悪化してしまった場合も同様です。
――年を取れば、誰もがかかる可能性のある疾患ばかりですね。
たしかに運動器の病気やけがは、がんなどの病気に比べたら「ありふれた不調」かもしれません。けれども、本人にとっては心の危機をともなう大きな試練になりえます。
アメリカの精神科医、ロバート・バトラーは「大きな病気やけがをしたとき、人は自我同一性の危機に遭遇する」と警鐘を鳴らしました。自我同一性とはアイデンティティーのこと。簡単に言うと「自分らしさ」です。
何気なくこなしていた日課、仕事や家事、近所の友達との雑談、習い事にスポーツ――。身体の自由がきかなくなると、「自分らしさ」を構成していたさまざまな要素が生活から奪われてしまいます。
もう1人暮らしは無理だからと、施設への入居や、子どもとの同居を決意する人もいるでしょう。転居そのものが悪いわけではありませんが、住み慣れた我が家を離れた後、大きな喪失感に襲われるケースは多いのです。家はアイデンティティーと結びつく大切な場所ですから。
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最大の薬は「語る」こと
――アイデンティティーの危機を切り抜けるには、どうすればいいのでしょうか。
自分が経験しているつらさや、抱いている思いを誰かに語ることをお勧めします。今の高齢者世代には、「弱音を吐いてはいけない」と自らに言い聞かせ、生きてこられた方が多いと思います。しかし、喪失感から回復を図るためには、語りが非常に重要なんですね。
1980年代、精神医学者で医療人類学者でもあるアーサー・クラインマンは、医師が診断する「疾患(disease)」と、患者さんが経験する「病(illness)」は区別すべきだ、と唱えました。
ちょっとややこしいのですが、「疾患」が生物医学的な機能不全であるのに対し、「病」はあくまでその人の主観的な経験を指します。クラインマンは患者さんの「病の語り」に耳を傾けることで、治療効果や予後は改善できる、と考えました。
クラインマンの影響もあり、病にまつわる経験や思いを患者さんに自由に語ってもらう心理療法「ナラティブセラピー」は現在も注目を集めています。
「人に迷惑をかけたくない」「弱っている自分を見られたくない」などと思うこともあるでしょう。それは自然なことです。
それでも、心の内にある声を言葉にしてほしいのです。苦しさや痛み、生活のしづらさ、不安はもちろん、一見、抱えている病気やけがと関係なさそうな日々の悩みなど、なんでもかまいません。
――語ることが何よりの薬になるんですね。
その通りです。同じ内容の繰り返しであってもいい。自分の思いを語り、それを親身に聴いてくれる人がいる。それだけで、だんだん心の中のモヤモヤが整理されていくはずです。
実際、私も臨床の現場でよく経験するのですが、最初は「膝が痛い」「以前のように動けない」と訴えていた人も、「そうなんですね、おつらいですね」と共感をもって聴いていると、「とはいえ、ちょっとずつ歩けるようにはなってきたしね」「寝たきりの人よりは自分の方が恵まれている。ありがたいね」と語る内容が変わってくるんですね。
――痛みや不具合の程度は変わらなかったとしても、とらえ方が変わるんですね。
そう。逆に人に言わないと、同じことを頭の中でぐるぐる考え続けてしまい、いつまでもネガティブなとらえ方のままになってしまいます。
――どんな人に語ればいいのでしょうか。
信頼できる人であれば専門家でなくともよいと思います。同じような悩みを抱えている人なら、経験談や助言をもらえるし、心強いでしょう。また長話はできなくても、ちょっとした愚痴を聞いてくれる相手は、身近なコミュニティーやかかりつけの病院などにもいそうです。
エコマップで味方を探す
――身体がしんどいときは視野が狭くなり、「親身になってくれる人なんかいない」と内向き志向になりがちです。
そんな時にお勧めしたいのが「エコマップ」の作成です。エコマップとは、要介護者・要支援者の家族関係や人間関係、生活環境を図式化したもので、本来、医療や介護関係者、ソーシャルワーカーなどがクライエント(当事者)の状況を把握するための図ですが、自分で描くのもありだと思います。
自分を中心に置き、娘、近所の友人、同級生、コーラスグループ、スポーツジム、行きつけのお店、リハビリテーションセンターなど、周りに家族や関わりのある人、趣味のグループなどのコミュニティー、通っている医療機関などを書いていきましょう。
近くに住む人や、近隣のコミュニティー、施設であれば四角で囲み、「少し距離があるな」と感じる場合は丸で囲むなどします。それぞれ、自分との間に線を引くのですが、強い絆は太い線、弱い絆は点線で結びます。矢印の向きで関心の向きを示します。
――自分は一人で生きているわけではないんだな、ということが視覚的にわかりますね。
そう。エコマップを描いてみると、自分がどのような社会的環境で生活し、誰に支えられているかが見えてきます。「意外とサポーターに恵まれているんだな」などと気づきもあるのではないでしょうか。
もう一つ、エコマップで再確認できるのは距離感です。「娘はいるけれど、遠くに住んでいる」ということであれば、そう頼りにできないかもしれない。それより、互いの家を頻繁に行き来している近所の友人がいれば、相談相手になってくれる可能性は高いですよね。
病気やけがは「よき老い」「よき死」を迎えるためのチャンス
公認心理師・臨床心理士の渡辺晋吾さん
――病気やけがって、ちょっと異質な体験といいますか……。以前より無力になった分、素の自分が見えてくる気がします。
たしかに、運動器の不調から心の奥に隠れていた問題が表面化することはめずらしくありません。たとえばパートナーの死後、元気に1人暮らししてきたはずなのに、故人を思い出しては悲しみに暮れるようになってしまった――といった例もあります。「健康な自己像」が打ち砕かれたことで、封印したはずの喪失感、やりすごしていた孤独感が出てきてしまうんですね。
その意味で、病気やけがは人生をよりよいものにするチャンスでもあるんですよ。意外な喪失感が湧いてくるかもしれないけれど、一つ一つと対峙(たいじ)していく。つらいことだけれど、自分らしく老いるために必要な作業なんですね。
――喪失感を封印したまま見ないふりを続けていたら、死ぬときに悔いが残ってしまうかもしれませんね。
高齢期は「喪失の時代」と呼ばれます。ドイツの心理学者、ポール・バルデスは、年齢とともに失うものが増え、あらたに獲得するものが減っていく「獲得・喪失モデル」を示しました。しかし、同時にバルテスは「それでも人は何歳になっても発達できる」と述べ、「生涯発達理論」を提唱しています。
喪失を受け入れ、乗り越えていく――これは見方を変えると喪失への適応力という「獲得」であり、高齢期こそ高められる力です。おそらくその先に自分らしい老いがあり、自分らしい死があるのではないでしょうか。
運動器の問題に悩む方の多くは、死のずっと手前、まさに老いを感じ始めた段階におられます。喪失感とともに生きる練習を積みながら、自分らしくすてきに年を重ねていけたらいいですね。
わたなべ・しんご 医療法人はぁとふる 運動器ケア しまだ病院診療支援部心理チームマネジャー。2008年、徳島文理大学大学院人間生活学研究科心理学専攻修士課程修了。公認心理師・臨床心理士。専門は老年臨床心理学。論文は「整形外科における高齢者臨床」(日本老年臨床心理学会誌)など。
特記のない写真はゲッティ
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西川敦子
フリーライター
にしかわ・あつこ 1967年生まれ。鎌倉市出身。上智大学外国語学部卒業。編集プロダクションなどを経て、2001年から執筆活動。雑誌、ウエブ媒体などで、働き方や人事・組織の問題、経営学などをテーマに取材を続ける。著書に「ワーキングうつ」「みんなでひとり暮らし 大人のためのシェアハウス案内」(ダイヤモンド社)など。