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意外や意外!排尿障害の改善には、全身運動がおすすめ!
女性泌尿器科を専門としている僕のところには、多くの頻尿や尿失禁の方が相談にこられます。出産のときに、骨盤の中の筋肉に傷がついて、それが60代になって内臓をささえきれなくなっておきる「骨盤臓器脱」や、尿道のまわりの筋肉がとくにゆるくなってしまったために尿がもれるようになった「腹圧性尿失禁」、ほかにも、さまざまな排尿にかかわる症状があります。
それらの方の多くに共通する課題は、体重を骨盤の筋肉で支えきれていないということです。これを骨盤の中だけの病気と思いがちですが、意外や意外。全身の病気として考えるだけで、かなり症状を改善することができます。要は体重をしっかりコアマッスル(体の中心部にある筋肉)で受け止めること。これができると、弱くなった骨盤の筋肉だけで支える必要がなくなるため、排尿障害がよくなるのです。
そして、コアマッスルだけでなくアウター(体表)の筋肉、そして心臓までも鍛えられるのが、早歩きです。手軽でおすすめの運動として、多くの患者さんに、まず最初にお願いをしています。早歩きは、手軽で、効果的で、けがもしない、安全な方法です。そんなわけで、連載第1回の今回は早歩きをテーマにとりあげてみます。
早歩きは、死亡リスクを軽減させる
早歩きに関する有名なデータとしては、2014年のアメリカ心臓病学会からのリポートがあります。エアロビクスセンターで研究に参加した5万5000人以上の成人(平均年齢44歳)における早歩きと死亡リスクについて検討しました。全く運動をしていない人の心臓病による死亡リスクを1.0とすると、毎週13~19kmずつ早歩きをする人の心臓病による死亡リスクは、0.5前後。なんと半分になってしまうのです。これは、早歩きの時間にすると毎週81~119分。つまり、1週間に5日間運動するとしたら、1日にわずか16~26分。かなり手軽ですね。全死亡リスクは、全く運動していない人が0.8に対して、この範囲の運動をする人は、0.5前後。やはりよい結果になります。
たくさん歩けばいいものでも…
ところが、この運動はたくさんすればよいというものではありません。1週間に30km以上、176分以上の運動をしている人は、心臓病による死亡リスクが0.7前後、総死亡リスクも0.6前後と上昇してしまいます。僕はこのリスクの上昇は性ホルモンに関連があるのではないかと考えて研究しています。僕の出したデータでは、もっとたくさんの運動量である1カ月あたり200km以上のランニングをすると、性ホルモンが激しく低下してしまいます。これは、とても危険なことです。性ホルモンの低下と、健康寿命が損なわれることとの深い関係性は多数報告されているからです。まず、健康になる目的で運動をはじめるなら、1日15分早歩きからが最適ですね。
お部屋早歩きでも効果あり!
早歩きは、屋外に出ていかずともいいのです。僕が勧めているのは「お部屋で早歩き」。自宅の廊下などでいいので、合計5kmほどの往復をできる場所をつくります。「そんな長い廊下はない!」と言わず、何度も往復すればいいのです。そんなお部屋の中で早歩きをすると、危なくありませんね。このお部屋早歩きを往診先でお願いしたところ、転倒が減り、やがて外で早歩きができるようになった高齢の女性がいました。彼女が、往診ではなく、僕の外来を受診しに来ることができるようになった時は、それはうれしかったことを覚えています。
「お部屋早歩き」は、最初は2~3分から始めます。15分も継続してできるようになると、汗がでてきます。つい最近まで、心臓の悪い人には運動はよくないと思い込まれてきました。しかし、いまの医療は大転換。心筋梗塞(こうそく)や脳梗塞をした人こそ、運動を勧める時代です。お部屋ランニングでちょっとだけ心臓に負担をかけてみましょう。
心臓の負担は、最初は最大心拍数の40%ぐらいの強さで行います。これには、腕時計型心拍計というものが現在は購入できるので、手軽に測定できます。40%は疲れを感じない程度のものです。やがて60%ぐらいにまで心臓に負担をかけることができると、かなり健康にもどってきます。これは、ちょっと疲れたかなという程度のものです。
運動強度の上げ方は、過去4週間の10%増しが理想
運動の強度の上げ方については、しばしば質問をうけます。いままで1週間で10kmしか早歩きをしていない人が、いきなり30km歩いたら、体が適応しきれずけがをしました。先生どうしよう?という具合です。
これについては、エリート選手について調べた研究でデータが出ています。オーストラリア国立スポーツ研究所とキャンベラ大学の研究者が考案した「けがをしない運動強度」の目安です。2016年、英国の学術誌「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・スポーツ・メディシン」に発表されました。
それは「今週の走行距離:過去4週間の走行距離」という比率(以下AC率=acute:chronic load ratioと略す)を基準としました。研究では、オーストラリアのプロラグビーチーム(セントジョージ・イラワラドラゴンズ)の選手を2シーズン観察したところ、AC率が1.6を超える選手の場合、つまり過去4週間の走行距離の60%を超える走行距離をその週に走ってしまう場合、けがのリスクが3.4~5.8倍にまで増加してしまいました。研究者たちは、AC率1.5以上はけがを起こしやすい危険領域だと言っています。
これはスポーツエリートだけに言えることではなく、AC率1.5をこえる運動の急増は、大変よくありません。僕は、みなさんを指導するときは、過去4週間の「平均の10%増し」程度にしてくださいとアドバイスをしています。
ホルモンの分泌量アップにも
早歩きをすると、さまざまなホルモンが分泌されて体によいことが起きます。まずは、性ホルモン。性分化や生殖機能にかかわるホルモンですが、実は骨、筋肉、血管、神経などの機能維持に深くかかわっており、人体の中でも重要な役割を果たすホルモンです。これが増えれば、骨盤の筋肉は発達し、尿失禁や頻尿が改善します。13年のシンガポールの研究者の論文では、90人の肥満男性が中程度の運動をするだけで、男性ホルモンであるテストステロンの分泌が向上しました。
ほかに、セロトニンというホルモンの分泌もよくなります。セロトニンは、腸に90%、血液に8%、脳に2%分泌しています。腸では、消化を助ける腸の蠕動(ぜんどう)運動を促し、血液では血液をとめる血小板を助けて血管の収縮作用や止血作用の役割の一部を担います。脳の中では、体内時計の調節や覚醒状態の維持をします。つまりセロトニンが十分あるということは、おなかの調子もいいし、血管もつよいし、頭がしっかりしているということです。
ドーパミンも分泌されます。やる気や集中力を担うホルモンですが、“楽しさ”を感じるだけでも分泌が上昇して、さらに楽しさが増すのです。お気に入りの服をきて、友達と一緒に、早歩きすると、効果てきめんです。
頻尿、尿失禁の治療からはじまった今回の話。早歩きの効果から運動強度、そして、ホルモンに話題がひろがり、元に戻ってそのホルモンがまた頻尿の改善に役立つ。面白いですね。
奥井識仁
よこすか女性泌尿器科・泌尿器科クリニック院長
おくい・ひさひと 1999年東京大学大学院修了(医学博士)後、渡米し、ハーバード大学ブリガム&ウイメンズ病院にて、女性泌尿器科の手術を習得する。女性泌尿器科とは、英語でUrogynecology。“Uro”は泌尿器科、“Gynecology”は婦人科を意味し、“Urogynecology”で、両科の中間にあたる部門という意味がある。都内の複数の大学病院から専門領域の診療に関する相談を受けながら、「よこすか女性泌尿器科・泌尿器科クリニック」を運営し、年間約800件の日帰り手術を行っている。水泳、マラソン、トライアスロンなどのスポーツ、音楽(サックス演奏)が趣味で、さまざまなスポーツ大会にドクターとして参加している。著書に「人生を変える15分早歩き」「ドクター奥井と走るランニングのススメ」(いずれもベースボールマガジン社)など。