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「男性は単純だけど女性は複雑だから」
日常会話で幾度となく聞いてきたフレーズです。性に関しても同様で、「複雑」を理由に女性の性器の構造や性的快楽はまともに語られてこなかった面があると思います。しかし、本当に女性は複雑怪奇で分かりにくいものなのでしょうか? 産婦人科医として、セックス・カウンセラーとして、多くのカップルの問題に直面した経験から、誤った性の刷り込みをひもとき、科学的に正しい知識を伝える必要性を感じてきました。まずは、誤解の多い女性のオルガズム(性的絶頂感)から。
性交痛や未完成婚、セックスレスをきっかけに
「昨日から生理でもないのに出血していて、心配で原因をAI(人工知能)に聞いたら、『がん』とか怖いことが出てきて、慌てて受診しました」
=ゲッティ
先ほど診察した20代女性の第一声です。彼女は私が説明している間も、スマートフォンで生成AIに私の言葉を入力して確認をしていました。時代だなと思う半面、生の人間同士のやりとりが減り、既存のデジタル空間にある知識の中からAIが統計的に導き出した「もっともらしい」文章を真理だと思っている人が増えていることに、私自身は言語化しがたい焦燥感のようなものを感じています。ちなみに私の10代後半の息子も、親や友人ではなくAIに相談することが多いようです。
ここで簡単に自己紹介を。私は、札幌で約4年前から婦人科クリニックを開業している50代の産婦人科医です。少しユニークな肩書として、日本性科学会が認定するセックス・カウンセラーという資格を持っています。前職の総合病院では体外受精などの不妊治療に携わっていましたが、そんな中で、性交痛や未完成婚(結婚してから一定期間が過ぎ、望んでいるにもかかわらず挿入を伴う性行為ができない状態が続いていること)、セックスレスなどが原因で妊娠に至れないカップルに出会ったことが性科学の分野を学ぶきっかけとなりました。
昨年には、日本性科学会のセックス・カウンセリング研修会で「女性に向けた性教育―クリトリスの解剖とオルガズムを中心に―」というテーマで30分弱の講義をしています。
この「毎日メディカル」でも今年、性教育研究者・村瀬幸浩氏の講演内容をまとめた記事が掲載され、女性のオルガズムが取り上げられています。それゆえ本サイトで、このテーマを私が改めて伝える意義は何だろうと考えました。なかなか書き出せなかった原因はここにあるのですが、やはり世の中の誤った常識を変えるためには「何度も繰り返して」「いろいろな媒体で」「立場の異なる人から」発する必要があると考え直し、思い切って筆を執った次第です。
なぜ女性はオルガズムに達しにくいのか?
ところで、前述したセックス・カウンセリング研修会では、全国の専門家の前で女性のオルガズムと陰核(クリトリス)の解剖の掘り下げを行ったところ、会場が不気味に静まり返りました。「何を今さら」という沈黙だったのか、これまでの常識が覆されたショックによるものだったか、私には分かりません。しかし、私がこの講義の準備で精読した「PRINCIPLES AND PRACTICE OF SEX THERAPY」 第6版の第5章「Orgasm Problems in Women(女性のオルガズム障害)」を最初に読んだ時のショックは受講者に伝わったのではないかと思います。
=ゲッティ
米国の心理学者でセックスセラピストのローリー・ミンツは、その章の中で、異性愛関係において男性の方が女性よりもオルガズムを得る頻度が高いという「オルガズム・ギャップ」に焦点を当てました。なぜ、女性は異性間性交でオルガズムに達しにくいのでしょうか? これは、女性のオルガズムが男性より「複雑」だからではなく、異性愛性交における文化的価値観に問題があるためとされています。
女性は他の女性と性交する場合の方が男性と性交するよりもオルガズムに達しやすく、また、マスターベーションをする女性のほとんどがオルガズムに達しています。なぜかと言えば、これらの場合、外陰部(特にクリトリス)への刺激が中心となるからです。
「男性が与えるもの」という誤解
一方、男性との性交ではペニスによる腟(ちつ)内性交が中心となり、女性の外陰部への刺激が軽視されがちです。異性愛性交は「(挿入の準備としての)前戯→挿入→男性の射精(セックスの終了)」という文化的スクリプトで行われ、女性のオルガズムは「男性が与えるもの」とされ、長時間の挿入と激しい動きで達成されるべきだという誤った認識があります。多くの女性と男性は「挿入=オルガズムの方法」と信じており、そのため「挿入時にオルガズムに達しない」ことに悩んでカップルがセラピーを受けるケースが多いとも述べています。
ミンツは2019年4月に行われた米フロリダ大での講演「TEDxUF」で、異性間カップルのカウンセリングにおいて、若い女性が男性パートナーとの性交でオルガズムを感じることができず「私の腟は壊れていると思う」とこぼしたことに触れています。しかし、ミンツは彼女の腟ではなく「文化が壊れている」と続けます。男性の性的快感の方が重要視され、女性の性的快感は軽視されてきた文化自体が問題なのだと。
女性のオルガズムに重要な部位であるクリトリスは、外から見える部分の陰核亀頭、陰核体部と、外からは見えず恥骨の内側に伸びる陰核脚、陰核球(前庭球)からなります。陰核亀頭は発生学的に男性の亀頭と一致し、陰核球は男性の陰茎海綿体と同様に性行為中に膨張し、腟の硬度を高め、潤滑油を生成すると考えられています。腟刺激によるオルガズムも実際はクリトリスの内部構造の関与が認められています。
女性の性反応も、男性の勃起と同様に、クリトリスの勃起組織の毛細血管に性的興奮で血液が流入・滞留して緊張が高まり、頂点に達するとオルガズムとなり、強くリズミカルな骨盤底筋の収縮が起こり、たまった血液が排出されるという、男性の性反応と同様の現象が起きます。
「外イキ」より「中イキ」が成熟の証?
世界的に「腟刺激によるオルガズムが優れている」という神話が時代遅れになったのは、ISSM(国際性医学会)が13年に発表した「女性オルガズム障害の標準作業手順」からです。
しかし現在でも、世間の多くの人々が「腟刺激(腟の前壁にあるGスポットや、子宮頸部<けいぶ>を含む)」によるオルガズム、いわゆる「中イキ」の方が、「クリトリス刺激」によるオルガズム、いわゆる「外イキ」よりも成熟しているという、ジークムント・フロイトが提唱した神話を信じています。腟刺激によってオルガズムに達することができず、自分は「未熟」だと劣等感を覚え、悩んでいる女性も多くいます。我々、性科学の専門家は、そのような女性に「腟刺激」のみでオルガズムを得られなくてもそれは珍しいことではないことを、そして、女性の未熟を示すものではないことを、しっかりと伝えていける知識が必要です。
=ゲッティ
実は、この原稿を書きながらチャットGPTに、女性のオルガズムと無オルガズム症、またオルガズムの歴史的背景について尋ねたところ、私が昨年1カ月近く悩んで作成した講義スライドの内容と同じような回答が即座に返ってきました。その言を借りると「オルガズムに関与する刺激として、現在の研究では、多くの女性の間でクリトリスへの刺激が最も重要だと考えられている」とのこと。チャットGPTは旧来の神話を正してくれたことになります。
しかし、そもそも「腟刺激によるオルガズム」の方が優れているという神話を覆した科学的根拠は、「ヒト」が疑問を抱き「ヒト」を観察・調査し「ヒト」によって記述・発表された数多くの研究が基になっています。その意味でも、まだ記述されていない人知のフロンティア、AIが学習した膨大なデータには含まれていない領域の外側の世界を、若い世代にも面白がってほしいと思っています。
<参考文献>
・Laurie Mintz:A new sexual revolution for orgasm equality |TED Talks.
・Laan E,Rellini AH,Barnes T;International Society for Sexual Medicine.Standard operating procedures for female orgasmic disorder:consensus of the International Society for Sexual Medicine.J Sex Med. 2013 Jan;10(1):74-82.