巨大な秘密の門を開ける鍵
自叙伝 P.73
京城商工実務学校に通っていた、その頃、ソウル市内を電車が走っていました。電車賃は5銭でしたが、それさえもったいなくて、いつも歩いて行きました。蒸し暑い夏の日は汗をたらたら流して歩き、極寒ごっかんの冷たい冬は肉を抉えぐるような風をくぐり抜ぬけるようにして歩きました。浮いた電車賃は貯めておいて、私以上にお金に困った人に分け与えました。出すのが恥ずかしいくらいの微々たる金額だとしても、大金を出せなくて申し訳ないという気持ちで、そのお金が福の種になるようにと思って渡しました。
4月には故郷からきちんと学費を送ってきましたが、生活が苦しい周囲の人たちを見過みすごしにできず、5月になる前に全部なくなりました。学校に行く途中、息も絶え絶えの人に出くわしたことがあります。かわいそうに思うと足が止まってしまい、その人を背負って2キロほど離れた病院に向かって走り出しました。運良く財布に入っていた学費の残りで治療費を払うと、あとはもうすっからかんです。今度は自分の学費が払えなくなり、学校から督促とくそくを受けることになりました。それを見て、友人がお金を1銭、2銭と集めてくれました。その時の友人は生涯忘れられません。
助け合うこともまた、天が結んでくれる因縁です。その時はよく分からなくても、後で振り返ってみて、「ああ、それで私をその場に送られたのか」と悟るようになりました。ですから、突然私の前に助けを乞う人が現れたら、「天がこの人を助けるようにと私に送られたのだ」と考えて、心を込めて仕えます。天が「10を助けなさい」と言うのに、5しか助けないのでは駄目です。「10を与えよ」と言われたら、100を与えるのが正しいのです。人を助けるときは惜しみなく、財布をはたいてでも助けるという姿勢が大切です。
陰徳を受けたときは、必ず、もっと大きくして返すのが人の道です。しかし、その人に直接会えないこともあるでしょう。恩恵を施してくれた人に直接会えなかったとしても、大事なのはその人を思う心です。ですから、その人に会えなくても、受けた恵みを今度は他の人に施そうという一途な心で生きるのがよいのです。
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今日の訓読会 - 980 - 巨大な秘密の門を開ける鍵
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