医療過誤があった日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院=名古屋市昭和区で2024年6月17日午後1時37分、真貝恒平撮影
日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院(以下「名古屋第二日赤病院」)は6月17日、2023年5月に同院を受診した当時16歳の男子高校生が医療過誤で死亡し、その原因を「SMA症候群を見落とした」と発表しました。このニュースは各メディアが報道しました。毎日新聞には遺族の「研修医の勝手な判断・誤診がなければこのような結果になっていなかった(後略)」というコメントが引用されています。報道をそのまま読めば、「研修医が重要な疾患を見落としてそれが16歳男児を死亡に至らしめた」と解釈できます。ですが、医師からみれば、この報道には大きな違和感があります。同院がウェブサイトに公表した「SMA 症候群を適切に治療できなかったことにより死亡に至らせた事例について」を読めば、男児が死亡に至ったのは研修医の誤診ではなく、入院後のケアの問題が原因と強く疑われます。本来なら現場を見ていない一開業医の私が書くべきではありませんが、どうしても疑念が払拭(ふっしょく)できないので私見を述べたいと思います。
2年目の2人の研修医が「誤診」と報告
まずは報道から事件を経時的に振り返ってみましょう。
23年5月28日(日)早朝:当時16歳の男子が腹痛や嘔吐(おうと)、下痢などで名古屋第二日赤病院の救急外来を受診。診察した2年目の研修医はコンピューター断層撮影装置(CT)で胃の拡張を認めたが、脱水の進行を示す異常値を認識せず、急性胃腸炎と“誤診”し帰宅させた
同日昼:症状が改善しないため再来院したが、別の2年目の研修医が「新たな症状はない」と判断し、翌日に近くの医療機関を受診するよう指示した上で帰宅させた
5月29日(月):(研修医の指示どおり)男子は近くの医療機関を受診し、緊急処置が必要と判断され、名古屋第二日赤病院の消化器外科に紹介され受診した。消化器外科の担当医はSMA症候群を疑い、腸閉塞(へいそく)の治療が必要と考え、(緊急手術は不要と判断し)同院の消化器内科に紹介して入院することになった
もしも研修医の誤診で死亡したというのなら、「消化器内科に紹介受診した時点では手遅れで前日に入院させなかったことに重大な過失がある」と考えなければなりません。では、研修医が帰宅させたことは、本当に重大な過失なのでしょうか。それを明らかにするには、これまでに登場した二つの病名「SMA症候群」「腸閉塞」を理解する必要があります。
SMA症候群とはどんな疾患か
SMA症候群の正式名は上腸間膜動脈症候群です。上腸間膜動脈とは腹部大動脈(腹部を縦に走る太い動脈)の前方から分岐した比較的太い動脈です。解剖学的には、腹部大動脈と上腸間膜動脈の間に十二指腸の横になった部分が挟まれています。そして、これら二つの動脈に挟まれた幅が小さすぎると十二指腸が圧迫されて通過障害が起こり、嘔気、嘔吐、腹痛などが起こります。これがSMA症候群が起こるメカニズムです。
極端にやせると十二指腸の周りをクッションのように取り囲んでいる脂肪が減少し、二つの動脈に押しつぶされて閉塞(へいそく)する
私の経験上、この疾患を持つほとんどは極端にやせた若い女性です。極端にやせていると十二指腸をクッションのように包んでいる脂肪が少なくなり二つの動脈の隙間(すきま)が狭くなるのです。十二指腸で通過障害が生じるわけですから食事をすると胃が張って苦しくなります。しかし嘔吐すれば楽になります。嘔吐を繰り返すために拒食症と誤診されることもあります。
SMA症候群という病名を知っている人がいるとすればかなりの医療マニアといえるでしょう。医師の間でも、消化器を専門とする医師や総合診療科医以外にはあまりなじみがありません。それどころか、一般内科では「診断がつかない腹痛」と判断され、総合診療科に紹介受診となるケースがしばしばある比較的まれな疾患です。
医療過誤を認め、遺族に謝罪する佐藤公治院長(右端)ら日赤名古屋第二病院の関係者=名古屋市昭和区で2024年6月17日午後3時23分、真貝恒平撮影一般外来とは異なる救急外来の医師の役割
ところで、救急外来を担う医師と一般外来の医師では「求められていること」が異なります。一般の外来では正確な診断をつけて適切な治療を検討することが求められます。それに対し、救急外来で最優先されるのは「緊急性」です。緊急性があれば、すなわち、緊急手術や緊急処置、あるいは緊急入院が必要ならば帰宅させてはいけません。ですが、少なくとも一晩は自宅で様子をみられる事例であれば、翌日の受診を指示して帰宅を促します。本事例でも研修医はそのようにしています。
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私が報道を読んで違和感を覚えたのはこの点にあります。SMA症候群は一般内科で診断がつかず総合診療科に紹介されることが多い疾患です。そのような疾患は通常緊急性はありません。もしもSMA症候群で緊急性があるのなら、それは通過障害が重度となり、胃が張った状態でその胃内容物を除去する必要があるときです。この場合は胃管を挿入して内容物を排出し、(この状態では水分摂取ができませんから)点滴で水分を補う治療をします。
担当した研修医は2人とも2年目です。もしも1年目であったとしても、いえ医学生のレベルであったとしても、嘔吐を繰り返し、水分摂取ができない状態なら帰宅させることはありません。「水分が取れないようですから入院しましょう。そして明日専門医が診察をします」と説明するはずです。研修医が帰宅させたということは、「水分摂取がある程度可能で(診断はつけられないが)少なくとも緊急手術の適応にはならない」と判断したことを意味します。そして、この対応は「本人及び家族がきちんと納得できるほどコミュニケーションをとれていたか」という問題は残りますが、狭義の救急医療的には問題があるとは思えません。
腸閉塞への対応は適切だったのか
もうひとつの病名「腸閉塞」について説明しましょう。腸閉塞とは文字通り腸が閉塞する状態を指し、SMA症候群により十二指腸で食べたものが通過できなくなれば、この状態となります。腸閉塞の診断がつけば入院してもらって点滴で水分を補います。胃の内容物は排出させる必要がありますから鼻から胃管という管を入れて、内容物を引き出して胃内の圧力を下げます。
では消化器内科での治療を同院の報告書からみてみましょう。報告書には「大きな電解質異常がないことから、胃管挿入はなされず絶食と補液を治療方針とし、改善がなければ後日追加検査を行う方針としました」と書かれています。この時点で「あれっ? 胃管挿入がされなかったということは重症ではなかったのかな。あるいは嘔吐しておなかの張りがラクになったからしばらく胃管なしで経過をみるのかな」と私は感じました。ところが、報告書の次は下記のように書かれています。
遺族への謝罪の言葉を口にする佐藤公治院長=名古屋市昭和区で2024年6月17日午後2時59分、真貝恒平撮影
「入院から3時間後、患者さんに冷汗と脈拍触知微弱、大量嘔吐がありました。その時点で点滴と胃管挿入を準備しましたが、患者さんに過活動性せん妄(末梢<まっしょう>静脈ルート自己抜去、医療者への危険行為、病棟内徘徊<はいかい>などの異常行動)が出現したため治療継続が困難と判断し、ご家族に来院を依頼しました」
「その時点で点滴と……」とありますから、その時点までは点滴を開始していなかったことを白状しているわけです。しかし、その前の文章には「補液を治療方針とし」とあります。補液とは通常は点滴のことを指します。素直に読めば「入院と同時に点滴を開始したのだろう」と理解できますが、この日本語を広義に解釈すると「点滴を(後から行うこともあるという)方針にすることにした」と読めなくもありません。
この報告書には誤解を誘導する悪意が感じられると言えば言い過ぎかもしれませんが、いずれにしても、入院させてから3時間がたつまで病棟の専門医は点滴不要と判断していたわけですから、入院させずに帰宅させた研修医に責任を押し付けるのが間違っているのは明らかです。
しかし、この時点では、たとえ胃管挿入及び点滴がなかったとしてもそれが死因につながったとは思えません。では真の死因は何なのか。報告書には次のようにあります。
報告書から読み取る処置上の問題点
「(前略)(患者には)易怒性(すぐに怒り出したり暴れたりする状態)が残っていたため、当番医は患者さんの年齢を考慮し鎮静剤を通常の半量投与しました。なおせん妄が助長される恐れから、胃管挿入は行いませんでした。その後、患者さんが発熱し解熱剤を投与しましたが、投与後も眠れていないのを確認したため、看護師が残りの鎮静剤を投与しました。また、心電図モニターについても体動制限がせん妄の助長となると考え、装着せずに退室しました」
ここではっきりしていることとして「胃管が挿入されていない」「鎮静剤が投与された」「心電図モニターが装着されていなかった」の3点が重要です。胃管が挿入されていないということは胃内の圧力が高ければ内容物は口元まで戻ってきます。鎮静剤が投与されているということは嚥下(えんげ)機能が低下し、誤嚥や窒息などが起こりやすくなり、また起こったときに身体が適切に反応できなくなります。そして心電図モニターが装着されていないということは、例えば窒息や誤嚥で身体が非常事態になって心電図が異常な状態を示していたとしても、その情報が医療者に速やかに伝わらないことを意味します。
私がその場にいたわけではないので、これ以上の推測はやめておきますが、研修医に罪をなすりつけるような名古屋第二日赤病院の対応と、研修医のみを悪者にしたようなメディアの報道には違和感を禁じえません。
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 月額110円メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。