毎日新聞 2023/12/13 東京朝刊 有料記事 4433文字
関東大震災で起きた朝鮮人虐殺を巡り、政府が歯切れの悪い答弁を繰り返している。政府が設置した中央防災会議は、流言から虐殺が起きたと報告書に記しているが、世間には事実と向き合おうとしない風潮もある。世界では憎しみと分断が広がっているようにも見える。震災から100年、負の歴史にどう向き合うべきか。
事実認定から逃げる政府 田中正敬・専修大教授
田中正敬・専修大教授=金志尚撮影
関東大震災時、多数の朝鮮人が民間の自警団や軍、警察に殺傷された。さまざまな公的記録から否定しようのない事実だ。にもかかわらず、政府が「記録が見当たらない」と主張するのはなぜか。実はこうした姿勢は既に100年前から始まっている。
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震災から3カ月後の1923年12月の帝国議会で、当時の山本権兵衛首相は事件について、「目下取り調べ進行中」と述べた。だが取り調べ結果はその後、明らかにされていない。本当に取り調べたのかどうかも分からない。要するに事実認定から逃げたのだ。虐殺の事実と向き合おうとしないのは、この頃からの一貫した態度だ。
それでも事件を直接知る人たちがまだ健在だった頃は、彼らの存在がある種の重しとなっていた。昨今、「虐殺はなかった」などと事実に基づかない主張をする人がいるが、当事者がいた時代ならば絶対に通用しなかっただろう。
学術的にも全く根拠がない話だが、近年こうした言説が広がるのは、体験を語れる当事者がいなくなったことも大きい。加えて政府が加害の事実を正面から認めないことも要因としてある。虐殺を否定したり正当化したりする右翼団体は、政府を味方のように感じているのではないか。
第2次安倍政権下の2015年以降、野党議員から朝鮮人虐殺に関する質問主意書が計8度、国会に提出された。質問によっては政府が存在を認めた記録もある。だが同時にそれが「本物かどうかを示す記録が見当たらない」と弁明する。結局どこまで行っても「記録が見当たらない」ことになる。
あらゆる公文書に、それが本物であることを示す記録があるわけではない。こんな言い方がまかり通れば、永遠に公文書であることを確定できなくなる。近代国家の基本原則は意思決定過程を記録する「文書主義」だが、それを否定するに等しい。自らがよって立つ基盤を壊してまで一体、何を守ろうとしているのか。
虐殺は、日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代に起きた。自分たちの意思とは無関係に日本に強制的に併合され、朝鮮人は「日本人」にされた。だが、震災時には「不逞(ふてい)鮮人が襲来する」などの流言が流れたように、朝鮮人として虐殺された。その流言の拡散と虐殺には国も加担していた。
そうした歴史を踏まえれば、政府には自ら調査し、事件の全体像を明らかにする責務がある。この事件では何人が亡くなったのかさえ分かっておらず、犠牲になった朝鮮人の名前もほとんど特定されていない。我々研究者も長年調査しているが、民間の取り組みには限界がある。
そしてこれは何より命の問題、すなわち人権に関わる話だ。2年前に名古屋出入国在留管理局に収容中のスリランカ人女性が死亡する痛ましい事件が起きた。私は朝鮮人虐殺と根っこの部分でつながっていると思う。自国の負の歴史にふたをする限り、また排外主義的な事件や同じようなことが起きるのではないか。そう危惧している。【聞き手・金志尚】
重い証言、映像で残さねば 呉充功・映画監督
呉充功・映画監督=上東麻子撮影
関東大震災を体験した人たちがまだ生きていた1980年代、東京や千葉で起きた朝鮮人虐殺について取材を始め、実際に被害を受けた人や加害者、目撃者の証言を記録映画に残してきた。多くの人が口を閉ざす中、20代だった私は日本人の仲間とお年寄りたちの元に通い、交流を深める中でつらい過去を打ち明けてもらった。
第1作に登場する曺仁承(チョインスン)氏(震災当時23歳)は震災当日、荒川の土手で朝鮮人13人と一緒に消防団に身柄を拘束された。翌朝、警察署に連行される途中で自警団らに襲われ、足をとび口で刺される。一緒にいた3人は目の前で惨殺された。
当時少年だった日本人男性は、朝鮮人が生きたまま海や燃え盛るコークスの中に投げ込まれたと話し、その様子を絵に描いてくれた。朝鮮人とみれば一斉に群衆がとびかかり、殺りくが繰り広げられ、遺体が積み重なる様子……。克明に語られる生々しい証言に衝撃を受けた。
第2作では、千葉・習志野にあった陸軍収容所から周辺の村に朝鮮人が引き渡され、村人によって虐殺された問題に焦点を当てた。震災下の虐殺は公的な資料や専門家の研究、市民の地道な調査によって明らかにされてきたが、証言はそれらを裏付けるものとなっている。朝鮮人虐殺が起きたことは動かしようのない事実だ。
韓国での上映会などを通じて、これらの事件の遺族捜しも続けてきた。名前が分かった被害者のうち8人の遺族を捜し当て、韓国にも取材に赴いた。遠い異国の地での無残な死を知った遺族たちは驚き悲しんだ。そして真実を知り、日本で供養したいと望んでいる。遺骨がない墓を建て、お参りしている家もあった。犠牲者一人一人に、帰りを待っていた家族がいたのだ。これらは私たちの調査で分かったが、日本政府からの連絡や謝罪は行われていない。虐殺されてなお、差別が残っている。
関東大震災から100年の今年、2作品と遺族への取材を収めた3作目の試写版が多くの場所で上映された。「真実を知りたい」と考える人は多く、歴史を継承しようとする若者の取り組みもあり、心強く感じている。
一方で日本政府が歴史に向き合おうとしない姿勢は残念だ。被害を矮小(わいしょう)化しようとする歴史修正の動きは危うい。虐殺の事実をなかったことにするのは犠牲者を冒とくすることに他ならない。
曺氏は晩年まで小さなホルモン店を営み、客に愛される穏やかな老人だった。だが震災の傷によって不自由になった足を引きずり、トラウマに苦しみ、差別と貧困の中で震災後も生き抜いた。曺氏だけでなく、証言をしてくれた人々は誰もが、あの事件は何だったのか消化できずに生きていた。
プロパガンダでなく歴史上の人間の物語を描くためにドキュメンタリーを撮り続けている。在日2世の私は日本に生まれ、生きてきた。朝鮮人の立場からだけでなく、これからも日本人と共に生きて考え、真実を解明していきたい。【聞き手・上東麻子】
過去背負い信頼得たドイツ 石田勇治・東京大名誉教授
石田勇治・東京大名誉教授=上東麻子撮影
自国の不都合な過去と向き合うことは、政府にとっても国民にとっても心地よいことではない。まして、そこに何らかの責任が生じる場合であればなおさらだ。だが現代のドイツは、ユダヤ人虐殺など過去の国家的な大規模犯罪と向き合い、その経験と反省を民主主義の糧とすることで、国際的に信頼に足る国となった。その過程は容易な道のりではなかった。
ナチの不法行為の被害者には1956年の連邦補償法を軸に大規模な補償が行われた。支払総額は現時点で819億ユーロ(約12兆円)を超える。2000年には、長らく不可能と言われた戦時強制労働の被害補償に踏み切った。
ナチ体制下の犯罪に対する司法訴追は今も続けられている。謀殺罪は、数度の国民的議論をへて時効が撤廃された。現在、補償と訴追はほぼ終わり、課題はナチ時代の記憶をどう継承するかに移っている。国立の追悼施設のほか、「想起の文化」と称される芸術家や市民の取り組みにも行政は積極的に支援している。
50年代は政府に旧体制との人的つながりがあり、被害補償に後ろ向きだった。60年代には司法訴追と歴史研究を通して蛮行の実態が明らかになった。世代交代が進み、過去に頰かむりする親世代を告発する若者たちが現れた。
70年にはブラント首相が旧ドイツ東部領の放棄を認め、ワルシャワのユダヤ人記念碑の前でひざまずいた。これには強い反発が起きるが、やがてドイツが変わることで国際社会の視線が変わり、国益につながると人々は気づいた。
85年のワイツゼッカー大統領の演説は重要だ。45年の破滅はヒトラー独裁を成立させたことの帰結で、あの戦争は無駄で無意味なものだったと断じた。「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる」。同性愛者や精神障害者、少数民族ロマなど忘れられたナチによる不法の被害者に言及し、救済への機運を高めた。
大きく変わったのは90年のドイツ統一後だ。戦時強制労働問題では、被害者の声、外国からの批判を重く受け止めたシュレーダー政権の下で補償政策の転換が行われた。
ドイツでは罪と責任を分けて考えるのが一般的だ。罪は行為者が負うもので他人は負えないが、責任は別だ。親や祖父母の世代が起こした未解決の問題があるなら、「それを解決するのは自分たちの世代の責任」というわけだ。
世論がいつも前向きだったわけではない。押し戻す力とのせめぎ合いが続いたが、要所要所で指導者が針路を示した。国を代表する政治家が謝罪の意を表す際、被害国に赴き犠牲者の前で誤解の余地のない言葉でゆるしを請うた。
現代ドイツの不都合な過去に対する取り組みはドイツ人の人権意識を育みながら、それに促されて進んできた。
世界では新たな分断と紛争が起き、ドイツでも難民問題を機に排外主義が高まる。それでもこの取り組みは行きつ戻りつしながら今後も続くだろう。戦後ドイツの歩みは多大な困難を伴う永続的プロセスであることを示している。【聞き手・上東麻子】
「記録は見当たらぬ」
関東大震災時の朝鮮人虐殺について、松野博一官房長官は8月の記者会見で「政府内で事実関係を確認できる記録は見当たらない」と発言。政府側は国会で虐殺に関する資料について「公文書法で定める特定歴史公文書にあたる」と認めたが、「事実関係について確定的なことを述べることは困難だ」などと答弁している。中央防災会議の報告書では被害者は震災死者の「1~数%」と推計している。
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■人物略歴
田中正敬(たなか・まさたか)氏
1965年生まれ。一橋大大学院社会学研究科博士後期課程修了。専門は朝鮮近現代史。「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」事務局長。共著書に「地域に学ぶ関東大震災」。
■人物略歴
呉充功(オ・チュンゴン)氏
1955年東京生まれ。横浜映画放送専門学院卒業。関東大震災の朝鮮人虐殺の証言を収めたドキュメンタリー映画「隠された爪跡」(83年)「払い下げられた朝鮮人」(86年)など。
■人物略歴
石田勇治(いしだ・ゆうじ)氏
1957年生まれ。独マールブルク大で博士号取得。専門はドイツ近現代史。著書に「過去の克服」「ヒトラーとナチ・ドイツ」、共著に「ナチスの『手口』と緊急事態条項」など。