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保健所のエムポックス調査 患者に配慮を谷口恭・太融寺町谷口医院院長
2023年7月3日
世界的には沈静化しつつある一方、日本ではじわりと感染者が増加し続けているエムポックス。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では2例目のエムポックスの患者さんが現れました(1例目については過去のコラム「サル痘 広がり始めた今、対策強化が急務」で紹介済み)。さらに視診から「エムポックスで間違いない」と私が判断したものの、患者さんが検査を拒否して確定診断ができなかった「幻の1例」も経験しました。今回は現在のエムポックスの検査体制の問題点を指摘したいと思います。
まずは確定診断がついた事例を紹介しましょう
検査費用ゼロだが調査の対象に
【事例1】30代男性
陰茎に水疱(すいほう)が生じ、その後破裂した。痛みはほとんどない。谷口医院に受診歴があり、予約を取ろうとしたがあいにく既に予約がいっぱいでその日は受診できなかった。どうしても早く診てもらいたかったために別の医療機関を受診し、そこで「梅毒」と診断された。ところが、診断に疑問を感じ翌日谷口医院を受診した。視診上、梅毒は疑いにくく性器ヘルペスとも異なり、エムポックスを疑い、検査の同意を得た上でPCR検査を実施。結果は陽性。
4月上旬に診断をつけた谷口医院での1例目は患者さん自身がエムポックスを疑っていました。ところが2例目となった本事例は自身ではエムポックスなどまったく疑っておらず青天のへきれきといった感じでした。検査への同意は少しためらったようにも見えましたが、谷口医院には過去にも受診していることもあり、私が強く勧めると「受けます」と言ってくれました。
エムポックスの検査は医師が疑えば患者負担ゼロでできます。医療機関も負担ゼロで全額公費ですが、検査を実施すれば直ちに保健所に連絡をしなければなりません。そのときに必ず「こちら(保健所)から患者さんにすぐに連絡する許可をとってくれてますね」と確認されます。つまり、医師がエムポックスを疑い保健所に連絡した時点で、疑われた患者さんに保健所から電話がかかってくるのです。
その保健所からの電話ではいろんなことを根掘り葉掘り聞かれます。保健所としては感染の可能性があると分かった時点で、感染場所はどこなのか、他に感染者がいる可能性はあるのか、といったことを推測します。公衆衛生学的な観点からいえば、その保健所の姿勢は当然なのですが、一方で患者側からみれば、「まだ診断が確定していないのにどうしてそんなプライバシーに関わることを次々に聞かれるんだ……」と不満が出てきます。ですから、この患者さんに対して私は「答えられる範囲でかまわない。言いにくいことは言わなくていい」と助言しました。
患者が想定していない場合も
この事例の問題点は「患者さん自身がまさかエムポックスと言われるなど夢にも思っていなかった」ということです。1例目では、患者さん自身が疑っていたため、他の患者さんから隔離した「発熱外来」に来てもらいました。ですが、今回の患者さんは「単なる皮膚疾患」と思っていて、発熱も倦怠(けんたい)感も風邪症状もありませんでしたから通常の外来枠で受診されました。幸いなことに、皮膚症状は陰茎にしか出ていませんでしたが、もしも手や腕に症状が出ていれば(これらの部位はエムポックスの症状好発部位です)院内感染のリスクが出てきます。
感染症「エムポックス(サル痘)」が国内で初めて確認されたことを受け記者会見する厚生労働省感染症情報管理室の今川正紀室長(中央)ら=厚生労働省で2022年7月25日午後9時17分、西夏生撮影
その場合、患者さんが触れたところ、例えば待合室のソファやドアノブなどはすべて消毒が必要で、もしも消毒前に他の患者さんが触れてしまっていれば院内感染のリスクが出てきます。院内感染はなんとしても避けなければなりませんが、場合によっては完全には防げないかもしれません。
保健所への連絡を拒否した男性
次に「幻の1例」を紹介しましょう。
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【事例2】40代男性 米国人
診察終了間際に米国人の男性から「今から診てほしい」と電話があり、時間外で診察することにした。訴えは「そけい部から陰茎にかけての水疱」で、広い範囲にやや大きめの水疱を認めた。これはエムポックスに違いないと判断し、検査を勧めるといったんは承諾。しかし、直ちに保健所から連絡が入り詳しく質問されることを伝えると、一転して検査を拒否。保健所に電話して「電話で質問するのは確定診断がついてからにしてもらえないか」と交渉したが、保健所も「その要求には応えられない」と譲らない。結局、検査の許可がとれず男性は「予定どおり1週間後米国に戻る」と言って帰っていった。
上述したように、保健所の立場からは公衆衛生学的な視点から早い段階で「情報」を集めようとします。それは理解できるのですが、患者の立場からみればそのような保健所の対応に素直に従うわけにはいきません。エムポックスを性感染症とは呼べませんが、性的接触で感染している人がほとんどなのは事実です。つまり、保健所からの質問に答えるということは、会ったことのない赤の他人からプライバシーについて容赦なく尋ねられることを意味します。セクシュアルマイノリティーの場合、性的指向を家族や友人にも話していないこともよくあります。そんな極めてデリケートなことを簡単に話せるはずがありません。
保健所の対応により起こる弊害
今のところ谷口医院では、他にはエムポックスの検査を拒否された事例はありませんが、今後出てこないとも限りません。実際、事例1については過去に何度か谷口医院を受診したことがあり、ある程度こみいった話もしていたからこそ、私が勧める検査を素直に受けてくれた側面があります。もしも初診患者であれば、日本人であったとしても検査を拒否されてもおかしくなかったと思います。
「感染が疑われた時点での保健所からの電話での尋問」には他にも弊害があります。それは我々「医師にとっても検査のハードルが上がる」ことです。保健所がその日から介入する以上、エムポックスの可能性があり検査が必要である旨を説明するのにはそれなりに時間がかかります。患者さんが決心するまで待たねばなりません。そして決心する頃には「エムポックスの可能性が多いにある」と患者さんは考えます。 ところが実際は陰性だった、となれば良い結果だったとはいえ、「それなら初めから検査しなくてもよかったじゃないか! 無駄な心配をさせやがって!」という気持ちになるでしょう。これは我々医師にとっても決して気分のいいものではありません。こういった現実に鑑みれば、医師が検査を勧めるのにためらってしまうことがあるかもしれません。
特に、視診からはエムポックスを疑うけれど、全身状態は良好で、患者さん自身はエムポックスのことなどまったく考えていない、というときに「誤診だったじゃないか!」と後から言われる可能性も抱えて、それでも「検査を勧めます」と言えるかどうか……。
確定診断までは介入見合わせて
ではどうすればいいか。確定診断がつくまでは保健所は介入を見合わせるべきだ、と私は考えています。「それまでに感染が広がったらどうするのか」という問題に対しては、まずその患者さんには医師が「エムポックスの可能性があるから自己隔離してほしい」と説明します。このような説明は会ったことのない保健所の職員よりも、それなりに患者さんから信頼されている(はずの)医師の方がうまくできます。そして、その患者さんと数日以内に接触した人に対してはその患者さんから連絡をするように提案します。
感染したかもしれない場所を聞き出して、そこに保健所が介入する方がいいのかもしれませんが、患者さんは必ずしも本当のことをすべて話してくれるとは限りません。それならば、信頼されている(はずの)医師が可能な範囲で介入する方がいいと私は思います。
最後に、最も効果的なエムポックスの対策について述べましょう。それはワクチンです。HIV陽性者らハイリスクと思われる人たちにワクチンの有効性と安全性を伝えて推奨するのです。ワクチンは当然安全なものでなくてはなりません。ワクチンの課題については、次回述べたいと思います。
特記のない写真はゲッティ
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。