東日本大震災の被災地で、道路の補修作業にあたる、インドネシア出身の技能実習生=宮城県気仙沼市で2023年2月14日、西夏生撮影
いつの間にか日本は選ばれない国になってしまった。
現役世代の労働人口が急激に減っていく中で、第1次産業や建設業など外国人労働者がいなければ成り立たない産業は多い。ところが、賃金未払いやハラスメントなどが外国人技能実習生の受け入れ企業で横行し、多数の失踪者を毎年出している。
今や上海の方が賃金は高く、韓国の方が手厚い受け入れ制度を整えるようになった。遅ればせながら、日本政府は批判の多い技能実習を廃止して新制度に衣替えしようとしている。人口減少に歯止めが掛からない現実を見れば、外国人労働者はなくてはならない存在だ。円安が進む中、外国人労働者にとって日本の魅力は薄れている。どうすれば選ばれる国になるのか、雇用する企業だけでなく福祉や教育、地域社会も含めて考える必要がある。
「鎖国」の矛盾の陰で
今でこそコンビニや飲食店で働く外国人は珍しくないが、日本は外国からの労働者を頑なに受け入れない鎖国政策を取っていた。
1980年代後半、バブル経済が活況に向かう中で深刻な人手不足に直面した中小の製造業が観光目的で来日した外国人を雇って働かせるようになる。劣悪な職場環境での長時間労働のところが少なくなかったが、アジアの貧しい国から来た外国人にとっては、低賃金でも母国の家族を十分に養うことのできる「円」の強さが魅力だった。
89年の出入国管理法改正で日系3世まで日本国内での居住が認められるようになり、戦前戦後に南米へ渡った日系人の子や孫らが日本へ押し寄せた。
愛知県内の自動車関連の工場には日系2世・3世のブラジル人が大勢働いており、団地のほとんどがブラジルからやってきた居住者で占められるところも珍しくなかった。当時、毎日新聞中部本社(名古屋)で勤務していた私は彼らの母国へ取材に行った。
サンパウロの日本領事館には来日手続きに訪れる人が連日行列を作り、繁華街には歯科医師を目指す男子学生が日本の出稼ぎで得た資金で開設したカフェがにぎわっていた。日本に永住するため日本人女性との結婚を求める広告を新聞に載せる人までいた。物価高や治安の悪さで苦しい生活を強いられていたブラジルの人々にとって日本はまさに「黄金の国」だった。
バブル崩壊後も外国人労働者の需要は高く、93年に政府は「技能実習」という制度を作った。その目的は「人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術または知識の移転による国際協力を推進する」。あくまで途上国への技能移転が目的で、労働力として雇用するための制度ではないというのが建前だった。外国人の流入を警戒する政治家や官僚界の中にある根強い抵抗感のためだ。
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工場から帰途につく日系人労働者=岐阜県大垣市で2005年11月21日、宮田正和写す
技術移転が目的ならば長期間日本に滞在する必要はないため、技能実習生は最長5年しか日本にいられないことにされた。労働者としての権利は認められず、日本で生活するための福祉関係の諸制度も整備されることはなかった。多くの実習生が来日する際の費用を借金し、日本に来てからはパスポートを取り上げられる人も少なくなかった。劣悪な住居と職場に縛り付けられ、低賃金での過酷な労働を強いられた。
制度的にも労働者の基本的な権利である「転職」が原則3年間は認められなかった。このため、職場を逃げ出す実習生が相次ぎ、多い年で9000人を超える失踪者が報告された。
失踪した人は外国人の仲間やあっせん業者のつてで別の職場で働くようになるが、「技能実習生」という身分を失い、逃げ込んだ先で暴力や賃金未払いなどの迫害を受けても声を上げられない状況に置かれることになった。
つぎはぎの制度改正
労働者として外国人を受け入れることを拒んできた政府だが、少子高齢化が急速に進むに従って国内の働き手不足は深刻さを増していった。2000年代になると外国人労働者に門戸を開く制度改正を迫られる。
08年にインドネシアとの間に経済連携協定(EPA)を締結し、看護や介護を担う専門職の受け入れを始めた。相手国はフィリピン、ベトナムにも広がった。現在3000人を超える人がEPAの枠を使って日本で働いている。
17年には専門的な人材受け入れの在留資格に「介護」が新たに加えられた。EPAと同様に介護福祉士の資格を取得すると在留更新の回数の制限がなくなり、家族の帯同も認められるようになった。
18年の改正出入国管理法では「特定技能」の制度が創設された。専門性や特定の技能を持った外国人を労働者として受け入れることになった。2種類の在留資格があり、1号は通算5年、2号は期限を設けず日本に滞在できるようになった。条件付きではあるが転職も可能とされた。
フィリピンから来日し、介護福祉士の資格を得て特別養護老人ホームで働く介護職員(左)=兵庫県豊岡市出石町で2023年3月13日
技能実習は87職種159作業が対象業種だが、特定技能制度は就業可能な業種が1・2号合わせて12分野に限られている。さらに、特定技能を取得するには、国際交流基金日本語基礎テストに合格するか、日本語能力試験の4級以上に合格する必要があり、日常的な日本語が理解できるレベルの語学力が求められている。
EPA枠で来日した外国人も看護師や介護士の国家試験に合格しないと日本国内で働き続けることができない。初めのころは国家試験問題が専門用語や複雑な文章の問題が多く、ほとんど合格する人がいなかった。
外国人労働者受け入れの制度は作っても、厳格な資格要件を定め、難解な試験でハードルを高くしたままでは鎖国を続けるのと同じだ。日本人であれば無資格でも福祉の現場で働くことができる。実際、多くの人が専門の資格を持たないまま福祉現場を支えているのに、外国人が日本で労働者と認められるには見えない壁がいくつも立ちはだかっている。
育成就労は希望となるか
日本政府は技能実習を廃止し、新たに「育成就労」という制度をつくる方針を打ち出した。現在、出入国管理法の改正案が国会で審議されている。
育成就労は外国人の労働者としての権利の保護を強化するものだと政府はアピールする。育成就労制度後のキャリアアップの道筋を明確にし、外国人に就労先として選ばれるような制度設計を目指している。
ただ、受け入れ企業と外国人労働者の仲立ちを監理団体が行うという技能実習の基本構造を残したことに懸念の声も聞かれる。監理団体は非営利が建前だが、ほとんど実体のない「ペーパー団体」も含め3000団体以上が乱立している。不正行為や法令違反のために資格取り消しが毎月のように発生している。日本語や日本での生活が不慣れな実習生の弱みに付け込んで劣悪な条件で働かせる企業との癒着が厳しく批判されてきた。
外国人材受け入れ新制度「育成就労」を創設する入管難民法や技能実習適正化法の改正案を賛成多数で可決した衆院法務委員会=国会内で2024年5月17日午前11時31分、平田明浩撮影
法改正では企業側と密接な関係にある役職員による関連業務を禁じるなど一定の策を講じたが、どこまで実効性があるのか疑問は残る。
また、税や社会保障などの支払いを故意に怠った外国人の在留資格を取り消せるようにする規定を法案が含んでいることにも批判が出ている。
国籍にかかわらず納税などの義務は守るのは当然だが、税務当局による督促や差し押さえなど日本人の滞納者に対するペナルティーに比べ、在留資格の取り消しは重すぎるというのだ。ここにも目に見えない壁を感じる人がいるだろう。
多様性と社会
制度だけでなく私たち日本人の価値観や意識を変える必要がある。
アジア系外国人を、貧しい国からやってくる、教育水準の低い人と考えるのは間違っている。都市と地方の格差は大きいものの、アジア諸国の都市は近代化が進み、きらびやかな街並みはさまざまな国からの観光客でにぎわっている。英語を話す力やITスキルが高い人も多い。日本は、輸出企業がけん引してきた経済力は依然として国際的に強いものの、だからといって一般国民の教育や生活の水準がアジア諸国の中で圧倒的に勝っていると言える時代ではなくなった。
たとえ貧しい地域からやってきた外国人労働者でも日本の経済や社会を支える仲間として尊重することが求められている。
ベトナムから来日し、ホテルのベッドメーキングをする技能実習生=香川県丸亀市で2023年7月30日午前9時10分、奥山はるな撮影
とりわけコミュニケーションは重要だ。出入国在留管理庁と文化庁が作成した「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」が公表されている。日本語特有の難解さは、長らく外国人を排除して均質な価値観を持った日本人の中で作り上げてきた文化から来るものが多い。日本社会の閉鎖性を象徴していることを自覚し、外国人にも理解しやすい日本語の大切さを広めていきたい。
難しい漢字や専門用語は使わない、複雑な構文は避けて短いセンテンスを心掛ける、持って回った表現はやめてストレートで具体的な文章にする……など重要なヒントが「やさしい日本語ガイドライン」には書かれている。
文章作成上の技術的なことばかりでなく、コミュニケーションの根底にある相互の信頼や文化を分かち合うことはもっと大事だ。働き手不足という目の前の課題を解消することに加え、世界的に多様性が広まっていく時代に日本が取り残されないよう、多様性の中から新しい技術や価値観が生み出され、活力ある社会を作っていくために外国人労働者との共生を考えなくてはならない。
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野澤和弘
植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさしい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問(非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員なども。著書に「弱さを愛せる社会へ~分断の時代を超える『令和の幸福論』」「あの夜、君が泣いたわけ」(中央法規)、「スローコミュニケーション」(スローコミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。