毎日新聞2024/6/18 東京朝刊有料記事1029文字
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昨年10月から続くイスラエルとパレスチナ自治区ガザ地区を支配するイスラム組織ハマスとの戦闘で、米バイデン政権が新たな停戦案を提示した。ハマスが人質を一部解放すれば、イスラエル側も刑務所で拘束するパレスチナ人数百人を釈放するという内容だ。
2011年にも大規模な「交換」があった。イスラエルは、ハマスに誘拐された兵士1人の解放を条件にパレスチナ人1000人余りを釈放した。パレスチナ社会は歓喜にわき、ハマスは「大勝利」と呼んだ。だが一部のイスラエル市民は「テロリストを釈放した」と批判した。現在ハマスを率いるシンワル氏もこの時に自由を得た。
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ハマスにとって人質は今も昔も「命綱」だ。イスラエルによる占領を打破できず人気が低迷するなか、「同胞釈放」は人々に希望を与え、ハマスの立場を押し上げる。
昨年11月から、人質の解放と引き換えにパレスチナ人を釈放させた時もそうだった。ヨルダン川西岸地区の「パレスチナ政策調査研究センター」が翌月発表した調査によると、ガザ地区でのハマス支持率は昨年9月の38%から微増にとどまったが、西岸地区では12%から44%に急伸した。今回の戦闘に伴う被害がより少ない西岸地区では人気が高まりやすい。
その西岸地区を歩くと、「父親がイスラエル軍に連行されたままずっと帰って来ない」という話を耳にする。令状も示されないままある日突然、拘束される(イスラエルは「行政拘束」と呼ぶ)。裁判も開かれない。軍は「テロ予防のための緊急対応」と称するが、国際法違反との批判が絶えない。
父親を失った家はどうなるか。母親を働かせることは「一家の恥」と捉える家庭が少なくない。さらなる貧困の中で、一部の若者はハマスへと傾倒していく。
イスラエルとハマスによる14年夏の戦闘で、そのきっかけとなったイスラエル人殺害事件を起こしたパレスチナの青年の家を訪ねたことがある。父親は軍に何度も逮捕され、弟は軍との衝突で死んでいた。彼自身も事件直前に「行政拘束」を受け、やがてハマスとの関係を深めて事件を起こした。
彼の母親は私にこう言った。「イスラエル兵は私の教育が悪いと言った。ここに暮らすパレスチナ人は誰もがイスラエルに家族を殺され、逮捕されている。その経験が反感を生む。占領こそ問題だ」
ハマスが今回の事件を起こした最大の狙いは、困窮するパレスチナの人々の心を「同胞釈放」で揺さぶり、戦いの「同志」を増やすことのように思える。(専門記者)