毎日新聞2024/5/7 15:00(最終更新 5/7 19:03)有料記事2162文字
木星衛星を観測する探査機「JUICE」の研究開発を担ってきたベルン大学の研究者=スイス・ベルンで2024年4月17日午前10時1分、田中韻撮影
アルプスの雄大な自然や金融都市。そうしたイメージを持つスイスだが、実は国を挙げて宇宙開発に力を入れていることをご存じだろうか。資源に乏しく日本と境遇の似た小国スイスが「宇宙立国」を目指す原動力は、大学を中心とした高い技術と研究力だった。
学生主導の野心的な研究
4月中旬、在日スイス大使館が主催するメディアツアーに参加した。まず訪ねたのはスイス連邦工科大(ETH)チューリヒ校。アインシュタインらを輩出した欧州屈指の名門だ。
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キャンパス内のある研究室には、動物や昆虫の形を模した、いっぷう変わったロボットが並べられていた。いずれも惑星や衛星に着陸させ、探査させるために開発しているロボットだという。人工知能(AI)で動物の多様な動きを学習させるのが特徴で、想定外の障害物などを乗り越えて進むことを目指している。
このうち学生研究チームが開発する小型ロボット「スペースホッパー」は、惑星の表面を跳びはねながら移動する。跳躍に最適化するため、三角柱のボディーに3本の脚を配した。ヤモリのように壁面をはうものや、犬のように四肢で走れるものなどユニークなロボットも宇宙に飛び立つ日を待つ。研究室を率いるマルコ・フッター教授は「今後ますます活発化していく宇宙活動を支えていくために、探査ロボットの需要は高まっていく」と話した。
惑星探査に向けてロボットの開発を進める連邦工科大チューリヒ校の研究者=スイス・チューリヒで2024年4月16日午前11時49分、田中韻撮影
研究室には日本人留学生も在籍していた。インターン生として学ぶ東北大大学院修士課程の上野慶一朗さんは「世界中から優秀な人材が集まり、学生主導で野心的な研究ができる」と手応えを語る。ETHチューリヒ校博士課程の三木崇弘さんも、「待遇も良く研究に専念できる環境が整い、研究者としてありがたい」と、スイスの大学における研究環境を評価した。
一方、スイスで最も早い時期から宇宙開発に取り組んできたのは、首都の名を冠するベルン大学だ。1960年代に米国のアポロ計画で月面での科学実験に加わった実績もある。最近では、地球外生命を探るべく2023年4月に打ち上げられた木星衛星探査機「JUICE(ジュース)」で観測装置を開発するなど、世界的な宇宙ミッションでも中心的な研究拠点となっている。日欧共同の水星探査計画「ベピコロンボ」でもデータ解析に当たるなど、日本との共同研究も盛んだ。
これまで数々の宇宙探査計画の研究開発に携わってきたベルン大学。地下にある研究室で開発中の機材などが公開された=スイス・ベルンで2024年4月17日午前10時11分、田中韻撮影
大学の地下室を訪れると、開発中の装置がずらりと並び、まるで大きな工場のよう。火星探査に使用する装置の振動テスト中で、あたりにはごう音が鳴り響いていた。JUICEやベピコロンボ計画に携わるニコラス・トーマス教授は「ベルン大は惑星探査に用いる装置の開発で存在感を発揮してきた。開発の全工程を一つの大学で担うのは珍しい。高い技術を誇るスイスだから可能だ」と胸を張る。
ボトムアップの宇宙開発
スイスは22カ国で構成される欧州宇宙機関(ESA)に加盟している。ESAの年間予算のうち、スイスの拠出金額は3・6%、ESA職員に占めるスイス人の割合は1%。数字の上では決して大きくない。ただ、ETH、ベルン大の両大学に代表される高い技術力を発揮し、世界の宇宙計画に次々と参加してきた。政府系の宇宙機関が引っ張る大国とは違って、大学の卓越した研究力をボトムアップで宇宙開発に生かす仕組みがうまく成立している。
開発中のロケット「アリアン6」=アリアンスペース社提供
宇宙産業でも存在感を示している。スイス中央部のルツェルン州にある、ビヨンド・グラビティー社の工場には初打ち上げを待つ欧州の次世代基幹ロケット「アリアン6」や日本の新型基幹ロケットH3のフェアリング(衛星搭載部のカバー)が並んでいた。製造ラインはロボットによる完全自動化が進んでおり、フェアリングは最速で2週間程度で完成するという。担当者は「世界のニーズに応えるべく最新の技術を駆使している」と話す。
宇宙産業の年間売上高は37億スイスフラン(約6300億円)で、延べ2500人以上の雇用を創出。人口870万人程度のスイスにとってネックとなる労働力は、機械の完全自動化などによって補ってきた。スイス宇宙局は「宇宙はスイスの新たな産業としての可能性を秘めている。成長の要因の一つとして、初等教育から宇宙や科学に関心を持ってもらう教育的な素地がある」と説明する。
宇宙について学べる複合施設「スペースアイ」では、地球を覆うように増え続ける宇宙ごみについても解説する=スイス・ベルン近郊で2024年4月17日午後6時3分、田中韻撮影
宇宙へいざなう教育の一端を、ベルン近郊で見た。のどかな牧草地にぽつんと建つ天文台。宇宙の総合教育を目的に、23年秋にオープンした複合施設「スペースアイ」だ。スイス最大級の望遠鏡で天体観測ができるほか、高精細画像のプラネタリウムや、欧州をはじめとした世界の宇宙開発史をたどることができる展示センターなどを併設する。
見せるのは、ただ美しい宇宙の姿だけではなかった。地球を覆うように漂う宇宙ごみの映像なども紹介し、館内のガイドが解説する。スイス宇宙局は「宇宙の課題を多面的に学ぶことができる」と太鼓判を押す。
宇宙開発について語る元米航空宇宙局(NASA)科学局長のトーマス・ザブーケン氏=スイス・チューリヒで2024年4月16日午前9時43分、田中韻撮影
ETHチューリヒ校では、元米航空宇宙局(NASA)科学局長のトーマス・ザブーケン氏も教壇に立っていた。ザブーケン教授は「急速に変化していく地球を理解するために、宇宙からの目は欠かせない。宇宙科学はこれまで以上に国際的な活動となっていく。世界に貢献できる技術がETHに集まっているが、日本をはじめ世界各国との連携がより必要となっていく」と国際連携の重要さを語った。【田中韻】