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ここが問題! 認知症新薬「レカネマブ」谷口恭・谷口医院院長
2023年9月4日
アルツハイマー病治療薬「レカネマブ」=エーザイ提供
最近患者さんから受ける質問で最も多いのが、8月21日に厚生労働省部会が承認した認知症の新薬「レカネマブ」に関するものです。「27%の効果」という言葉が独り歩きし、「抗体医薬だから安心」とする声もあるようで、また、メディアの報道をみてみると肯定的な記事が多いようです。しかし、この新薬に危惧すべき点はないのでしょうか。そして誰が使うべきで誰が使うべきでないのでしょうか。今回は大手メディアがあまり触れない点にも言及し、私見を交えてこの新薬について述べたいと思います。
標的はAβ 投与前に検査で蓄積を確認
まずはすでに報道されているポイントをまとめてみましょう。
・レカネマブはアルツハイマー病患者の脳内に蓄積する「アミロイドベータ(Aβ)」を除去できる
・使用の対象は、軽度認知症、及び認知症の前段階である軽度認知障害(MCI)の患者。中等症や重症例には使えない
・投与前に(後述する)「検査」が必要。その検査で脳内にAβが蓄積していることを確認せねばならない
・投与法は点滴。頻度は2週間に1回
・臨床試験(治験)での「18カ月間の使用での効果」は、投与群はプラセボ群に比べて記憶力や判断力の低下が27%抑えられた
・安全性について、エーザイによると「ARIA-H」と呼ばれる脳内出血が投与群の17.3%に認められた(プラセボ群は9.0%)、「ARIA-E」と呼ばれる脳内の浮腫は投与群の12.6%(プラセボ群は1.7%)
・米国では本年7月に承認され、エーザイによると年間の費用は2万6500ドル(約385万円)。日本での薬価は未定。また、投与開始後いつまで続けるのかは決まっていない
アルツハイマー病の治療薬「レカネマブ」の薬事承認について審議した厚生労働省の専門部会=東京都千代田区で2023年8月21日、添島香苗撮影Aβが「敵」かどうかはまだわかっていない
では、私なりにこの新薬を解説します。まずメカニズム(なぜ薬が効くか)については、「敵」であるAβの表面にレカネマブが直接「くっつく」ことでやっつけます。このように特定の部分(たんぱく質)に結合して作用する薬を「抗体医薬」と呼びます。
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狙った部分だけにピンポイントで作用する抗体医薬はがんや自己免疫疾患の分野で劇的な効果を上げています。同じ抗体医薬であるレカネマブにも期待したいところですが、それにはAβが「敵」であることが前提です。そしてこの考えを「Aβ仮説」と呼びます。しかし、実はAβ仮説が正しいかどうかの決着はまだついていません。実際、Aβを除去する薬は過去に複数の製薬会社が開発したのですが、症状改善が認められずすべて失敗に終わりAβ仮説は下火となっていました。代わって注目されるようになったのが「タウ仮説」です。脳に存在する「タウたんぱく」と呼ばれるたんぱくが神経に変化をもたらしアルツハイマー病が発症するという考えです。この考えに基づいた薬の開発も続けられていますが、今のところ成功していません。つまり、アルツハイマー病に罹患(りかん)するとAβが増えてタウたんぱくに変性が生じるのは事実ですが、症状をもたらす原因が何なのかははっきりと分かっていないのです。
2021年6月、レカネマブの製造会社であるエーザイによる認知症薬「アデュカヌマブ」が米食品医薬品局(FDA)から販売の「認可」を受けました。アデュカヌマブもまたレカネマブと同じようにAβを直接「攻撃」する抗体医薬です。両者は非常に似た薬だと言えます。アデュカヌマブの認可は「迅速承認制度」を利用した特殊な認可で、効果を疑問視する声が多く、高齢者向け保険が適用されないことが決まりました。よって今後広く使われる見込みはほぼありません。また、日本を含む他国でもアデュカヌマブは承認されていません。つまり、アデュカヌマブの評価が高くないのに同じようなメカニズムのレカネマブは本当に期待がもてるのか、という疑問が出てくるのです。
重要なリスク因子「ApoE遺伝子」
もっとも、治験で高い効果が認められているのなら期待できます。そこで、治験内容を少し詳しくみてみましょう。
アルツハイマー病のリスク因子として、運動不足、喫煙、不規則な生活、睡眠不足、偏った食事、社会活動の不足などさまざまなことが言われ、研究によってはこれらもれっきとしたリスクにされていますが、これらより重要なリスク因子が「ApoE(アポイー)遺伝子」です。ApoE遺伝子はAβの蓄積に関わるアポリポたんぱく質Eをつかさどっており、ε(イプシロン)2、ε3、ε4の3種類が二つ一組で遺伝子型を構成しています。その組み合わせは「ε2・ε2」、「ε2・ε3」、「ε2・ε4」、「ε3・ε3」、「ε3・ε4」、「ε4・ε4」の6パターンありますが、ApoE遺伝子を「ε4・ε4」というかたちで持っていれば(ε4を二つ持っていれば)、日本人の6割に該当する「ε3・ε3」の人に比べてアルツハイマー病になるリスクが11.6倍にもなります(なお、ε4を二つ持つ人、一つ持つ人は、それぞれ日本人の1%、26%と言われています)。ε4を一つ持っている場合でも3.2倍になります。つまり、アルツハイマー病とは遺伝子の影響を強く受ける病気なのです(ただし、ε4を二つ持っていても必ずしも発症するわけではありません)。
このように明らかなリスク因子があるわけですから、治験では投与群とプラセボ群で、ApoEε4保持者の割合を等しくしておかなければなりません。つまり「ApoEε4を二つ持つ人:ApoEε4を一つ持つ人:ApoEε4を持たない人」が両群で一定でなければなりません。そして、これが治験で担保できていたのかどうかを確認しようとしたところ、その記載が見当たらないのです。それどころか、治験の信ぴょう性を疑う情報が出てきました。
米国の医療系メディア「healthline」がスタンフォード大学の神経学教授のMichael Greicius博士に取材をしています。Greicius博士によると、レカネマブの治験(の第2B相試験)では、ApoEε4の保持者は治験の途中で高用量の治療を受けることが妨げられたそうです。これは、(後述するように)ApoEε4保持者はレカネマブの副作用が出やすいからだと思われます。Greicius博士は「投与群(30%)よりもプラセボ群(71%)の方がはるかに多くのApoEε4保持者が存在したことを意味する」と解説しています。
Greicius博士のこの解説が正しいとすれば、この治験には公正さが抜け落ちています。なぜなら、プラセボ群の方がアルツハイマー病を悪化させやすいことが初めからわかっているからです。一定期間が過ぎてから両群を比べて投与群の方がプラセボ群より認知能力が保たれていたとしても、それは投与群にApoEε4保持者が少ないのだから当然です。こうなるとエーザイが発表しメディアが盛んに取り上げている「27%有効」という数字も疑わざるをえません。
最もリスクが高い人に最も副作用が起きやすい
脳内にたまった異常なたんぱく質「アミロイドベータ」を確認するPET検査装置=東京都新宿区のアルツクリニックPETラボで2023年6月23日、寺町六花撮影
副作用についてみていきましょう。上述したように、エーザイの治験ではレカネマブ投与群に「ARIA-H」は17.3%、「ARIA-E」は12.6%起きました。では、ApoEε4の保持によって副作用出現率がどのように変わるのかをみていきましょう。ありがたいことに、これはエーザイが発表しています。その発表からポイントをそのまま(表現を分かりやすくして)抜き出してみましょう。
(コア試験における)ARIA-E発生率:ApoEε4を二つ持つ人50.0%(10人中5人)、ApoEε4を一つ持つ人5.1%(39人中2人)、ApoEε4を持たない人8.0%(112人中9人)
コア試験におけるARIA-H発生率:ApoEε4を二つ持つ人は、ApoEε4を一つ持つ人や持たない人よりも高い発生率だった。ApoEε4を持つ人は12.2%(49人中6人)、ApoEε4を持たない人 3.6%(112人中4人)
これらの数字から言えることは、「レカネマブはアルツハイマー病の最たるリスク者に最も副作用が起こりやすい」という皮肉な結果です。
アルツハイマー病の画期的な新薬が登場したのなら、まずは最もリスクの高いApoEε4保持者が対象とされるべきではないでしょうか。しかし、治験ではApoEε4の保持者が公正に検討されておらず、さらにApoEε4保持者に副作用が表れやすいという結果が出ているのです。
検査代、診察代合わせて年間500万円
上述したようにレカネマブの対象者は「検査」で選ばれます。そしてその検査はApoE遺伝子の検査ではなく、脳内にAβが蓄積しているかどうかを調べる検査です。この検査は「アミロイドPET(陽電子放射断層撮影)」と呼ばれる特殊な放射線検査で、現在保険適用がなく、自費で受けると数十万円もします(他方、ApoE遺伝子の検査は2万円以下です)。
報道をみる限り、レカネマブ使用の対象者には年齢や合併症(どんな病気を持っているか)についての決まりはないようです。例えば、若年性アルツハイマー病初期の55歳のビジネスマンも、寝たきりの身寄りのない90歳でも認知症の程度と脳内の検査結果が同等であれば共にレカネマブの対象ということになります。また、「終了の基準」もないようです。例えば1年半継続して効果がまったくなかったとき、やめることに同意できる患者や家族はどれくらいいるでしょう。「もう少し続ければ効果がでるかも……」と考える人は必ずいます。
検査代、診察代を合わせれば年間およそ500万円もするこの薬、いったい誰がどれだけの期間使うべきなのでしょう。そしてその莫大(ばくだい)な費用を負担するのは誰でしょうか。
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。