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祖国創建
1985年1月1日
神の日 午前零時
祈祷
愛するお父様、ただ今一九八四年を送り、新しい一九八五年の元旦を迎えました。
このように流れる歴史の過程にあって、あなたの摂理の新しい一時として、必ずや私たちと共に勝敗を決しなければならない重大な歴史を織っていった昨年でもあり、今新しい年も訪れました。
お父様! ここには全世界と霊界が注目し、特に統一教会の群れが、新しい年の元旦を迎えるきょうこの時間に、心を一つにして、昨年の足りなさと、過去のすべての足りなかったことをまとめて清算し、新しく訪れる一年を中心として、新しい明日を準備することのできる深重な一時として束ね、お父様の前にお捧げする時となりましたので、ここに御臨在賜わって、あなたが所願なされる一切のみ旨の一つ一つを開いて、「責任をもて! 行け! 成せ!」と命令することのできる、新しい年となることができるように許諾してくださることを、お父様、懇切にお願いいたします。
数多くの歴史路程を通して誰もが成すことのできない中において、統一教会を準備され、すべての悲しみの歴史の事実を蕩減するために、数多くの歴史的先知、先烈たちの殉教の土台の上に、お父様は久しく忍耐されながら歴史を綴ってこられたその背後には、誰にも言えない悲しみの事情、悲痛なる事情、その内的秘められた事情を一人で抱いて、時代が早く過ぎ去ることを願い、訪れる歳月にあなたのみ旨が成されることを、どれほど焦る心でもって期待してきたかという事情をこの息子は知っております。
そのような摂理の途上において、選ばれた一つの群れがイスラエル民族でありました。そして世界の歴史的すべてを収拾するために、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的基盤を形成するために、四千年という期間、どれほど血と涙の流れる歴史を辿ってこられたかという事実を、私たちは知っております。その土台の上に、堕落の恨みをすべてぬぐい去るあなたの所願の一念は、一つの再創造理念を夢見ながら過ごしたメシヤの身であるイエス・キリストの生涯に、どれほど祈祷されたことかという事実を私たちはよく知っております。
イエス・キリストが来られて、イスラエル民族の前に、ユダヤ教の前に、誇らしき歴史的所望のメシヤとして現れることを願ったことにより、イエス・キリストはその教会の前にその民族の前に排斥を受け、再び歴史に恨みを残すことになった事実を私たちは知りました。キリスト教の歴史はそれゆえに、新しい歴史を受け継ぎ受難の道を行くと同時に、霊肉を分立して霊的地上天国に向かって前進しながら、数多くの殉教、先烈たちの血の痕跡を残してきたという莫大な事実を私たちは知っています。
このようにして二千年という長き歴史を経ながら、世界的な蕩減の内容を編みつつ世界的な基盤が拡大されるにつれ、第二次世界大戦の勝利の基盤をもって、キリスト教の主体国であるこのアメリカを中心として、一つの神のみ旨を完結するために、世界的全体的なる責任をすべて委ねたにもかかわらず、アメリカの教界とアメリカの国家が、神の摂理とみ旨を知らず、最後の日に開拓すべき使命がどれほど重大なことかも知らず、神のみ旨と一つになることができなかったがゆえに、今日統一教会がキリスト教と一つにならなければならないという、宿命的運命的な路程に立つようになりましたけれども、統一教会は統一教会、キリスト教会はキリスト教会に分立するようになった、悲しい歴史を私たちは知っております。
更に神様が願っておられた一時の解放とともに、七年路程を中心として、歴史を収拾し教界を収拾して、一つのみ旨の願う基盤を整えなければならない莫大な目標を成就することができないままに、歴史は再び逸れ始めました。それゆえ、今日まで統一教会は、受難の教会であり、追われる教会であり、迫害を受ける教会であり、人間として相対することのできない教会として、果てしない悲しみの道を四十年間辿ってきました。
個人の路程を経て、家庭的蕩減路程、氏族、民族、国家、世界的蕩減路程にまで、復帰してくるのにどれほど苦しかったことか、どれほど悲惨であったことか、そういう事実をあなたはよく御存じでいらっしゃいます。
そしてここに立っているこの息子をして、世界を収拾し、キリスト教を収拾し、再び宗教を収拾しなければならないという、天意と責任をよく知りながら、千辛萬苦の受難の道を、我が生涯の道として受け入れながら辿ってきた悲しみの日々もすべて過ぎ去りました。そのような過程において世界も変わり、歳月も過ぎ去る中、今日まで韓国において教会が迫害してきたすべてを蕩減するため、世界史的なキリスト教を連合できる一九七四年、七五年を中心として、神の摂理の土台を中心として、お父様のみ旨を中心とする新しい一九八五年を連結させ、実体的な世界の復帰路程にまで連結させるためには、どれほど苦労が多く、どれほどの苦痛があったことか再び回想いたします。
このアメリカの地を中心として、政府を中心として、世界を中心として、統一教会は教界を収拾しなければならない責任が残っているので、今日先頭に立って、すべての迫害を甘受し消化しながら、全世界的実体路程の蕩減を払うようにしたお父様。統一の群れの労苦とみすぼらしい小さな姿を見守り、希望を託されていたあなたがどれほど可哀そうであったかを、今一度考えながら、今までの千辛萬苦の受難の道を守ってくださったお父様の御苦労に、今一度感謝いたします。
お父様、一九八四年を中心として、一九八五年までには第二次大戦以後の四十年を中心としての残された三年路程で、新しい世界的カナン福地を宣布しなければならない歴史的な使命を前にして、全世界の統一教会の群れは、アメリカというこの地を中心として東奔西走し、独り寂しい道を走ってきたという事実をよく知っています。八四年は三次路程の二年路程であるために、いかなる犠牲の代価を払ってでも神のみ旨を終結させ、神が願う一つの拠点を作らなければならないことを知っていたので、韓国を中心とした歴史的蕩減と、世界が責任を果たし得なかったすべての蕩減と、キリスト教が責任を果たせなかったすべての蕩減を中心とした全体動員時代を備えるためのすべての歴史であったことを私たちは忘れることができません。
その間、お父様の前に愛する興進君を送り、今このダンベリーの受難の一つの道をあなたが私に任せることによって、このアメリカの教界が新しいみ旨に向かうことのできる場へと戻した事実を考える時、二千年の恨みを残しているイエス・キリストの恨みを解くと同時に、今日この地上に数多くの人類が行くべき道を失い、彷徨していた群れがキリスト教を中心として新しい光明の光を受けて、カインとアベルが世界的路程で一体となることのできる因縁を結べるようになった事実を思う時、蕩減を払うことによって探し出してくださったその代価としてのこの栄光を、私たちが感謝して八五年を迎えることができるよう容納してくださることを懇切にお願いいたします。
このように八四年を結んで、八五年を迎えましたので、この年においては総力を挙げて、未来のための最後の勝利の土台を広く開かなければならない使命が私にあることを思う時、厳粛にお父様の前に頭を下げて、この年をあなたの年として立ててくださいまして、この日から連結される摂理の日々が誇り得る日々としてなることを懇切に願う心であります。
韓国の幼い子息たち、日本の幼い子息たち、アメリカの幼い子息たち、また世界の至る所でこの日に祈祷している統一の群れを顧みてください。彼らの祈祷は、あなたのみ旨のための祈祷であり、恩師が勝利する一時を迎えるための祈祷であることを思う時、この年にあなたの所願するみ旨の成就が始まり、最初に幕を下ろすことでありましょうし、またあなたの勝利の旗が天地に向かって、ここを通して翻ることを確実に知っておりますので、一九八五年は勝利と誇りと栄光を讃えることができる年となることができますよう、お父様、懇切にお願いいたします。
この度、この時間を通して、新年を迎えることのできる特定の期間を私に許諾してくださったことを感謝します。このような時間は、今日の統一教会において、悲しいといえば悲しい時間でありますが、誇りと思えば誇らしい時間であります。父母様がすべてを蕩減して十字架を背負うことによって、イエス様が失ったすべてをもとがえすことのできる勝利の時となりました。イエス様は、十字架の道に行く時、ユダヤ教を失い、そればかりでなくキリスト教の理想の実体を失い、国も失い、弟子も失い、父母、親戚すべてを失ったまま、霊的世界を抱いてカルバリ山頂に向かって行ったイエス様の悲痛なる事情を、たった一人で十字架に行かれたイエス様のすべての恨みを、今日真の父母の名をもった統一教会のこの息子をして、ダンベリーというこのような現代的な十字架を背負う場所に出て行くことによって、失った息子を探すことができ、失われた弟子たちを探すことができ、失われた家庭を探し出すことができ、失われた教会を再建させることができ、散って行ったすべての群れを再び結びつけることができる驚くべき事実を目前に見つめる時、私たちは行く手に立ち塞がる困難が問題でなく、その結果がいかに神様の前に納められるかを心配するその心が、願っていたみ旨と一致する驚くべき事実を目撃する時、私たちはどんなにお父様の前に感謝したとしても、感謝しきれないものです。
私たち、何の功労のない者たちでありますが、神様のみが功を立て、神様のみが驚くべき偉大な方であると、讃美の標準となり得ることを考え、今日一九八四年のすべての恨みを清算し、八五年が新しく訪ねる喜びと栄光と勝利と讃美が全天地に満ち溢れる勝利の一年として、お父様の前に奉献いたします。悲しみの歴史を吹き飛ばして、勝利と栄光を讃美することのできる、お父様の驚くべき歓喜の年となりますように、許諾してくださることを懇切にお願いいたします。
今、このような最後における決断をしなければならない私たちの戦いが残されており、まだ仕事が残っておりますので、生死を構わずこの仕事を成就しなければならないこの息子の責任があると同時に、直接関係されている責任者たちが、仕事を分担して誠実に責任を遂行するかという問題において、歴史が左右される分かれ道となる重大な事実を目前に直視しながら、今日この時間に到達しましたので、お父様記憶してください。
新年の冒頭に私たちがお願いするすべての一切の心を御存じであるお父様、霊界において興進君と、イエス様と、数多くの聖徒たち、一二〇カ国の国王たちと、義人、忠臣たちを連合させて、実体地上世界の祖国創建の一つの目標に向かって働いているすべての霊も一致して、現代的世界的なこの舞台の上で、アメリカを中心として、最後の画期点を決定して越えていく新年となりますよう、許諾してくださることを懇切にお願いいたします。
すべての万物と、すべての歴史的な摂理のみ旨が一致し、神様の心情と、地上の父母様の心情が一致し、統一街のすべての群れの心が一致し、完全に勝利の基台としてお父様が受け入れ、その基台の上に勝利の旗を立てることのできる新しい年の元旦となることができるように許諾してくださることを懇切にお願いいたします。
残された日々が、お父様の誇りと讃美と喜びで綴られて、一九八五年が栄光の年として全世界に開かれるように、再三お願いいたしながら、すべての祈りを真の父母の御名でもって、あなたの前に奉献いたします。アーメン。アーメン。アーメン。
この間、皆さんが祈祷をたくさんされ、こうして帰ってきて、生き生きしている変わらないムーニーたちを見て、先生は嬉しいです。(拍手と歓声)
新しい何かをするとか、新しい道を開拓していくということは、たやすいことではありません。そこには茨の道もあり、石ころだらけの道もあり、あるいはダイナマイトを爆発させながら、破壊していかなければならないそのような道があることを考える時、誰も知らない復帰摂理の道を先生は出発して、きょうまでにこれほどの基盤を整えてきたという事実は驚くべきことであります。
皆さんは復帰歴史を学んだので知っていますが、今まで歴史上において、この世には多くの偉大な人々が出てきて、開拓を行いました。しかし、霊界の開拓というのは全く新しい開拓です。統一教会が行ってきた開拓は新しい開拓なのです。皆さんはこのことを知らなければなりません。それは一つの地域ではなく、地域を超越して世界的であると同時に、天宙史的な内容が伴っているのです。神様が貴い賞を与えようとなさるとき、その賞を与えるにおいては代価なしには与えてはくださらないということを皆さんは知らなければなりません。世界的な福、歴史的な福を得ようとすれば、この世界の最も難しい環境を開拓しなければならない、そういう面をもたなければなりません。この世界においても、霊界においてもそうであります。彼が賞を受ける代表者であるためには、この世界において最も難しい誰も行ったことのない道を行かなければならないし、霊界においても誰も行くことのできなかった道を行かなければならないというのが結論です。
ではこの世界において、最も難しいことは何かというと、それが監獄なのです。先生は日本の監獄についてもよく知っています。日本時代の監獄がいかなるものであったかを……。そして北韓、共産世界の監獄がいかなるものかもよく知っています。また韓国の監獄もよく知っています。そればかりでなく、ソ連の監獄がどうであるかも知っています。先生は監獄生活を卒業するために、もう一つ行かなければならない所がありました。それがアメリカの監獄です。このように経ていくのです。これまで多くの人々が絶望と落胆の中で監獄を経ていきましたけれども、ここに立っている先生は、監獄以後に訪れることに対して大きな関心をもっているのです。皆さんも蕩減復帰について習っているので、必ずこの峠を越えれば何が起こるか知っていますね。受けるその苦痛が問題ではなく、苦痛のあとに来る神の新しい歴史的賜物が何であるかということを常に考えるのです。先生はそのようにして今まで生きてきたのです。
一般の人たちは監獄に入ると、すべてに対して不平を言います。国に対して不平を言うし、御飯を食べても不平を言うし、すべてに不平を言っています。そしてその検事に対しても不平を言い、「滅びよ!」と悪口を言います。しかし蕩減復帰を知っている先生の生活は違います。これは蕩減の道なので、その後に訪れてくる神様の福を誰が守るかが重要なことなのです。
先生はこれまで、今回を含めて六回監獄に入りました。これからもソ連の監獄や中共の監獄が残っているのではないかと思っています。先生はそのような考えをすることがあります。そこで皆さんが必ずこのような過程で知っておかなければならないことは、その後に訪れてくる神様の福を受けることのできる、そしてそれを人類に手渡せる自らの準備をしなければならないのです。受けることのできる器をつくらなければならないのです。その福を受けるためにはどうすればよいですか? それにはすべてのサタン世界、地獄世界にいる人たちが頭を下げなければなりません。これが復帰の道であり、蕩減条件を払うことです。先生がダンベリーに行ったことは、統一教会の先生として行ったのではありません。世界を代表して行ったのです。地上世界と天上世界を代表してです。そこで神様はサタンに対して言うのです。「誰が正しいか。誰が最も勝利したか」と。
新しい舞台を回すには、高い所からでは回すことができないのです。下から押して回すのです。もし皆さんが高い場所にいれば、その場を転換することができません。皆さんは底にいて下の方にいて、その場を引き上げることができなければなりません。いつも下から上の方へ変えていく、それを通して完成されていくのです。では上がって行こうとするとき、いくら自分一人で頑張っても難しいのです。全体で押してあげなければなりません。すべてが私を押してくれるという環境をいかにつくるか、これが問題です。弁護士が問題でなく、判事が問題でなく、検事が問題でなく、アメリカ政府が問題でなく、これらの最低の所にいる人たちを引き上げることができるかということ、これが問題なのです。いかにして、このような最低の人たちから賛成され、支持されるような、そういう者となることができるか、それが問題です。それが蕩減を支払って復帰することのできる唯一の道です。それによって私たちは一八〇度の転換を成すことができるのです。
今度、レバレンド・ムーンがアメリカで監獄に入ったことによって、全世界で問題となったのです。アメリカ自体においても問題です。今まで先生が監獄に入った時には、誰も真実を知らずに、「あの人は悪い人である」とみんなが悪口を言ったのです。しかし今回は先生が監獄に入ってどうなりましたか。状況が一八〇度回転しました。彼らは本当の事実、真実というものを見るようになりました。彼らは先生に対して本当に目が開けたのです。そして今や、アメリカにおいて正しい物事を考える人たちは、レバレンド・ムーンを支持する側に立たなければならないようになっています。レバレンド・ムーンによって脱皮が始まるのです。私が脱皮させるのではなく、全部自分たちで脱皮するのです。外的世界がそうなり、また内的世界がそうなればレバレンド・ムーンは「自由天地」と言えるのです。そして、統一教会はもはや迫害を受けるようなことはなくなるのです。イエス様がローマに入ってこのようなことを成したならば、キリスト教は苦労の道を行かなくともよかったのです。これからはアメリカの大使館が私を歓迎する中において、私が巡回する時が来るかもしれません。不思議な話でしょう? この話が理解できますか?
これと同じように、皆さんはこれからアメリカを救い世界を救わなければなりません。ではアメリカのどこを救うのですか? それは豊かで良い所を救うのではなく、貧しく悪い所を救わなければなりません。訪ねて行って蕩減してあげ、その後に訪れてくる福を私たちはどのようにして迎えるか、これを考えなければなりません。皆さんムーニーたちの中には、不平を言う人がいます。「私は何年度に入教してきたのに、また苦労をしなければならない、これはどうしたことだろう。もう嫌気がしてきた」等々と。またある人は結婚したが、このごろ子供が生まれないと言って心配したり、生活を心配したり、子供のことで心配したりで動けなくなっています。しかし先生は違います。誰かが先生を地獄へ入れたとすれば、地獄そのものが困ったことになります。なぜならばもう地獄は地獄であり得なくなるからです。(拍手) 先生はそういう具合に考えていますよ。なぜこのような話をするかといえば、皆さんの目を見ると、先生はダンベリーに行かれて何をなされたのだろうか。ダンベリーはどうだったのだろうかと、新年の『神の日』のみ言よりも気掛かりになっているので、先生は話すのです。(笑い)
皆さんは自分を自ら「ムーニー」と呼んでいます。というのは、皆さんの原型は先生であるからです。しかし先生は自分から来たわけでなくて、神様から来ているのです。ですから先生はいわば「ゴッドニー」と呼ぶことができますね。(拍手、歓声) なぜレバレンド・ムーンをそのように呼ぶかというと、神様のようであり、神様に似た人であるということです。分かりますか? 皆さんの中には統一教会の歴史を知らない人がとても多くいます。先生を知らない人が多くいます。特にアメリカの個人主義的な若者たちがそうです。先生は韓国でダンベリーに行ったのですか、アメリカでダンベリーに行ったのですか? (アメリカです)。それは行かないこともできたのでしょうか、行くしかなかったのでしょうか? この世の人々は不思議に思っています。"なぜレバレンド・ムーンはわざわざ監獄に行くようにしたのだろう、避けようと思えば避けられたのに”と不思議に思っています。
先生が監獄に行ったのはアメリカにいたためです。先生はアメリカを救うためにダンベリーに行ったのです。アメリカを救おうとするあなたたちのために行ったのです。アメリカの若者の中で、このアメリカを救おうとする人は、ムーニーの中に多いのです。先生はあなたたちの前に誰も占領することのできない思想を残すのです。私が必要であるからではなく、あなたたちが必要とするために、これを残さなければなりません。皆さんがこの精神でアメリカに責任をもち、アメリカの困難な中でも、追われても、正義の立場に立って堂々と、「私はアメリカのために監獄までも行くのである」と言う、そのような若者がアメリカにたくさんいるとしたら、このアメリカは滅びません。分かりましたね? (はい!)。
一九八四年までは困難な道を歩まなければなりませんでした。あなたたちの花のような青春、美しいお嬢さんも一度しかない青春を流してしまっていることを知っています。この歴史的な世界は、そのように青春を犠牲にしても世界を救おうとする若者を願っているのです。歴史を摂理される神様は、このような人たちを願っているのです。私も、私の青春をすべて捧げました。先生は若いころ、非常にハンサムでした。(笑い) 先生は多くの人たちのために、乞食すらも天国に入ることができる、飛躍することができるそのための基台となりたいと思ったのです。すべての人たちの足台となって、「飛べ。飛べ」と言うのです。それで私は今まで人前に出ることを好みませんでした。それなのに有名になってしまったのです。
一九八四年は、統一教会にとっては本当に難しい年であり、困難な年であり、苦しみ多い悲しい年でした。先生においては極めて忘れることのできない摂理史的に重要な年でした。もうじき興進君の行かれた日もやってきますね。先生は韓国を生かすためには、家庭をも犠牲にする覚悟をして出発した道でした。韓国の七百万の勝共会員、日本の勝共会員、アメリカの四千五百万と、世界に七千万会員ができるとなれば、サタンも黙っていられません。それで決着がつくのですから。また私が監獄に行けば、これで統一教会も終わりだと思ったかもしれません。しかし監獄に行ってから、先生は歴史上になかったたくさんの事を行いました。先生が監獄に行ったその日から、有名な牧師たちや教授たちが先を争って会いに来ました。それで先生は、「これをせよ!」と言います。このような人たちは、先生が外にいるときには誰も会いに行きたいと思わなかった人たちでしたが、今や監獄にいる先生に会いたいと思うようになってやって来たのです。これはみんな有名な人たちです。有名な教授や学者や、牧師や外交官です。それらの人々がやって来て、先生と一緒に座っている時に、先生はエネルギーを絞って強力にこれらの人々に注ぎ込みました。だからこれらの人たちは完全に否定することができず、完全に先生に圧倒されました。このような圧力が先生から出るために、彼らはもう何も先生に言うことがでませんでした。皆さん、そうでしょう。オリンピックのマラソン大会のようなものです。競技に優勝するまでは誰も振り向きもしません。しかし一度試合に勝てば、人々がすべて認めてくれるのです。この世の万事がみなそうなのです。
身近な例を一つお話しいたしましょう。ドクター・トライブという人を知っていますか? ハーバード大学の有名な法律学者です。彼は、自分はアメリカで一番偉いと思っていました。どこに行っても自分が頭であり、自分が語らなければならない、自分が中心だと思っていましたが、どうしてか先生の前に出れば、身動きができなくなるのだそうです。先生が「やりなさい」と言ったら、「はい」と言わざるを得ないというのです。彼は、「不思議なことだ」と言っています。先生は監獄のような所に行っても、そのようなことが可能なのです。分かりますか? あなたたちも同じですよ。あなたたちもアメリカを救わなければならない責任があります。一九八五年はすべてに挑戦しなければなりません。
高くジャンプするためには、高く飛躍するためにはまず小さく縮まなければなりません。跳躍するための準備をするために、ぐっと身をかがめなければなりません。それで先生は大きな歯車を回してジャンプする準備をしているのです。時が来れば、先生はジャンプします。高く舞い上がります。永遠なる勝利に向かう私となるのです。その時、皆さんは「もう私はジャンプしたくありません。私を助けてください」と言っても駄目です。皆さん自身もそこからジャンプする準備をしなければなりません。私がダンベリーに行くことによって、統一教会は歴史的な飛躍をすることでしょう。既に、反対していたキリスト教が完全に私たちの側となり、反対していたアメリカも黙して考えなければならない時が来たのです。先生は興南の監獄において、全然話しをしなかったのですが、私が監獄から出る時には、多くの人がついてきたのです。きょう、ここにも私についてきた人が数人いると思います。(拍手と歓声)
では結論づけましょう! あなたたちはどこに行って開拓したいですか? 監獄に行って開拓しますか、それともこの自由のあるアメリカの地で開拓しますか? (監獄です)。監獄は私が行ってすべての責任をもちます。では、あなたたちはどこへ行きますか? (モスクワです)。そう、よくできました。モスクワです。マスト・ゴーがモスクワですね。私がアフリカの一カ所に行って、世界的名声を揚げるようになれば、そこは世界的に有名になります。これはどれほど素晴らしいことでしょうか。先生は韓国の谷間で苦労していた時にも、「私がアメリカで有名になれば、統一教会は希望がある」と叫び、希望をもっていました。そしてアメリカに来て有名になりました。アメリカに来て、今ダンベリーに行きながら「霊界に希望がある」「世界に希望がある」と言うので、ここで霊界が開かれるのです。だから先生に対して、あなたたちは不平を言うことができないのです。(はい)。数えてみましょう。み旨のためにもう何年生きたいですか? もう一年、もう二年、もう三年ですか。「これからは我が道を行こう!」、それではいけません。
きょう『祖国創建』ということをスローガンとして書きました。私たちには国がありません。私たちは今まで、国がない者であったから迫害を受けたのです。神様がサタンに迫害されてきたことは、このように国がなかったからです。神様が自らの祖国をこの地上にもたなかったということを理解してほしいのです。そのためにサタン側はいつも神様を讒訴しているのです。それはサタンがすべてのこの世の力をもっているからであります。神様が今なお苦しんでおられるのは、神様に祖国がないからです。だから、神様の祖国をいかに復帰してさし上げるか、それしかありません。そこで五色の人種を一つにして、合同結婚式を行い、一つの心情で一つの氏族、民族を編成するのです。合同結婚式はいつも多くの論議を呼んできましたけれども、それは神様の一つの人種をつくるためにそうしているのだ、ということを理解してほしいのです。それは簡単なことではありません。難しいことです。それは先生も知っています。特に神様は霊のお方ですから肉体をもっていません。そういう神様がこの地上の世界を動かすということは難しいことです。そういう意味において、先生に肉体があるということは神様よりも有利なのです。このために先生は、この使命を引き受けることを決意したのです。
今年の一九八五年は、先生がこの摂理の道を歩み始めてから四十年目です。今年は決定的年です。(拍手) だから本当の伝統を示すために私は監獄、サタン世界に入って闘っているのです。あなたたちはどうですか? アメリカのサタン世界を、アメリカの地獄をつかまえて闘わなければなりません。後退してはいけません。(はい、後退しません)。それが何の話か分かりますか? (はい)。
この時間、ダンベリーに行ってきた先生を迎えて、そのような決意をし、“いかなる事があるとしても私は先生に負けない”という決心で、この腐敗していくアメリカに責任をもつ皆さんとなってほしいのです。そうすればアメリカは復活するのです。(先生が黒板に「〇」を書かれる。そしてその横に「×」を書かれる)アメリカにはこのような穴があるが、これを塞げば滅びません。これを塞ぐことができないときには滅びます。そういうとき、これを塞ぐにはどのようなことをしなければならないのかというと、人を逆さにしてもぴったり塞ぐことができるならばそうしなければならないのです。そうしてでも塞がなければならないのです。そういう人になることはみんな嫌でしょう。「私は奇麗で豊かなアメリカに住みたいです」。(ノー)。ムーニーは全部がそういう人にならなければなりません。どうですか? やれますか? (はい)。私はそのようなムーニーになってみたいという人は手を挙げてみなさい。(はい!)。ありがとうございます。先生は監獄に十回行ったとしても感謝です。
今まで先生が監獄に入って、先生がいない時に自分勝手にしませんでしたか? 先生は監獄に行ってきました。先生の前で偽りはしませんね。(はい)。今回だけは信じてあげましょうか? (はい) 信じてくださいと言う人は手を挙げてください。ありがとう。ダンベリーはあなたたちが受け継ぐべき伝統です。このように生きれば絶対に滅びません。逃げていては滅びます。監獄に行くことによって、一番難しいことを成そうとするのです。一番難しいことは天国をつくることです。
私が最初に監獄に入っていく時、みんなが色眼鏡で見ていましたが、しかし今度先生が出てきた後、非常に寂しくなったことを知っています。だからダンベリーの人々は、先生を必要としています。行ってもいいでしょう? (いいえ)。
先生は明日の朝の午前九時から『神の日』のメッセージをします。
今晩は素晴らしいメッセージでしたね。(はい)。
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