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地球温暖化のせいで抗菌薬が効かなくなる?谷口恭・谷口医院院長
2024年1月29日
カルバペネム耐性腸内細菌のイメージ=ゲッティ
2024年1月9日、世界の気候変動を計測している「EUコペルニクス気候変動サービス(European Union's Copernicus Climate Change Service)」が「23年の世界平均気温は、記録が残る1850年以降で最高、おそらく過去10万年で最高で、産業革命前からの世界の平均気温上昇が1.48℃だった」と発表しました。地球温暖化が進めば、人間が住めない地域が増え、台風(サイクロン、ハリケーン)や山火事などの自然災害が増加します。医療の分野では既に本連載でも紹介したように、マラリア(参考「シーズン到来『世界で最も恐ろしい生物』の現在」)やデング熱(参考「マラリア以外も『世界で最も恐ろしい生物』による病気」)、あるいはトコロジラミ(参考「激増するトコジラミ “退治費用”は意外と高額」)の被害が増えています。今回は50年には世界の死因第1位となる(参考「今、そこに迫っている薬剤耐性菌の恐怖」)と言われている「薬剤耐性菌」が地球温暖化の影響を受けてより深刻化することを紹介したいと思います。
温暖化で薬剤耐性が生まれやすく?
まず、温暖化で細菌が増殖しやすくなる理由をまとめてみましょう。
① 単純に気温上昇は細菌の増殖速度を速める(食べ物は夏の方が腐りやすい)
② 気温上昇に加え、豪雨や洪水などで湿度が増し細菌が増殖しやすい環境となる
③ 海水温度の上昇で海中の細菌が急増する(参考「地球温暖化で感染増『人食い感染症』の原因菌とは」)
④ ハリケーンや強風により海洋堆積(たいせき)物などから栄養分が舞い上がり、その栄養分のおかげで海水(または淡水)内に生息する細菌が繁殖する(下記参照)
⑤ 極度の高温では人々は外出できなくなり、屋内での人との距離が「密」となり感染症が生じやすい
④を示す研究を紹介しましょう。夏の食中毒の代表的な細菌といえるビブリオに関するものです。ビブリオが温暖化で増殖していることは上記③のコラムで既に述べました。今回は「ハリケーン・イアン」が与えた影響についての研究を取り上げます。医学誌「Environmental Microbiology」23年10月16日号に掲載された論文「ビブリオ属のゲノム多様性とハリケーン・イアン後のフロリダ湾岸沿岸水域における病原体のメタゲノム解析(Genomic diversity of Vibrio spp. and metagenomic analysis of pathogens in Florida Gulf coastal waters following Hurricane Ian)」によると、強風により海洋堆積物からクロロフィルなどの栄養分が海面に上昇し、その栄養分をもとにビブリオが繁殖することが分かりました。米疾病対策センター(CDC) の報告によると、22年9月に発生したイアンが原因とされるビブリオ感染が38人報告され、うち死亡者が11人(致死率28.9%)です。
では、なぜ温暖化で耐性化が進むのでしょうか。まず単純に細菌が増え感染症が増加すれば抗菌薬を使わなければならない機会が増え、耐性菌が生じるリスクが上昇します。下水に含まれる薬剤耐性菌が豪雨や洪水であふれ、人々の家、あるいは飲料水に広がることもあるでしょう。また、温暖化によって細菌の遺伝子変化が誘発される可能性があります。研究を紹介しましょう。
「カルバペネム耐性腸内細菌目(もく)細菌感染症」というややこしい名前の感染症があります。細かく説明するととても長くなるので、ここでは「カルバペネムという強力な抗菌薬が効かない、腸内に生息するいくつかの細菌」と理解してください。カルバペネムは他の抗菌薬に耐性がある細菌に使われる、いわば「最後の切り札」と呼べる抗菌薬です。最近、そのカルバペネムをもってしても死滅させることができない腸内細菌が増えているのです。このカルバペネムと温暖化の関係を調べた研究が中国から報告されました。
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北米大陸に接近するハリケーン=ゲッティ
医学誌「The Lancet Regional health」22年11月14日号に掲載された論文「中国における抗菌薬耐性と温度上昇との関連性:全国パネルデータを用いた生態学的研究(Association between antibiotic resistance and increasing ambient temperature in China: an ecological study with nationwide panel data)」です。研究者は、中国全土の28の省と自治区の病院で治療を受けた人々から収集した細菌データと、それらの地域の平均気温を比較することで、抗菌薬と温度上昇との関連性を調べました。結果、平均気温が1℃上昇するごとに、カルバペネム耐性のクレブシエラが14%増加することが分かりました。クレブシエラというのは前述したカルバペネム耐性腸内細菌目細菌感染症の代表的な細菌の一つです。
また、この研究では気温1℃上昇で、カルバペネム耐性の緑膿菌(りょくのうきん)が6%増加することも分かりました。緑膿菌はカルバペネム耐性腸内細菌目細菌感染症の一員ではなく、水まわりなど生活環境中に広く常在する細菌で、基本的には病原性は弱いのですが、いったん皮膚の下に入り込むと急激に増殖し、死に至ることもあります。年々抗菌薬が効きにくくなってきており、緑膿菌にとってもカルバペネムは「最後の切り札」なのですが、気温上昇により耐性が生まれやすくなることをこの研究が示したのです。
米国の研究も紹介しましょう。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の進化生物学者パメラ・イェー氏によるものです。医学誌「The ISME Journal」19年1月号に掲載された論文「ストレッサー相互作用ネットワークは、気温上昇へのストレス反応から生じる抗菌薬耐性を示唆する(Stressor interaction networks suggest antibiotic resistance co-opted from stress responses to temperature)」です。イェー氏らは、41℃で最もよく増殖する大腸菌を、44℃の温度か、12種の少量の抗菌薬のいずれかに曝露(ばくろ)させました。すると、温度変化のときも抗菌薬曝露のときも大腸菌の遺伝子発現のパターンが同じように変化することが分かりました。どちらの場合も大腸菌はより多くの「ヒートショックたんぱく質」を生成しました。このたんぱく質は他のたんぱく質が正しく折りたたまれるのを助け、細菌が抗菌薬の“攻撃”に耐えるのに役立つと考えられています。この研究が興味深いのは、あえて少量の抗菌薬を投与し人為的に耐性菌を生み出した点にあります。抗菌薬の中途半端な使用が耐性菌を生み出すことはよく知られています。その耐性菌が誕生する過程で起こる遺伝子変化と同じ変化が温度上昇でも生じることを示した見事な研究だと言えるでしょう。
一人一人の努力で耐性菌出現を防ぐ方法
では、薬剤耐性菌を防ぐ方法を考えてみましょう。方法は二つあります。一つは「我々一人一人が適切に抗菌薬を使う」、もう一つは「地球温暖化を防ぐ」です。前者からみていきましょう。
レバノンの研究を紹介します。医学誌「Antibiotics」22年7月7日号に掲載された論文「レバノンの3次医療センターのICUにおけるアシネトバクター・バウマニ耐性率に対する抗菌管理と感染制御介入の影響(The Impact of Antimicrobial Stewardship and Infection Control Interventions on Acinetobacter baumannii Resistance Rates in the ICU of a Tertiary Care Center in Lebanon)」によると、院内でのカルバペネムの使用を減らす方法について19年に医師向けに教育したところ、アシネトバクター・バウマニという細菌に対するカルバペネム耐性が19年の81%から20年には63%にまで低下しました。これは抗菌薬の適切な使用の順守によって耐性菌が防げると示した一例です。
当院では開院から18年間、「抗生剤(なぜかこう呼ぶ人が多い)を出してください」という患者さんに対し、ときには顕微鏡でグラム染色の像をモニターに映して、「抗菌薬は不要」と説明し続けています(参考「その風邪、細菌性? それともウイルス性?」)。以前は「なんでお金払うって言うてるのに出してくれへんのや!」と怒り出す人もいましたが、最近ではそういう人はほとんどいなくなりました。また、「前医で出してもらった抗生剤を途中でやめました」という人に対しては「処方された抗菌薬は少々の副作用を我慢してでも最後まで飲まねばならない」と説明し続け、こちらも最近は理解が広がってきています。
個人の努力を無にする戦争の影響
ところが2年ほど前から「性病になったかもしれないからビブラマイシンを出してほしい」という人が増えてきて困惑しています。この予防法は「DoxyPEP」と呼ばれているもので、危険な性交後72時間以内にビブラマイシン(ドキシサイクリン)という抗菌薬を内服すれば梅毒、淋病(りんびょう)、クラミジアの感染をある程度抑えられるとされるものです。米国などでは一部の希望者に対して処方されています。しかし米国のガイドラインには「個人レベルでも集団レベルでも将来耐性菌を生み出すリスクがある」と注意喚起されています。ビブラマイシンは梅毒やクラミジアに対して、また難治性のマイコプラズマや溶連菌などにも「最後の切り札」として処方できる貴重な抗菌薬です。さらにマラリアの予防にも使えるありがたい抗菌薬なのです。当院では耐性菌のリスクを考慮し、強く希望されたとしても、性暴力の被害などどうしても必要な場合を除きDoxyPEPの処方は断っています(怒り出す患者さんもいますが……)。
ロシア軍のミサイル攻撃で破壊されたウクライナ東部ドネツク州のアパート=2023年2月16日、鈴木一生撮影
最後に「地球温暖化を防ぐ」を考えてみましょう。地球温暖化を防ぐにはたしかに個人レベルでできることもあります。例えば過去のコラム「いい医師が見つかりにくい代表例 肛門や外陰部のかゆみはどう解決する」で述べたように、私はトイレで紙をほとんど使わないようにしています。ですが、大規模で地球を破壊するようなことをしていればそんな個人の努力は一瞬で吹き飛びます。もちろんその「破壊」とは戦争に他なりません。世界各国の軍事支出の年間総額を算出しているストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、22年の全世界の軍事費(兵器、人件費、その他諸費用)は合計2兆2000億ドル(300兆円以上)にもなります。人類は大量の兵器を製造し、輸送し、使用し、森林を破壊し、大量のカーボンを発生させ、人命を奪い、大量の抗菌薬の使用を余儀なくしています。戦争をやめない限り「パリ協定」など意味がないと思ってしまうのはきっと私だけではないでしょう。このような原稿を書くことすらむなしくなります……。
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。